45.コリオリ力・フーコーの振り子・台風
ポルトガルのコインブラ大学に滞在し、共同研究を行う。日本にいると相当量の研究・教育以外の大学運営・人事管理などの仕事に追われ、落ち着いて物を考える時間が無い。海外の研究室に滞在させてもらって、適度に議論しながら研究を進めるのが最近の研究方法と化してきている。コインブラ大学は、日本の富士山と同時期に、世界遺産に指定されている。世界遺産で講義を聞く学生さんは如何なる心境なのだろうか。
滞在するのは物理教室。といっても、巨大な建物1棟丸々である。玄関を入るとフーコーの振り子が取り付けられている。振り子はゆっくり揺れているが、時間がたつと、振り子が振動する面が回転していく。その原因は地球の自転にあるので、地球の自転を目に見せる実験ともいえる。実際に、フランスのフーコー(1819-1868)が、パリのパンテオンで実験をするときにおそらく招待状に記したであろう言葉が、コインブラ大学のフーコーの振り子にも書いてある。
「Je vous invite à voir toruner la Terre」
(地球の回転を見るよう、私はあなたを招待します。)
フーコーが初めて実験したパリのパンテオンは、フランス遊学中に自宅のアパルトマンからパリ大学に通う途中にあった。もちろんそこでも、フーコーの振り子は揺れている。
地球は自転しているので、地上にいる私たちは慣性系に居るのではなく、回転座標系に居る。回転座標系から振り子の振動を見ているので、振動面が回転していく。すなわち、振り子の振動面が回転していくのを見るということは、地球が自転(回転)しているのを見ているというわけだ。
なぜ、地球が回転していると、振り子の振動面が回転していくか。これは、回転座標系という非慣性系で運動を見ていることにより生じる見かけの力の影響である。この見かけの力をコリオリ力という。コリオリは人の名前。
大学の物理で習う程度の問題なので、ここではごく直感的に見ておこう。
まずもって、簡単化して、地球を北極の真上から眺めてみよう。地球は反時計回り(左回り)に自転している。このとき、北極点から振り子が図1のAの方に揺れたとすると、地球は自転しているので、Aにいた人は回転してBの位置にいるだろう。ちょっと図は極端に描いているが。回転座標系、すなわち地球にいる人は、自分に向かってきた振り子の重りは、上から見て右にそれていくように見える。振り子が戻っていくときにも振り子の進行方向に対して右にそれるように見える。これを繰り返すと、振り子の振動面は回転していくように見えるというわけだ。振り子の振動面は回転せず自分が回転しているのだが。
今は北極で考えたが、適当な緯度のところでも原理は同じだ。ただ、極では振り子の振動面は1日1回転するが、適当な緯度では回転の角は小さくなり、赤道では零になる。緯度がどれだけなら、どれだけ回転するか計算できるが、三角関数出てくるのでここではやらない。北半球の極以外では、北に向かう物体は右に逸れていくように見える。これが見かけの力、コリオリ力の影響だと考える。この計算もここではパス。回転座標系で運動方程式を立てたら、見かけのコリオリ力が出てきて、それを取り込んで運動方程式を解けば宜しい。でもここでは直感的に理解できたらよしとしよう。
コリオリ力は夏の終わりから秋ごろ、特によく目にする。台風の風である。
台風は発達した低気圧であるので、気圧の高い方から低い方へ空気が移動するため、台風の目の方に向かって風が流れる。このとき、北半球では、見かけの力、コリオリ力のため、風の進行方向に対して右側に逸れるように流れていく。もし、台風が周りの空気を引き込む強さと、コリオリ力の大きさが等しければ、空気の流れ、すなわち風は台風にひこまれずに、左回りに回るだけだ。台風の目に引き込まれようとしても、まっすぐ目の方には進まず、右に逸れる。釣り合っていると引き込まれず、目の周りをくるくるまわる。ところが、空気を引き込む方が実際には強いので、風は台風の目の周りを左回りに回りつつ、目の方に吸い込まれる。こうして、図2の右のような風の流れになる。これが、経験することだ。
