77.見~っけた

 大阪の下町育ちなので、子供の頃の遊びは、「だるまさんがころんだ」というような上品な10文字を数えて遊ぶのではなく、遊びの内容は全く同じではあるが、「坊さん(ぼんさん)が屁(へ)をこいた」であった。続けて10文字10音節、「匂うたら(におうたら)臭かった(くさかった)」。

 

 今はどうか知らない。

 

 昭和40年代の戦後の高度経済成長期、光化学スモッグで小学校の朝礼台に赤旗が立つと校庭で遊べない毎日が続く、学生運動が終焉しつつあった頃のことだ。浅間山荘に打ち込まれる鉄球の映像を覚えている。

 小学生時代は遊びまくっていた。路地で「缶けり」も良くやった。当時は必ずどこかに空き缶が転がっていたので、それを拾って来て遊ぶ。鬼が一人で、それ以外の誰かが缶を蹴っ飛ばして、鬼が拾って来て所定の位置に空き缶を設置するまでの間に鬼以外は隠れる。鬼は隠れた子を探し出しては、空き缶に戻り、

 

 「誰それ君、見~っけた、ペコポン

 

と言って、空き缶の上部を踏む。そうすると捕まえられたことになる。誰かが、鬼の居ぬまに空き缶を蹴っ飛ばすと、つかまっていた捕虜は解放されて、また隠れる。

 

 独特のイントネーションで言う、あの「ペコポン」は何かのおまじないなのだろうか、ただの、空き缶を踏んだ時の擬音だったのだろうか。それを言い終わらないうちに誰かが空き缶を蹴とばすと、捕虜は解放された。

 

 大学に入ると、友人達は各地域から集まってきていたので、子供の頃の遊びがそれぞれの地方で異なり、また同じ遊びも呼び方が全然違ったりして、遊びの話で盛り上がったりしていた。一地方にしか暮らしていないやつらが多かったので、みんなで感心していた。「ペコポン」はやはり大阪特有のようであった。

 

 大学時代。今は昔のことだ。

 

 そう、まだ日本には大学で物理学の研究をする時間があった頃、四半世紀以上前のこと。私が大学院生の時代。多分、博士課程1年のとき。

 (1+1) 次元ソリトンの半古典論を考えていた。(1+1) の 1 は空間が1次元ということで、残りの1は時間の1次元。‘‘ソリトン”とか‘‘半古典論”とかは、ここでの話にはどうでも良い。まぁ、おまじない、「ペコポン」みたいに思っておいて頂いて結構です。

 

   マハリクマハリタヤンバラヤンヤンヤン

 

 ソリトンの周りのボソン励起の波動関数の完全系を作り、熱核展開という方法でエネルギーへの寄与を見てみた。“展開”をしている際に、つじつまが合うためには、ある級数の和が、まぁまぁ簡単になるべきであることがわかった。ということで、本来、数学の領域である「無限級数の公式」を、物理学を使って一つ‘‘発見”した気になった。こんな式だ。

 

   Σn=1(2n-2)!! x2n+1 / (2n+1)!! = x - (1-x2)1/2  arcsin x

 

ここで、N!! というのは、2度ビックリしたのではなく、N×(N-2)×・・・×2または1と、2つおきに掛けていく記号。Σn=1 はnについて1から順に、n=1,2,3、4・・・と無限(∞)に足しなさいという記号。arcsin x は、三角関数の正弦関数、   sin x の逆関数

 

 ここまで何を言ってるんだか。

 

   テクマクマヤコンテクマクマヤコン

 

 まぁ、無限級数の「数学公式」を、「物理学」を使って発見できたと思って喜んでいた大学院生がいたと想像してください。

 

 早速、公式集を紐解いてみた。「数学公式」と言えば、古来から「岩波 数学公式集」全3巻だ。手持ちは1990年発行第5刷。公式集の第 II 巻、「級数 フーリエ解析」で調べた。きっと正しい式を導けたんだろうと思って確認する。探して探して、  148ページにそれらしい式を見つけた。こんなのだ(2 分の 1 乗は、ルート(√)で書かれている)。

 

   (1-x2)1/2  arcsin x = x - Σn=1(2n-2)!! x2n+1 / ((2n+1)!! n)

 

ん?! 右辺と左辺が多少ひっくり返っているのは良いとして、右辺の級数の和の中の分母に n が入っていて、私の式と違うぞ? 血の気が引くというのはこういうことだ。物理学をやっていて、必要な数学の式を導いて、得られた物理的な結果がうまくいったつもりになっていたが、計算の途中で、どっかで間違えたか・・・。はたまた、根本的に考え方に問題があったのか・・・。計算間違いなら修正できるのだが・・・。むにゃむにゃ・・・。

 

 いったん、へこんでから、しばらくして、またもう一度、公式集をひっくり返す。今度は同じ公式集の59ページに、似た級数の式を見つけた。

 

    Σn=1(2n-2)!! x2n+1 / (2n+1)!! = x - (1-x2)1/2  arcsin x

 

 おや? 私が導いた式そのものではないか! ということは、148ページの式と  59ページの式のどちらかにミスタイプがある、ということだ。とにもかくにも、タイプミスを見つけてしまった。もちろん私は59ページに軍配を上げた。

 

 いやぁ、こんなかっちりした、しかも定評のある数学公式集にすらタイプミスもあるもんだなぁ、と、変に感心したことを覚えている。もう、新しい版では直っているんだろうなぁ。いつか確認してみようと思いながら、未だ確認せずの状態が続いている。

 

 無限級数と言えば、大学生で誰しも驚く(に違いない)

 

  1+2+3+4+・・・ = -1/ 12

 

というのがある。左辺は発散していくのに、しかも正の数しか足さないのに、マイナス12分の1になる。インドの天才、ラジャラマンが、この式を使って何か数式を得て、イギリスのある数学者に手紙を送ったら、「君は発散級数というものをわかっていない」とたちどころに却下されたそうだ。現在は、リーマンのゼータ関数を解析接続するということで、上の式の正しさは保証されているが、ここでは、おまじないにならないように、厳密ではないけれども初等的に見ておこう。

 

1.まずは、

  S = 1 - x + x2 - x3 + x4 - ・・・

という式を考える。この両辺に x を掛けると

  x S =  x - x2 + x3 - x4 + ・・・

となるので、辺々足し算すると

  ( 1 + x )S = 1

なので、上の級数 S は

  S = 1 / (1 + x )

と求まる。

 

2.次に、

  T = 1 - 2x + 3x2 - 4x3 + 5x4 - ・・・

という式を考える。この両辺に x を掛けると

  x T =   x - 2x2 + 3x3 - 4x4 - ・・・

となるので、辺々足し算すると

  ( 1 + x )T = 1 - x + x2 - x3 + x4 - ・・・

        = S

となるので、上の級数 T は、S の結果を使って

  T = S / (1 + x ) = 1 / ( 1 + x )2

と求まる.

 

3.こうして、

  T = 1 / ( 1 + x )2  = 1 - 2x + 3x2 - 4x3 + 5x4 - ・・・

となることがわかったので、両辺に、x = 1 を代入して見る(数学科の諸君、ここは少し目をつぶっておくれ)。そうすると

  1 / ( 1 + 1 ) 2 = 1 / 4

                       = 1 - 2 + 3 - 4 + 5 - ・・・    (*)

となる。プラスとマイナスが交代で現れる右辺の級数の値は4分の1だ。

 

4.今度は、欲しい式

  R =  1 + 2 + 3 + 4 + 5 + 6 + ・・・

を考える。両辺4倍すると

 4R =   4    + 8    + 12 + ・・・

となるので、辺々引き算する。そうすると

  R - 4R = 1 - 2 + 3 - 4 + 5 - 6 + ・・・

となるではないか。左辺は-3R で、右辺はさっき3.でやった、T に x=1を代入した(*)式なので、4分の1だ。こうして、

  -3R = 1 / 4

よって、

   R =  1 + 2 + 3 + 4 + 5 + 6 + ・・・

    = - 1 / 12

が得られる。(おしまい)

 

 こういう級数は、物理学の弦理論にも現れる。ボソン弦と呼ばれるものが矛盾なく定式化されるためには時空間の次元が26次元である、ということを主張する際に用いられているようだ。

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76.アイドルになりたい

 新学期が始まった。大学も新入生であふれかえる春爛漫だ。

 今もそう変わりはないが、私が大学に入りたての頃は、一人暮らしを始めたばかりの経験の浅い、経験値の低い新入生を狙って、とにもかくにも様々な勧誘がやってきたものだ。新興宗教ねずみ講、おとなしい系の左翼から過激派まで、百花繚乱、春、真っ盛りであった。

 今も昔もそう変わらずひねくれていたから、そういう類には引っかからなかった。浪人を経験している友人の猛者たちは、逆に勧誘してくる先輩(?)大学生を手玉に取って、からかっている連中もいた。そこは理学部だったので、新興宗教の人に除霊してもらってから、科学的に徹底的に反撃するとか。

 

 たち悪いぞ。

 

 様々な勧誘活動があるのだろうが、一応都会に住んではいたものの、幼いころから「アイドルになりませんか」というスカウトだけは一度も経験したことは無い。

 

 なぜだ?

 

 だから、スカウトされて芸能界入りしましたとかいう話を聞くと、え~ぇ、うそぉ、と思ってしまうのは、ひがみ根性なのだろうか。

 

 子供の頃といえば、やたらと心拍数が多く、1分間で80回ほど脈を打っていた。引き続き半世紀以上を生きてきて、数年前から猛烈な頭痛がすることが多く、気分もあまり良くない日があったので、行きつけのスポーツ施設、もとい、そこのお風呂が目当てなのであるが、そこにある血圧計で血圧を測ってみたら、かなり高かった。ほぼ毎日測るも落ち着かず、とうとう上が 200 mmHg を超えた。下の血圧も高血圧と診断される上の血圧を超えていたので、簡易血圧計を買って家でも測るようにした。心拍数も出るのだが、いつのまにか1分間で 100 前後が通常になっていた。

 

 職場の或るキャンパスで教員が2人倒れ、長期休養されているという話になった折、血圧の話になった。最近200を超えますよ、という話をしたら、居合わせた学部長先生から、まずは病院に行け、自分が行っているところを紹介する、今倒れられたら困る、ということで、挙句、学部長命令だ、と仰られたので、翌日紹介された医院へ行く。

 

 各種検査をされて、まぁ、色々あったのだが、とりあえず脳内出血で倒れますかねぇ、と医師に聞くと、心配するな、血圧の高さと心拍数からみると脳内出血起こす前に心筋梗塞で死ぬ、と言われた。

 

 わんさか薬を出したりしない先生で、信頼できそうであった。でもどれくらいの割合で死ぬのだろうか。まぁ、確実に人は有限の寿命を持つので、確率 1 ではあるが。

 

 薬学・脳科学研究者の池谷裕二さんの著書を読んでいたら参考になる記述があった。直接の引用はやめるが、以下のようなことである。

 

 1万人に1人感染する病気があったとする。感染するとおそらく死ぬので怖い。ところが、信頼性99%という検査薬が開発された。この病気に感染していたら99%の信頼性で陽性反応が出る薬だ。そこで検査してみる。なんと、「陽性」が出てしまった。99%感染していて近々死ぬのだろうか。

 

 その本には解説が書いてある。こういうことだ。

  1. 出てくる数字を簡単にするために、100万人の集団を考えてみよう。1万人に1人感染するのだから、100万の人がいたら100人感染しているはずだ。
  2. 感染している100人に検査薬で検査すると、99%の信頼度なので、99人に「陽性」反応が出るはずだ。
  3. 感染していない99万9900人は「陰性」のはずだが、検査薬は1%は外れるので、逆に1%の確率で間違って「陽性」と出るはずだ。人数にして、99万9900人×1%=9999人は間違って「陽性」とでてしまう。
  4. 100万人いたら、検査薬で「陽性」とでるのは、本当に感染している99人と、間違って「陽性」と出てしまった非感染者9999人、併せて1万98人だ。ということは、検査薬で「陽性」と出ても、本当に感染している確率は、

   99 / 10098 = 0.0098 ≒ 1%

と、約1%だ。だから、99%の信頼度の検査で「感染している(陽性)」とでても

本当に感染しているのは1%の確率だ。

  1. ということで、「陽性」がでても「99%」の確率で感染しているわけではない。良く計算しないといけない。

 

 ということで、今の話を応用すると、高血圧・心拍数過多で、仮に1万人に1人の割合で心筋梗塞で1年以内に死ぬとしても、また信頼できる医者の先生であって信頼度99%で予言できているとしても、実際に死ぬかどうかは1%の確率だ。

 