44.夏の終り
子供の時分から、何かあるたびに結核を疑われた。
小学生時代。ツベルクリン反応では要検査に廻されるもいつも何もなし。面倒なので、注射された日は家で注射された場所を手でこすって、だいたい良さそうな大きさの赤い丸を注射痕に作っていた。
中学になると成長期なので体の成長に体の機能が追い付かないのかして、時々貧血状態になっていた。2年生のころ、微熱が続くので診療所に行くと、やはり結核を疑われた。検査するも何もなし。なぜか頭に中国伝来の針を刺された。その医者、その頃、中国鍼灸がマイブームだったのだろう。
高校1年のとき、体育の時間でハンドボールをしていたときのこと。相手チームの仲の良い友人がシュートをしようとしたときに、誰かがその友人を引っ張った。で、彼はバランスを崩し、運悪く、放ったシュートの軌道がそれて、至近距離から私の左目に直接当たった。
脳震盪。
しばらくして立ち上がったが、どうも左目がもやもやして見にくい。別に痛くもかゆくもないが、視界に白黒のオーロラが架かっているようで、目の中で何かゆらゆら揺らめいている。高校から家に帰って、やっぱりおかしいので親に言って眼医者に行く。そうしたら眼底出血しているのでまずい、今日はとにかく風呂も入らず安静にしろ、ここではどうしようもないので大学病院紹介するから明日すぐに行け、そうでないと失明するぞ、と散々脅かされた。
でも、痛くもかゆくもない。目を開けていても目をつぶっても、いつもオーロラが見えるだけ。
失明するのも、やだから、翌朝、紹介された私立大学の大学病院に電車とバスを乗り継いで行く。その日は眼科の診察日では無いらしく、インターンに見てもらった。
目薬を差される。といっても、目に潤いを与えるためではなく、これから目の奥を見るので、光を当てても瞳孔が閉じなくするための薬であった。効き目が出てくるまで待つこと30分。だんだん瞳孔開いてくるので、待合で本も読めなくなる。瞳孔開ききった状態でインターンに見てもらうも、左目いじりながら、
「あっ、しまった!」
とか言いよる。何ミスってんだよ、ミスっても患者の前で声に出すなよ、と思うが、未熟そのもののインターンだから仕方がない。やつも医者になったのだろうか。
数日後、正規の医師の診察の日に再び大学病院を訪れる。結果は網膜剥離と眼球振盪と硝子体出血。網膜剥離して眼球に血がわっと飛び散って、それが固まって糸くずのようなものになって、それが集団になってうごめいてオーロラのような、いつも影が見えるようになっている。眼球の血を取り出すわけにもいかず、40年近くたった今も、左目の視界にはオーロラが揺れている。
どうやら模範的な眼底出血だったらしく、何度か大学病院に通ううちに、ある日、眼科医である大学教授が診察するときにインターンだか学生だかを大勢引き連れてやってきて、
「綺麗な眼底出血だからよく見ておくように。」
とか何とか言って、学生たちに薬で瞳孔開ききった私の左目を順々に覗き込ませよる。なかにはスケッチしている奴もおる。なんなんだ、大学病院。
眼底検査では他の病気も見つかることが多いらしい。そこで、やはり、おきまりの結核を疑われた。なんで、眼底覗き込んで結核がわかるのかは知らないが。そこで、目の治療に加えて結核検査に回されるも、やはり異常なし。もはや、馬鹿々々しく感じるレベルに達していた。