 気にしないでおこう。

 

 ちょっとこれを応用してみよう。まぁ、私には関係のない、仮りの話だ

 

 街を歩いていると、芸能事務所のスカウトマンと称する人に、君、アイドルになれるよ、事務所に来てアイドルにならない? と声を掛けられる。僕は凄腕のスカウトマンだから99% の信頼度でアイドルになれるか判定できるんだよ、ハッハッハ、1% はハズレルけどね、とノタマウ。アイドルになれるのは1万人に一人としよう。スカウトマンの信頼度がたとえ本当に99% だとしても、池谷さんの著書の計算と同じ計算で、アイドルになれる確率は1% 未満だ。

 

 実際には99%の信頼度のスカウトマンなんていないだろうから、声を掛けられてアイドルになれる確率はもっと低いだろう。

 

 アイドルになりたい。

 おいしい話には要注意だ。

 

 高血圧・高心拍数・高血糖値の三高なんだがなぁ。

75.さくら

 2018年の桜、正確にはソメイヨシノではあるが、開花一番乗りは我らが High Intelligence 県であった。気象庁の係の人が、お城にある標準木を午前にチェックに行ったがまだ基準に達していなくて、午後にまた行ったがまだ駄目で、もう一度、午後 4 時半ころに行ったら基準通り 6 輪の花が咲いていて、めでたく開花宣言となったようだ。

 

 古来から日本人は桜で狂騒していたようだが、最近は競争まで始まっている。

 

 古今和歌集在原業平

  

    世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし

 

を引くまでもない。

 

 桜は何故に狂おしいのだろう。坂口安吾の『桜の森の満開の下』。ちょっと、いやかなりおどろおどろしい話ではある。幻想的という言葉では片づけられないと思うのだが。

 

    桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。・・・

 

    花の咲かない頃はよろしいのですが、花の季節になると、旅人はみんな森の

   花の下で気が変になりました。・・・

 

    桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分かりません。

 

 おどろおどろしいところは、すべてカット。

 

 梶井基次郎の『桜の樹の下には』に、「秘密」は暴かれているのではあるまいか。

 

    桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている!

    これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くな

   んて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二

   三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が

   埋まっている。これは信じていいことだ。

 

 梶井基次郎と言えば『檸檬』と反射で出てくる。京都で下宿していたときは寺町通りを下っていき、果物屋を覗いてから丸善に行ったものだ。『桜の樹の下には』を初めて読んだのは高校生だったと思う。

 

 一人、下宿をして通った大学ではすでに物理学に嵌っていたが、というか、物理の勉強をするために(だけ?)大学に行ったわけではあるが、中学生の時には、かの有名な物理学者のアインシュタインの名前すら知らなかったわけで、フランケンシュタインの友人くらいの認識だったんだから、人生不思議なものだ。中学生、2年生の頃だった。1年生で同級だったギター部のW君に、ギターの「手ほどき」をまさに受けて、いっぱしのギター少年になったつもりになっていた。W 君の家で二人でギターを合わせていたが、とは言っても、私は一方的に上手くならず、中二の間にしてもらった手ほどきで、やっと F のコードを押さえれらるようになったくらいで、B は難しいなぁ、というレベルだった。

 最近、全く偶然に『さくらしめじ』という高校生(2018年現在)のフォークデュオの存在を知った。桜の季節なので、すっかり花の「さくら」と、きのこの「しめじ」を合わせた名前だと思っていたが、「サクラシメジ」という食用のキノコがあるそうだ。それはさておき、この二人のギターが実によく合っていて、しかもレベルが高い。彼らの中学 3 年生なりたての頃のビデオを見る機会があったが、いやぁ、参った、上手い。その上、上手くハモっている。二人の生演奏を聴いてみたいものだ。二人が弾き語る『ぎふと』なんか、中学生の息子がいる親にはたまらない(それは私だ)。中学校のクラス合唱とかで歌われたら親達は泣くだろうなぁ。とにもかくにも、40 年前にはギター少年のつもりだったが、とんでもなかったということが判明した。

 

     頭の中流れてる メロディに乗り飛び込むよ パラレル世界へと

 

 彼らの『スタートダッシュ』という曲に、こんな一節がある。パラレル・ワールド(世界)というのはSF(サイエンス・フィクション、Science fiction)ではよく出てくるのだろうが、最近亡くなったホーキングが唱えていた無からの宇宙創成が本当なら物理的にあり得る。量子力学のトンネル効果というものを考えるのだが、もし本当なら今でも無から宇宙ができているかもしれない。その宇宙が私たちの宇宙同様に膨張をしていけば、私達の宇宙と無関係なパラレル世界が実現する。

 別に、桜の季節に狂おしいことを書いているわけではなく、唯一の宇宙、universe ではなく、たくさんの宇宙ということで、multiverse と呼ばれている。日本の佐藤勝彦さん達がきちんと論文にしておられる。ただし、私たちと別の宇宙は、存在したとしても私たちの宇宙からは完全に分離されているので、行けない。

 ちなみに、佐藤勝彦先生を誘って数人で、high intelligence cityの飲み屋で、一緒に飲んだことがある。どうでもいいか。

 

 パラレル世界、というのではないが、空想世界の物理法則を与えて、大学生に万有引力の法則などを考えさせたことがある。ニュートンの運動法則では、物体の慣性質量をm、物体の加速度をa、物体に働く力をFとすると

 

    m a = F

 

という「運動法則」が成り立つ。ここで、「慣性質量」とわざわざ書いた量は、「物体の動き難さ」を表す量だ。これが大きいと、同じ大きさの力 F を加えても、得る加速度a は小さくなるので、物体の運動は変化しにくい。静止していたとすれば、「動かしにくい」というわけだ。

 一方、2つの物体に働く「万有引力」の法則は、物体の「重力質量」をそれぞれ

G、Mとし、2物体間の距離を r とすると、比例定数をGと書いて、お互いが受ける力の大きさ F は

 

    F = G mG MG / r2

 

と表される。ここで、わざわざ「重力質量」と書いたのは、この「質量」は「万有引力」という力を発生させるための量であることを強調しているためである。力を産みだす物理量である「重力質量」と、物体の動き難さを表す物理量である「慣性質量」は、本来全く無関係なはずだ。たとえば、電気の力だと、2 つの物体の電気量、「電荷」と呼ぶが、これをそれぞれ q、Q と書くと 2 物体に働く電気の力は

 

    F = k q Q / r2

 

となる。k は比例定数だ。このとき、電荷 q と慣性質量 m が同じものだと主張する学生には未だ会ったことは無い。

 

 ところが。

 

 重力(万有引力)に限って、「重力質量」と「慣性質量」の比が、あらゆる物体で同じなのである。そこで、比例係数を1にとって、「慣性質量」と「重力質量」は同じだと思い、単に「質量」と言っている。

 慣性質量と重力質量がすべての物体で等しいという事実が重大であるということに気づき、「等価原理」として自然法則の基礎原理に置いて重力の理論、一般相対性理論を作ったのが、アインシュタインである。フランケンシュタインではない。

 

 今は一般相対性理論の話ではなく、空想世界を考えるのであった。考えさせた問題は、こんな感じ。

 

 重力質量と慣性質量が正の量で一致している(普通の)物体と、重力質量は正の量なのだが、慣性質量が負の値を持つ(空想の)物体があり、ニュートンの「運動法則」と「万有引力の法則」がそのまま成り立っていると、世界はどうなるだろうか。

 

 入試問題では無いので、漠然とした設問で考えてもらった。

 

 普通の物体同士は万有引力で引き付けあい、運動法則から、やっぱり近づく。これは良い。慣性質量が負の物体同士は、万有引力で引っ張り合うように思うが、慣性質量が負なので、運動法則から、通常の物体とは反対方向に加速され、結果的にお互い離れていく。通常の物体と慣性質量が負の物体は、通常の物体は相手に引き付けられて追いかけるが、慣性質量が負の物体は受ける力と反対方向に加速されるので、通常の物体から逃げていく。

 結果的に、おそらく、通常物体は自分たちの万有引力で集まってきて、一方、慣性質量が負の仮想物体はお互い同士も、慣性質量が正の通常物体とも反発するので、通常物体が球状に集まったとすると、その外側へ球殻のように分布、あるいは拡散していくだろう。

 実は、大学の時に物理学志望の友人たちと遊び半分で、こんな問題やなんやらを色々設定して、どうなるんだろうねぇと、頭の中でパラレル世界に飛び込んで、しばしば考えていたりしていた。

 学生の「解答」のなかに、こんなものがあった。適当に改変して、主張を明確にして記しておこう。

 

 慣性質量が正の物体と負の物体を考え、両者の慣性質量の絶対値を等しいとしてみる。そうすると、慣性質量が正の物体はもう一方の物体へ加速度をもって動いていき、慣性質量が負の物体は、相手から同じ加速度を持って離れていく(これは先ほどの議論と同じで正しい)。ということは、この2物体間の距離 r が保たれたまま 2 物体が加速するので、物体の位置エネルギー

 

   U = - G mG MG / r

 

は r が一定で変わらないのに、運動エネルギー

 

   T = mv2 / 2 × 2

 

(最後の×2は 物体が2つということ)は、加速されて物体の速さ v が大きくなっていくので増えていくことになる。これはエネルギーの保存法則と矛盾するから、問題設定はあり得ない。

 

 あっぱれだ。

 

 ただし、負の慣性質量の運動エネルギーも、慣性質量の絶対値をとって正であるとすれば。

 

 負の慣性質量(m = - |m|= - m、(m > 0、かつ |m| は m の絶対値)の運動エネルギーが

 

    T= mv2 / 2 = - m v2 / 2

 

であれば、さっきの運動エネルギーは「2 物体」の最後の2が落ちて

 

   T = mv2 / 2 + mv2 / 2 = mv2 / 2 +( - m v2 / 2) = 0

 

で、常に 0 なので、エネルギー保存法則に矛盾せず、慣性質量が正の物体と負の物体は分離していくだろう。

 

 この問題の結果はパラレル世界にはならないが、たまには空想世界に遊んで見るのも頭の柔軟体操だ。

 

 こんなことを考えていたのは大学生時代、もう30年以上前だ。

 梶井基次郎を読んでいたのは高校生、40年近く前。

 いっぱしのギター少年だと思っていたのは、すでに40年以上前のことだ。あぁ、恥ずかしい。

 

 桜の話題が、とんだところに行きついてしまった。くるおしい。

 

 ちなみに、平安末に生きた西行 (1118-1190) は満73歳で亡くなっている。

 あぁ、もう20年後かぁ。

 

 西行は旧暦2月16日に亡くなっている。旧暦 15 日が望月、満月の日だ。如月(きさらぎ)、2 月の満月の頃だ。

 

   願はくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ

 

今年(2018年)の旧暦 2 月16日は、新暦の 4 月 1 日。月齢 14.9 の、満月。

 

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(お城のお堀代わりの江ノ口川河畔。手前右側(江ノ口川左岸、川は奥から手前へ流れている)に、寺田寅彦の生家がある。2018年3月24日撮影。既に満開の桜。)

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74.ひらめきと直感

 薬学・脳科学研究者の池谷裕二さんの著書を読んでいたら、「ひらめき」と「直感」が区別されていた。『「ひらめき」は思いついた後に、その答えの理由を言語化でき』るということで、一方、『「直感」は、本人にも理由がわからない確信を指』すとある。なるほどなぁ、と思って読む。ひらめきで解く問題の例として、

 

     1 2 4 ▢ 16 32

 

とあった時に、▢に入る数字は?というものが挙げられていた。もちろん、左の数字に順に2をかけていくという「答えの理由」が「言語化できる」ので、おそらく8だ。ひらめいた。

 

 ここで終わるとそれまでなので、こんな問題があったのを思い出したので記しておこう。

 

     1 2 4 8 16 ▢ 。さて、▢に入る数字は? 