結核と言えば、咳して喀血して早死に、という沖田総司や石川啄木や太宰治なんかの偏ったイメージしかなかったので、いつも結核かと疑われると、二十歳までには死ぬのかと思っていた。ちょっと歴史好きで、戦国時代の竹中半兵衛重治が良いなぁと思っていた頃だった。竹中半兵衛も結核だった。四国松山の正岡子規も結核だ。そもそも筆名の「子規」はホトトギスのことで、中国の故事では、蜀の皇帝になったある男が、帝位を譲ってから亡くなったあとホトトギスに化身したが、蜀が秦に滅ぼされ、悲しみの余りそのホトトギスは血を吐くまで鳴き、くちばしが朱くなったと言われており、それで、結核で喀血していた正岡子規が自分の筆名を「子規」とした、と聞いたことがある、のかどうだったか、後年、松山の記念館に行ったときに解説を読んだのか、したことがある。
吐血は黒いが、喀血は朱い。
自分も二十歳で喀血して死ぬ。
しかし、予想は全く外れた。
哺乳動物の寿命は、だいたい心臓の鼓動が 20 億回くらいで一定していると読んだことがある。「こんな計算をした人がいる。・・・寿命を心臓の鼓動時間で割ってみよう。そうすると、哺乳類ではどの動物でも、一生の間に心臓は二十億回打つという計算になる(ゾウの時間ネズミの時間、本川達雄、中公出版)。」ヒトの心拍数は1分間 60 から70 くらいだそうだ。間を取って 65 とすると、20 億回拍動するための時間は
2000000000 (回) ÷(365.25 (日/年) × 24 (時間/日) × 60 (分/時間) )÷ 65 (回/分)
= 58.50 年
となり、寿命は 58.5 歳となる。なんだ、合ってないじゃないか。ちょっと短い。平均寿命 80 歳とすると、27 億回くらい拍動してくれないと困る。
2700000000 (回) ÷(365.25 (日/年) × 24 (時間/日) × 60 (分/時間) )÷ 65 (回/分)
= 78.97 年
これでほぼ 79 歳の寿命だ。
子供のころから人より心拍数が多かった。小学校や中学校で踏み台昇降なんかしたら、1 分間に 170 回くらいの脈拍になって驚かれていた。今でも、1 分間の脈拍は安静時に 80 回を下回らない。ということは
2700000000 (回) ÷(365.25 (日/年) × 24 (時間/日) × 60 (分/時間) )÷ 80 (回/分)
= 64.16 年
ちょっとやばいぞ。こんな計算せずとも、
78.97:(1 / 65)= x :(1 / 80)
から、
x = 78.97÷80×65 = 64.16
と、比の計算で出る。二十歳ってことは無いが短そうだ。でも。
予想は全く外れる。
ことにしておこう。
それよりなにより、心臓の鼓動一定の法則があるのなら、運動せずに常に安静にしておいた方が心拍数は少なく抑えられるので長命になるはずだが、適度の運動は健康に良いというは、なんなんだかなぁ。まぁ、第0近似くらいに考えておこう。
二十歳までに結核で死ぬのかと思っていた中学時代。中学 2 年のことだ。2 年のクラスは 7 組だったが、2 年 7 組の近くに 1 年生の何組かのクラスの教室があった。休み時間などに必然的に 1 年生とも出会う。
その中に、今で言うところのイケメンの男の子が居た。カッコいいというか。中 1 だから可愛いというか。カッコ可愛いというか。何か気にかかった。
1 級下の T 君。小学校は同じだったのだろうが、いかんせん、私は小学 5 年の 1 月に転校してきたので、300人近くいる同級生ですらよく知らない。ましてや、1 学年下にどんな子が居るのか知る由もなかった。中学に入って 2 年たって、初めて見かけた。
中学校に入学した早々、同級生の W 君と知り合ってギターを教えて貰っていたころのことだ。W 君が貸してくれた LP レコードに入っていたオフコースの「夏の終り」をよく聞いていた。いきなりサビの A メロ(ディ)で入り、間奏置いて B メロで進行する。そのあとサビに戻るのかと思いきや、短く別の C メロが挿入されてからサビの Aメロに戻るという構成だった。C メロのところが気に入っていた。