 

まぁ、ひらめいて、32だろうと思うのが義理だ。いや、人情だ。

    

 ここで終わるとそれまでなので、円を考え、円周上に点を打っていくことを考えてみる。まずは点を2つ打ってみよう。その点を直線で結ぶと、円が2つの領域に分けられる。下の図の左上だ。次いで、もう一点打つ。そして各点を直線で結ぶと、円が4つの領域に分けられる。図の上中だ。さらにもう一点打つ。各点を直線で繋ぐと、円が8つの領域に分けられる。図の右上だ。また点を打つ。ただし、今度も各点間を直線で結ぶが、結んだ3つの直線が一点で交わらないように、新しい点を円周上にとることにする。そうすると、円は16個の領域に分けられる。図の左下だ。また、各点を結ぶ直線3本が一点で交わらないようなところの円周上に点を取る。1、2、4、8、16と来たんだから、次は32個の領域に分けられると思うのが人情だ。いや、義理か。

 

 しかし。

 

 円は32個の領域ではなく、31個の領域に分割される。こうして、先ほどの問題、『▢に入る数字は?』の答えは‘‘31’’となる。

 

    f:id:uchu_kenbutsu:20180318091555j:plain

 

 3本の直線が1点で交わらないように円周上にn 個の点を打った時に分割された円の領域は

 

   (n4 - 6 n3 + 23 n2 -18 n + 24) / 24

 

となるそうだ。証明は見たことないので、数学科の先生にでも聞いてみよう。自分も「数学物理学科」の一員なのではあるが・・・。代入してみると確かに n=2 で2、n=3 で4、n=4 で8、n=5 で16、n=6 で31、n=7 で57になる。

 

 

 ちなみに、今度は2次元平面で、1本ずつ直線を引いて面を分割してみよう。

 

 特に理由は無い。

 

 0本の直線では、何もしていないので分割も何もなく、もとの図形が1つ。1本の直線では2つに分割できる。2本では4つ、直線が1点で交わらないようにして3本の直線をひくと、7つに分割できる。1、2、4、7、11と分割されていく。下の左の図。

 

 f:id:uchu_kenbutsu:20180318091603j:plain

 

 

 ついでに、1次元の棒も分割しよう。

 

 少し理由がある。

 

 0本では1、1本では2、2本では3、3本では4つに分割できる。当たり前だ。

 ここで、表を作る。棒の分割を(A),面の分割を(B)としておく。

 

分割する線の数

右図の棒の分割(A)

左図の面の分割(B)

0本

1本

2本

3本

4本

11

5本

16

 

こうすると、

 (A)の0本の時の分割数 +(B)の0本の時の分割数 =(B)の1本の時の分割数

つまり、

    1+1=2

となっている。以下同様に、

 (A)の1本の時の分割数 +(B)の1本の時の分割数 =(B)の2本の時の分割数

    2+2=4

 (A)の2本の時の分割数 +(B)の2本の時の分割数 =(B)の3本の時の分割数

    3+4=7

 (A)の3本の時の分割数 +(B)の3本の時の分割数 =(B)の4本の時の分割数

    4+7=11 

 (A)の4本の時の分割数 +(B)の4本の時の分割数 =(B)の5本の時の分割数

    5+11=16

 

となることがわかる。(B)の分割の一般式は、n 本の直線を使ったときにできる分割の最大数として

  1 + n(n+1) / 2

が得られる。2項係数を使うと、 

  C0  + C1C2

と書ける。もちろん(A)のときは

  n + 1

2項係数を使うと

   C + C1

だ。だから、

(A)のn本の時の分割数 +(B)のn本の時の分割数 =(B)の(n+1)本の時の分割数

    ( n + 1 ) + (1 + n(n+1)/2 ) = 1 + (n+1)(n+2) / 2

となる。

 

 今度は、立体を切っていく。3次元の立体を、2次元の平面で分割するということだ。さっきの表に、分割される最大数を載せておこう。

 

分割する線(本)、面(枚)の数

直線による面の分割(B)

平面による立体の分割(C)

11

15

16

26

 

今度もやっぱり、次元を一つ落とした側、直線による 2 次元面の分割を使って 

 (B)の0本の時の分割数 +(C)の0枚の時の分割数 =(C)の1枚の時の分割数

    1+1=2

 (B)の1本の時の分割数 +(C)の1枚の時の分割数 =(C)の2枚の時の分割数

    2+2=4

 (B)の2本の時の分割数 +(C)の2枚の時の分割数 =(C)の3枚の時の分割数

    4+4=8

 (B)の3本の時の分割数 +(C)の3枚の時の分割数 =(C)の4枚の時の分割数

    7+8=15

 (B)の4本の時の分割数 +(C)の4枚の時の分割数 =(C)の5枚の時の分割数

    11+15=26

となっていて、棒と面の時の関係と同じだ。ここで、(C) の一般式は

  ( n3 + 5n + 6) / 6

となる。2項係数を知っていると、

  C0 + C1C2 + C3

になる。こうして、

 (B)のn本の時の分割数 +(C)のn枚の時の分割数 =(C)の(n+1)枚の時の分割数

    (1 + n(n+1)/2 )+ ( n3 + 5n + 6) / 6  =  ( (n+1)3 + 5(n+1) + 6) / 6

となる。

 

 まぁ、2項係数の和の公式を使うのがいいんだろうなぁ。そんなの覚えてないけど。2項係数で示してしまったら代数的に話は終わるのだが、1次元の棒の分割が2次元平面の分割に顔を出し、2次元平面の分割が3次元立体の分割に顔を出すのはなぜなのだろう。異なる次元での分割を幾何学的に示せるのかなぁ。

 

 また、数学科の先生を捕まえるか。

73. 日本の暦学・天文学

 High intelligence city での「市民の大学」の第82期、「宙(そら)を見あげて」の15回の講座が終了した。講座を企画して講師を依頼した運営委員として、感慨無量である。最終回の15回目には、私を除いて講師を務めて頂いた方12名のうちの2名を招いた。最初20分ほど私が講座の振り返りとまとめを行い、その後、講師の方に補足をして頂いた。それから先は、せっかく2名の講師が来ているので質問タイムにする。

 質問のための時間を割と確保していたので、万が一、質問が出ないで時間が余ったらいけないと思い、「宇宙観の変遷」といった感じの初回の私の導入の話の補足として、スライドを用意していった。宇宙観の話はどうしても西洋中心になるので(第69回参照)、日本の天文学、主に暦学ではあるが、それを予備として準備しておいた。

 質問はいい感じで多く出されて、講師の方が答えてくれたので、結局、質問を打ち切る形になって、私の「時間が余ったらどうしよう」の心配は杞憂に終った。

 

 でも、まぁ、せっかく準備していたので、どんな話をする予定であったか、記録しておこうと思う。

 

 第69回にも記したことだが、再度確認しておこう。

 『中国では、皇帝、すなわち天子は天帝の意思を受けて政治を行うとされていた。天の意思は「天文」現象に現れるとされ、天帝の意思を見落とさないように、天文官を設けて天体観測を行っていた。天と天子は密接な関係があり、これを天人相与と呼び、支配者や王朝が変わった時には新たに天命を受けたとして改暦を行った。天の命が革(あらた)まる、すなわち革命だ。また、中国では、このように天帝の意思が天文現象に現れると考えられていたので、宇宙は不変であるとは考えていなかった。』(第69回より抜粋)

 中国では、天使は天命を受けて「時(宙)空(宇)」を支配するとされていた。こうして、天の運行を精確に観測し、それに基づき人民に「暦」を授けなければならない。これは観象授時と呼ばれる。

 紀元前4世紀には石申なる人物が「石氏星経」と呼ばれる星座表を作っていた。二十八宿、他に86星座が記されているという。

 日本では、古墳時代に「星宿図」が、高松塚古墳キトラ古墳の天井に描かれた。これらを、例えば中国、舞踊塚古墳の天井星宿図に比べれば、かなり精緻に描かれていることがわかる。舞踊塚古墳は5世紀頃なので、高松塚とそう大差ない時代だ。高松塚古墳などの星宿図はかなり精緻なので、進んだ天文の知識が必要のはずで、当時、日本独自ではありえないので、渡来人の指導・影響だろう。

 

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          高松塚古墳星宿図(文化庁パンフレット)

 

 飛鳥時代から、日本ではどうなっていただろう。まず、533年(欽明天皇14年)、百済暦博士を求めた。これに応じて、534年、百済から固徳王保孫(ことくおうほそん)がやってくる。また、602年には、百済の僧、勧勒(かんろく)が渡来。671年(天智天皇10年)、漏刻(水時計)が作成され、675年(天武天皇4年)には占星台が置かれ、天文観測が為され始める。天の異変を監視する役割をしたのだろう。

 暦に関しては、もちろん中国から輸入された中国暦を用い始めた。ひと月29または30日で、19年に7回閏月を置く太陰太陽暦である。700年頃の持統天皇の時代になると、日月食の予報を日本人が行うようになったようだ。朝廷の天文官は代々、土御門家、後の安倍家が担う。

 

 平安・鎌倉時代まで話を飛ばそう。

 小倉百人一首の選者、新古今和歌集の選者というべきか、藤原定家(1162-1241)は、自身の日記、明月記にいくつかの新星の記録を残している。特に、「後冷泉院、天喜二年」、1054年超新星の記録を残しており、現在、この超新星爆発の痕跡が、蟹星雲として残っている。かに星雲の中心には中性子星がある。ヴェラ・パルサーだ。1054年は定家が生まれる前なので、陰陽寮漏刻博士であった安倍泰俊から聞いたことを書き記していたようだ。

 その、安倍泰俊の養父は安倍泰忠という人であるが、この泰忠の4代あとに、安倍泰世という人物がいる。彼は「格子月進図」と呼ばれる、紙に書かれた日本最古の星図を描いている。星座の間を月が進む図であるが、現物は戦争で焼けてしまったそうだ。

 

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              格子月進図(国立天文台

 

 どんどん飛ばして、戦国時代末期から江戸時代へ。1543年、ポルトガル人が初めて種子島に来航し、鉄砲を伝えた。「以後(15)予算(43)で作ります」と覚えたものだ。1543年は、丁度コペルニクスが「天球の回転について」を出版し、天動説から地動説への転換が図られ始めた年だ。その後、日本へは、宣教師が西洋天文学と宇宙観を伝えはじめる。しかし、例えば、朱子学者で徳川家康に仕えた林羅山のような当時の学者は、「天は円、地は方形、地下に天があるはずがない」として、地球が球であることを受け入れなかったようだ。

 1618年には、天文航海術、すなわち天文観測による船の位置(緯度)の測定法などをポルトガル人から教わり、書物に纏めている。池田好運の「元和航海書」だ。正午の太陽の高度を測定して緯度を計算する方法である。

 1639年にはオランダ船以外、西洋との行き来を禁じる鎖国政策が江戸幕府により採られる。中国とは行き来があったが。こうして、長崎通詞の職にあるものしか海外の書物に触れることができなくなった。それでも、1680年頃に、西洋天文学を紹介した中国の書である『天経或門(てんけいわくもん)』が伝わった。

 

 ここで、日本で採用された暦を纏めておこう。

 

  暦法             期間              編集者

・ 元嘉暦 : 690年(持統天皇4年)-697年(文武天皇元年) : 何承天

・ 儀鳳暦 : 697年(文武天皇元年)-763年(天平宝字7年) : 李淳風

・ 大衍暦 : 764年(天平宝字8年)-857年(天安元年)    : 僧一行

・ 五紀暦 : 858年(天安2年)   -861年(貞観3年)   : 郭献之

・ 宣明暦 : 862年(貞観4年)   -1684年(貞亨元年)   : 徐昂

・ 貞亨暦 : 1685年(貞亨2年)  -1754年(宝暦4年)    : 渋川春海

・ 宝暦暦 : 1755年(宝暦5年)  -1797年(寛政9年)    : 安倍泰邦

・ 寛政暦 : 1798年(寛政10年) -1843年(天保14年)   : 高橋至時、他

・ 天保暦 : 1844年(弘化元年) -1872年(明治5年)   : 渋川影佑、他

     

鎌倉・室町・戦国の武家の時代は余裕がなかったのか、改暦はされていない。中国で作られた宣明(せんみょう)暦が、862年の平安時代から、1684年の江戸時代前期まで使われていた。

 宣明暦であるが、小林義信謙貞が宣明暦で起きると予想された1683年の月食は起こらないと指摘し、月食は実際に起きず、800年用いてきた宣明暦の、天体運行とのずれが顕著になっていることがわかる。

 現在、囲碁の世界では、本因坊戦が権威あるが、本因坊はもともと、幕府囲碁職にあった家の名前だ。幕府囲碁職は林、本因坊、安井、井上の4家が務めていたが、幕府囲碁職安井算哲の子、二代算哲を名乗った渋川春海(1639-1715)は、天文の世界でも優秀であったようだ。1280年頃に中国の元王朝で作られた暦が「授時暦」であるが、作られてから400年使われていた。春海は授時暦の優秀さを知り、月食の予測にも失敗するような不備のある宣明暦を改暦しようとした。そのことを1673年に申し出たようだ。1683年に『大和暦』なる暦を作成する。しかしながら、朝廷の土御門家が改暦に反対した。その理由が、元寇の国が作った暦に基づいている、であるから難癖だ。それでも、月・惑星の運行を観測すると、『大和暦』が優れていることは明らかであったので、結局、新しい暦として採用されることになる。これが『貞享暦(1685-1754)』で、日本人の手により作成された初の暦であった。まさに、日本の科学的天文学の成果といえる。