中学 3 年になった。生徒会の役員選挙が 4 月にあったが、2 年生になっていた T 君が立候補した。3 年になっていた W 君も立候補した。全校生徒による選挙で 2 人とも当選した。私は、学級代表になっていて、学級代表で組織する議会の議長に選ばれた。議会の議長も生徒会執行部入りして、生徒会役員とともに生徒会運営をすることになっていた。それで、1 級下の T 君と直接話をし、彼の声をきくようになった。
すぐに仲良くなった。生徒会の集まりだけでなく、休みの日に一緒に自転車で出かけることもあった。学年が違っていたが、何だか安心して話ができた。学年は違うとはいえ生徒会室などで話をしているのに、家で電話で話をすることもあった。あの頃のこと今では、曖昧な記憶と鮮明な記憶がないまぜになっている。何を話していて盛り上がっていたのかは、もう覚えていない。
一足先に中学を卒業し、1 年後、T 君も中学を卒業した。お互い、別の高校に進んだ。それでもよく電話で声をきいた。学年が違い、高校も違うのに、何をそんなに話があったのかも覚えていないが、中学卒業後も交流が続いていた。
高校在学中から、T 君は劇団に所属するようになった。並行してモデルの仕事も始めた。電話でそんな話を聞いていた。そりゃぁ、カッコいいもんなぁ。量販店の広告の服のモデルをしたとか、カラオケで流れる映像に出演したとか、色々活動を聞かせてくれた。ばったり彼を何かの媒体で目にすることを楽しみにしていた。
T 君が高校 3 年生になっていた頃、私は家を出て、大学 1 年であった。それでも、二人で会って話すことがあった。あるとき、T 君は大学進学をしないことにしたと言った。周りの友達が大学進学をして過ごすであろう 4 年間、劇団で演劇に賭けてみたいんだと言った。驚いたが、そんな生き方もあるのか、大変な決断だなと思った。
T 君は高校を卒業し、劇団で本格的に演劇をするようになっていた。あるとき電話がかかってきて、公演があるから見に来てくれないかと言った。主役であった。帰省していた高校時代の仲の良い友人、そう、高校 1 年の時にハンドボールを左目に命中させた彼を誘って、T 君が主役の芝居を見に行った。舞台の上、T 君はそこにそのままで輝いていた。誘った友人はその劇を見て、猛烈に感激してくれていた。誘った甲斐があった。
T 君が高校を卒業してから 4 年たった時には、私は大学院に進学して 1 年がたっていた。T 君はその後も役者の道を続けていたと思う。ほどなく T 君は結婚され、私は大学院で勉強や研究を続け、大学院修了とともに別の大学に職を得た。結婚した T 君は転居し、私も転居し、結婚し、海外に出て、帰国し、転居を重ね、時はさらさら流れていき、いつの間にか T 君の住所も分からなくなってしまった。T 君も同じなのだろう。年賀状のやり取りも途絶えてしまった。
子供が中学に進学した。しかし、自分の中学時代はすぐこの間のように感じる。
T 君との遭遇も青春の物語の断章となった。
すでに、人生、朱夏の時代も終わりに近づきつつある。
駆けぬけてゆく夏の終りが近い。
43.音階
子供が中学校に入学した。自分の中学時代なんて、ついこの間のような気がする。小学生の時の記憶は曖昧になっているが、中学生になると俄然よく覚えている。だから、ごく最近の出来事であったような気がするが、子供が中学生になったということは、遥か彼方のことなのかもしれない。
中学 1 年の時、出身小学校が違う W 君とすぐに親しくなった。W 君はギター部に入り、クラシックギターを弾いていた。しばらくするとアコースティクギターも上手なことがわかった。当時はフォークギターと呼ばれていたのだが。ギター好きなだけあって、音楽、特にポップスが好きであった。
クラスは別れたが、中学 2 年になっても仲が良かった。彼の家でギターを教えてもらった。おまけに、当時はレコードの時代であったが、LP レコードを貸してくれたりした。LP は値段が高く、プレーヤーにかけて針が跳んでレコードに傷でもつけたら大変だ。それでも「聞いてみたら」という感じで貸してくれた。