 

 春海すごい!!ちなみに、「天地明察」という映画になって、ジャニーズの岡田准一くんが春海を演じている。

 

 江戸幕府八代将軍徳川吉宗(1684-1751)は、天文暦学に強い関心を持っていた。自らの時代に改暦を、との希望があったようだ。江戸城の絵図には、江戸城内に「新天文臺」の文字が見える。天文台を城内に作って天文観測を自ら行っていたのかもしれない。吉宗存命中には改暦はかなわなかったが、1755年に、陰陽頭の土御門泰邦により『宝暦暦』が作成され、改暦された。しかし、宝暦暦は貞享暦より劣っている暦にしかならなかった。例えば、1763年の日食の予言に失敗している。

 ちなみに、土佐の天文家、川谷致真(むねざね)は、日食が起きることを予測していた。致真は今の高知県の東洋町というところに居たそうだが、日食の予言に成功し、高知城下に招かれ暮らすようになる。号を薊山(けいざん)という。高知に薊野(あぞうの)という難読な地名があるので、致真は薊野に暮らしたようだ。墓も薊野にあるという。さらに、ちなみに、土佐の片岡直次郎秀峰は彼の下で天文を学んでいた。この人は、土佐で天文観測を行っており、その際に据えた渾天儀の台座が、平成の大合併で村の名前は消えたが、旧葉山村役場の前に残っているということを、「市民の大学」の第13回の講師の先生から教わった。

 

 西洋天文学の受容に関してであるが、本木良永(1735-1794)が『天地二球用法』を1774年に著す。これはオランダ語の書物の翻訳であるが、コペルニクスの地動説を紹介している。志筑忠雄(1760-1806) は、英国人の著書のオランダ語訳をさらに翻訳した『暦象新書』を1801年に著す。これには、ニュートン力学に基づく太陽中心の惑星運動が記述されている。注目すべきは、太陽系形成論に関して、志筑自身が「混沌分判説」というアイデアを出していたことだ。ラプラスの太陽系形成論である、カント・ラプラス星雲説が出されたのは1796年であるので、ほぼ同時期に出されていることになる。

 麻田剛立(1734-1799) は中国の天文書「暦象考成」を研究し、惑星運動のケプラーの第1法則(惑星の楕円運動)を理解し、纏めている。麻田剛立の弟子には、高橋至時(よしとき)や間重富がいる。

 その高橋至時(1764-1804)であるが、1795年に幕府天文方に就任している。そして、間重富(1756-1816)とともに改暦の命が下され暦を作成し、1797年に天皇から改暦宣下を受ける。これが『寛政暦』である。しかし、1802年の日食の時刻が、予想より15分ほどずれたことから、至時は、改良の余地ありと判断する。しかし、志半ばで亡くなる。

 ちなみに、高橋至時に入門したのが、至時より年長の伊能忠敬(1745-1818)であり、忠敬は土佐でももちろん測量していて、「大日本沿海輿地図」を作っている。旧赤岡町の赤岡中学校の前で観測した跡があると、これも第13回の講師の先生から教わった。こうして知識が増えてきて、楽しいったらありゃしない。

 寛政暦を引き続き改良したのは、高橋至時の次男、渋川景佑(1787-1856)である。景佑が今度は伊能忠敬について、測量術を学ぶ。景佑は幕府天文方になり、至時が始めた西洋天文書の翻訳を完成させる。『新巧暦書』(1836)である。彼が中心になり、1842年に『天保暦』への改暦が行われる。この暦が太陰太陽暦最後の暦になった。

 

 こんな話をしようと考えて、スライドを用意していたが、使うことは無かったので、記しておいた。知らないことが多かったが、江戸時代には九段坂にも天文観測所があり、彗星観測記録が残されて居るそうだ。講座の第14回には、イケヤ・セキ彗星の発見者である関勉先生を講師にお招きした。彗星ハンターの第一人者だ。ツーショットで写真を撮って頂いた。「市民の大学」事務局の男の子からは「ミーハーなんだから」と言われながらも。

 

 葛飾北斎富嶽百景に、鳥越の不二という絵がある。浅草天文台を通して見た富士山だ。手前に天体観測をするための簡天儀が見える。簡天儀とは、渾天儀から、太陽の通り道である黄道環を取った天体観測儀だ。

 

 明治に入ってから、特に最近の日本の天文学者の紹介もしようかと思ったが、それは口頭でと思い、スライドは作らなかった。それで、ここまで。

 

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         葛飾北斎「鳥越の不二」(国立国会図書館

72.戦争の記憶

 High intelligence city での「市民の大学」の運営委員会。無事に進行し、終了後は年に一度の懇親会。80歳前後の大先輩のお二人の近くに座って話をする。私が50歳過ぎということで、

 

「なんだ、まだ子供かぁ。」

「まだ、しょんべん垂れやないか。」

 

と言われながら、楽しい夕べ。

 

 話は色々動き、現在の政権の話になる。そこから、太平洋戦争の話。お二方とも戦中派だ。

 

 お一人の先生は、High intelligence city のご出身で、子供の時の空襲の話を聞かせてもらった。潮江という地区にお住まいで、潮江地区は名前のとおり海に近いが、海に向かって小高い山があり、お住まいは山際だったとのこと。

 そこへ、ある日の早朝、おそらくまだ深夜だろうが、米軍の戦闘機、B29が飛来してきた。お住まいは山際で、飛行機にとっては危険なのでご自宅付近に爆弾は落とさなかったが、海側から入ってきたB29は、「桟橋通り」と呼ばれる、路面電車の走る大通りに沿って焼夷弾を次々落としていったそうだ。暗い空が真っ赤になったのを覚えていると仰られた。昭和20年3月7日に桟橋通りに爆弾を落とされているが、おそらくお話は7月4日の大空襲のことだと思う。50から80機のB29戦闘機が南の海側からやってきて、市街地を焼き尽くした大空襲だ。ご自宅は山際で幸い無事だったそうだが、戦争が終わった時にはご両親は既に無く、戦争孤児になる。戦後は食べるために「はりまや橋」で靴磨きをしたり、しばらく後には新聞配達をしたりご苦労されたようだ。余り仰らないが。

 

 う~む、もっと聞きたい。

 