フォークソングの時代を過ぎ、いわゆる「ニューミュージック」と呼ばれる音楽が盛んになっていた頃であった。“オフコース”の LP なんかを貸してくれた。ギターを教わりつつ、自分一人で練習するために、楽譜集を買って来て弾いていた。
フォルテもフォルティシモもピアニッシモもピアノもクレッシェンドもデクレッシェンドもダル・セーニョもコーダもフェルマータもア・テンポも、レコードを聴いて楽譜を見て自分でたどっていくうちに意味を覚えた。音楽の授業でやったのかもしれないが、興味が無いときには入ってこない。和音も覚えた。といってもコードはC、Dm、G7、C みたいな黄金のコード進行。B とか出てくるとコードを抑えにくいので、最初っから転調しておいて、C とか G から始まるようにした。そんなことが出来ることも知った。カポの存在を知ったのは暫くしてからだ。
ここで時代は飛ぶが、中学 2 年 14 歳のころから 30 年以上たち、子供が小学 4 年生の時にローマに行って家族で地下鉄に乗ったら、駅を発車するごとに車内アナウンスが「プロシマ フェルマータ エ ○○ ( la prossima fermata è ○○)」と言っていた。次の停車駅は○○くらいの感じであるが、フェルマータがイタリア語で、また、停止の意味であると知って、驚いた。フェルマータなんて言葉は音楽にしか出てこないものだと思っていた。ちゃんと勉強してこなかったからこうなる。
中学 2 年生の秋、3 年生が主体の生徒会執行部が企画・運営をしていたいわゆる文化祭の運営のお手伝いを、2 年の私と W 君もすることになった。文化祭は 11 月の初めに行うのであるが、その前日には、文化祭の当日、体育館の舞台でおこなうクラブの演奏や、オーディションで選んだバンド演奏やダンスの披露などのリハーサルを、文化祭当日と同じスケジュールで行う。前日は普通の平日で、リハーサルを行うのは放課後になるので、その日の帰宅は 8 時を過ぎる。
その中で、オーディションを突破した 3 年生 3 人組のフォークギタートリオの歌う、「加茂の流れに」が絶品であった。印象的な前奏から、舞台袖で聴いていて、いやぁうまいなぁと思った。
中学 3 年になっても、相変わらず W 君の家で 2 人でギターを併せていた。この頃にはようやく W 君と合わせることができるようになっていた。彼が良く聞いていたオフコースのコピーにチャレンジしたりなんかしていた。彼はキーボードに手を出したりもしていた。それで、もちろんオフコースは 5 人なので(初期は2人だったが)、部分的にギターとかキーボードのパートだけではあるが、二人でコピーっぽく頑張っていた。
中学を卒業して、その後、W 君とは違う高校、違う大学に進んだ。W 君は大学時代に、組んでいたバンドで、インディーズながら、LP レコードを出した。中学卒業後、少し道が分かれていった。が、高校・大学時代も良くつるんでいた。大学の頃は夏休みに会って、夜まで時間があるというので、ふらっと甲子園に高校野球を見に行ったりしてから飲みに行って、そのあとカラオケ屋で歌っていた。ギター弾き語りではないが、中学の頃に戻った気分であった。
ここで時代は飛ぶが、中学 2 年の秋、先輩の「加茂の流れ」に感激した 4 年と数か月後に、遠い世界であった賀茂川または鴨川をほぼ毎日渡って通学する生活を始めることになるとは、その時には思いも寄らなかった。
W 君は関西の大学で法律の勉強をし、大学を出てすぐに国の司法関係の機関に就職した。私は大学で物理学を専攻し、大学を出ても就職せずに大学院に進むことになった。理論物理学を専攻した。音楽は遠い世界になった。
しかし、音階なんぞは、昔々は「ピタゴラス音階」と言われるものがあったくらいなので、数学やら物理学にも結び付いている。
ド・ミ・ソの和音は C。ドの音が C なのだが、ドレミファソラシドの基本のドが何故A でなく C なのか知らない。でも、オーケストラが最初に音合わせするのは、440 Hzで振動するラの音だ。どうやらラの音が基本らしい。ラの音が A。以下、シが B、ドがC。音は波として伝わるので、波の山谷 1 セットが 1 秒間に何個来るかが振動数と思えばよい。ラの音は、波の山谷が 1 秒間に 440 個来るというわけだ。
ギターの弦を開放弦にして弾いて音を鳴らす。今度は弦の長さを半分にして鳴らす。振動数は倍になる。このとき、音は 1 オクターブ上がる。振動数の比としては、1:2だ。振動数が大きい方が高い音として聞こえる。
人に心地よい和音として、弦の長さを 3分の 2 にしてみる。ドに対するソの音が奏でられる。振動数の比としては 2:3 だ。綺麗な整数比。ドに対してソの音は、振動数としては 2 分の 3 倍 ( 3/2 )になっている。音楽用語では 5 度離れているというらしい。5度分ずつ振動数を上げていき( 3/2 をかける)、ドレミファソラシドからはみ出るとオクターブ下げて(振動数に 1/2 をかける)、音階を作っていく。
ド→ソ→レ→ラ→ミ→シ→ファ#→ド#→ソ#→レ#→ラ#→ミ#→シ#
と作られる。シのシャープ、シの半音高いシ#は1オクターブ高いドのことだ。2 分の 3を掛けて、必要とあらば 2 分の 1 を掛けてオクターブを下げるという手筈で上の系列を整理して書くと
ド ; 1
ド# ; (3/2)7×(1/2)4
レ ; (3/2)2×(1/2) (= 9 / 8)
レ# ; (3/2)9×(1/2)5
ミ ; (3/2)4×(1/2)2 (= 81 / 64 )
ミ# ; (3/2)11×(1/2)6
ファ# ; (3/2)6×(1/2)3
ソ ; (3/2)1 (=3 / 2 )
ソ# ; (3/2)8×(1/2)4
ラ ; (3/2)3×(1/2)1 (=27/16)
ラ# ; (3/2)10×(1/2)5
シ ; (3/2)5×(1/2)2 (=243/128)
シ#(=ド) ; (3/2)12×(1/2)6
となる。最初の (3/2)n は 5 度を n 回上げていくということ。× の後の (1/2)p は p オクターブ下げるということ。表にはファの音が無いので、これは、基本のドから 5 度下げて、必要ならオクターブを上げたら作れる。
問題は、1 周回ってシ#=(1オクターブ高い)ドまで来た時、(3/2)12×(1/2)6 =2.0272・・・となって、1 オクターブ上げたはずなのに、振動数が正確に 2 倍にならないこと。そこで、振動数の比として、
ド ; 1
レ ; 9 / 8 (=(3/2)2×(1/2) )
ミ ; 81 /64 (=(3/2)4×(1/2)2 )
ファ ; 4 / 3(=(2/3)1×2 )
ソ ; 3 /2 (=(3/2)1 )
ラ ; 27 /16 (=(3/2)3×(1/2)1 )
シ ; 243 /128 (=(3/2)5×(1/2)2 )
ド ; 2
とした。ファの音は下げていって作ったので、2/3 倍してから 1 オクターブ上げた(2 倍する)。こう見ると、全音(ドに対してレとか)は振動数の比は 9/8 になり、半音(ミに対してファとか)は 256 / 243 になっていることがわかる。1 オクターブ上げると振動数は 2 倍になるようにしたが、半音は全音の半分ではない。これをピタゴラス音律と呼ぶ。
ピタゴラス音律では C のコード、ドミソの振動数の比は
ド:ミ:ソ=1:81/64 :3/2 = 64:81:96
となり、簡単な整数比とは言えない。とうことは、おそらく若干、不協和なんだろう。
そこで、和音がなるべく簡単な整数比になるように考案されたのが純正律と呼ばれる音階だ。もともと、ドに対するソは 2:3 の振動数比で決められていたが、今度はドに対するミの振動数を簡単な整数比、4:5 で決める。