 もうお一方の先生は83歳で、広島のご出身。ご自宅は広島市内だが、8月6日には市街から100km ほど離れたところに疎開していたそうだ。8月6日の朝は8時から学校に居ると、暫くして広島市街の方がピカッと光ったのを見られたそうだ。言わずと知れた新型爆弾、8時15分投下の原爆である。当時は何かわからなかったそうだが。後に自宅に戻ると、爆風で近くのガラスが破片となって飛んできて、ご自宅の壁に突き刺さっていたそうだ。ご自宅と爆心地は2kmほどの距離だったそうだが、間に山があって直接爆風は来ないはずだが、それでも強烈な爆風は山を巻いて、割れたガラス片をご自宅の壁に突き刺した。ご自宅を解体するとき、ガラス片の刺さった壁は原爆資料館が請うて引き取ったそうで、現在、原爆資料館に展示されている。

 

 いい加減な(良い加減ではない)政治の時代だ。戦中派の話を聞いておく必要を感じる。

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71.二十四節気と太陰太陽暦

 「今日は立冬、暦の上では冬」なんていうニュースが毎年秋に流れる。今年もそうだった。日本には、立春立夏、立秋、立冬の「四立(しりゅう)」がある。もちろん、もともとは中国のものだ。夏至冬至春分秋分の「二至二分」は西洋でも意識しているが、四立があるのかは知らない。

 

 二至二分は、太陽の動きを観測していればわかる。そこで、冬至春分の中間を立春春分夏至の中間を立夏夏至秋分の中間を立秋、秋分冬至の中間を立冬と決める。こうして、8つのポイントが決まるが、各ポイント間をさらに3つに分ける。例えば、立春春分の間を3つに分け、立春春分の間に、雨水(うすい)、啓蟄(けいちつ)の2つのポイントを入れ区切る。こうして、1年、たとえば立春から次の立春までを24に区分する。

 

 二十四節気だ。

 

 そうすると、この区分を2つずつ纏めると1年を12に分けることができるので、2区分で「ひと月」とする。

 

 忘れないように書いておこう。

 

呼び名

 

二十四節気

 

1月

睦月(むつき)

立春(りっしゅん)

正月節

雨水(うすい)

正月中

2月

 

如月(きさらぎ)

啓蟄(けいちつ)

二月節

春分(しゅんぶん)

二月中

3月

弥生(やよい)

清明(せいめい)

三月節

穀雨(こくう)

三月中

4月

卯月(うづき)

立夏りっか

四月節

小満(しょうまん)

四月中

5月

皐月(さつき)

芒種(ぼうしゅ)

五月節

夏至(げし)

五月中

6月

水無月(みなづき)

小暑(しょうしょ)

六月節

大暑(たいしょ)

六月中

7月

文月(ふみづき)

立秋(りっしゅう)

七月節

処暑(しょしょ)

七月中

8月

葉月(はづき)

白露(はくろ)

八月節

秋分(しゅうぶん)

八月中

9月

長月(ながつき)

寒露(かんろ)

九月節

霜降(そうこう)

九月中

10月

神無月(かんなづき)

立冬(りっとう)

十月節

小雪(しょうせつ)

十月中

11月

霜月(しもつき)

大雪(たいせつ)

十一月節

冬至(とうじ)

十一月中

12月

師走(しわす)

小寒(しょうかん)

十二月節

大寒(だいかん)

十二月中

 

 1月から3月までは春、4月から6月までは夏、7月から9月までは秋、10月から12月までは冬となり、確かに春、夏、秋、冬の始まりに立春立夏、立秋、立冬が来ている。

 

 しかし、旧暦では「月」はお月様の動きで決めるので、「ひと月」は新月から始まり、15日の夜に満月、すなわち十五夜を迎え、次の新月の前に終る。お月様が地球を一回りするのが29.5日だから、ひと月は29日、または30日である。上の表のように、二十四節気のうち、月の最初の区切りを「節」、あとの区切りを「中」と名付ける。こうして、「中」が入っていることで「月」を決める。たとえば、「正月中」の「雨水」が入っている月は「1月」、「二月中」の「春分」が入っている月は「二月」といった具合である。また、秋分が入る月は「8月」、冬至が入る月は「11月」と決める。

 

 お月様を基本にすると1年だいたい354日になり、そうすると、太陽が1周する1年365日とは、ずれる。したがって、新月から次の新月までに「中」が入らない月がときどき存在してしまう。そこで、「中」が入らない月は「閏月」として余分にひと月を挿入し、その場合には1年が13ヶ月あるようにする。19年で7回閏月が現れる。

 

 これが太陰太陽暦で、月の動きをもとにして暦を決めるが、二十四節気といういわば太陽暦をうまく組み合わせている。なかなか感心する。

 

 「今日は旧暦の何月何日」とカレンダーに書いてあったり、地方局のテレビの天気予報で聞いたりするが、「立冬」はどうして「今日」なのか、説明を寡聞にして聞いたことが無い。旧暦のことなんか、学校で習わないし。雑談がてら、誰かちょっと話してくれたらいいのに。

 

 ここで記した太陰太陽暦は、1844年(弘化元年)から1872年(明治5年)まで使われていた暦で、渋川影佑らが作成した日本製であり、弘化元年が天保15年なので、天保暦と呼ばれる。明治5年以降は現在の太陽暦が使われているので、最後の旧暦だ(なんか変な言い方だが)。

 

 ところで。

 

 2033年には、「中」である秋分が今の暦の9月23日にあたり、秋分の入る月は「8月」とする約束なので旧暦8月とする。次に霜降が今の暦の10月23日にくるので、霜降が入る新月から新月までのお月様の動きによる旧暦ではここは「9月」になる。

 

 ところが。

 

 次の新月から新月までに、小雪(今の暦の11月21日)と冬至(今の暦の12月21日)の二つの「中」が入ってしまう。冬至が入る月は「11月」という約束なので、「10月」が入れられなくなる。

 

 一般社団法人日本カレンダー暦文化振興協会のホームページを見ると、冬至を優先して、冬至の入る月を「11月」、その前月は「10月」、その前月は秋分が入るので本来8月なのだがあきらめて「9月」とし、秋分がはいる前の月は「中」を含まないので本来は閏月で「閏7月」となるのだが、ここを「8月」にして、旧暦を作成することを推奨しているようだ。

 

 1844年に天保暦が作成されて以来、189年目にして初めて浮上した問題だそうだ。色々興味深いことがあるものだ。