ド ; 1
レ ; 9 / 8
ミ ; 5 / 4
ファ ; 4 / 3
ソ ; 3 /2
ラ ; 5 / 3
シ ; 15 / 8
ド ; 2
ピタゴラス音律と見比べてみると良い。こうすると、ドミソの振動数の比は
ド:ミ:ソ=1:5 / 4 :3 / 2 = 4:5:6
となり、簡単な整数比となる。協和音となる。しかし、各音の振動数比を見てみよう。
ドとレ ; ( 9 / 8 )÷1 = 9 / 8
レとミ ; (5 / 4 )÷ ( 9 / 8 ) = 10 / 9
ミとファ ; (4 / 3 )÷ ( 5 / 4 ) = 16 / 15
ファとソ ; (3 / 2 )÷ ( 4 / 3 ) = 9 / 8
ソとラ ; (5 / 3 )÷ ( 3 / 2 ) = 10 / 9
ラとシ ; (15 / 8 )÷ ( 5 / 3 ) = 9 / 8
シとド ; 2÷ ( 15 / 8 ) = 16 / 15
何か? 9 / 8 (=1.125)だったり、10 / 9 (=1.1111・・・)だったり 16/15(=1.06666・・・)だったり。歌を作っていて、C から D に転調すると、ド:レ=8:9 の音程が、レ:ミ=9:10 の音程に微妙に変わり、メロディーが崩れる。
そこで、和音もそこそこ美しい、転調が自由にできる音律として、12 平均律が用いられている。ピアノの鍵盤を思い浮かべると良いが、
ド・ド#・レ・レ#・ミ・ファ・ファ#・ソ・ソ#・ラ・ラ#・シ・ド
と、ドから 1 オクターブ上のドまでの 12 個の間隔を 2 のべき乗の意味で等分する。1オクターブ上がったら 2 倍だし、全音は半音の 2 倍の振動数になるように、2 の冪で 12 等分するわけだ。どういう事かと言うと、振動数の比として、
ド ; 1
ド# ; 2(1/12)
レ ; 2(2/12)
レ# ; 2(3/12)
ミ ; 2(4/12)
ファ ; 2(5/12)
ファ# ; 2(6/12)
ソ ; 2(7/12)
ソ# ; 2(8/12)
ラ ; 2(9/12)
ラ# ; 2(10/12)
シ ; 2(11/12)
ド ; 2(12/12) = 2
とする。こうすると半音の振動数比は 1:2(1/12) だし、全音はその 2 倍の 2(2/12) が現れ、1:2(2/12) となる。どこの振動数比も同じなので、転調は自由に行える。
そのうえ、ドに対するソの音の振動数比は、1:2(7/12) であるが、2(7/12) =1.498307077・・・と極めて 1.5、つまり 3/2 に等しいので、ド:ソ ≒ 2:3 が保たれている。ついでに C の和音、ドミソの振動数比は
ド:ミ:ソ=1:2(4/12) :2(7/12)
=1:1.25992105・・・:1.498307077・・
=4 :5.0396842・・・:5.993228308・・・
≒ 4:5:6
となる。うまくハモるはずだ。奥が深い。
Do、Re、Mi、Fa、Sol、La、Si、Do
レは Lemmon の Le ではないが、日本人には R と L の発音は区別できないので良しとしよう。
42.熱量とエネルギーの等価性
前回、熱量の単位、cal (カロリー)と、エネルギーの単位、J(ジュール)の換算を使った。
1 cal = 4.18 J
エネルギーの単位に名を残すジュール(1818-1889)の業績である。高等学校では、「羽根車」の実験で説明されている。水槽に水を入れておき、その水中に羽根車を入れておく。羽車を回転させると水がかき回される。羽根車を回転させるために質量 m [kg] の重りを高さ h [m] だけ落下させる。図のポンチ絵の感じ。失われた重りの位置エネルギー mgh 分が熱量に変わり、水の温度を上げる。ここで、g=9.8 m /s2 は重力加速度。1g(グラム)の水を 14.5 oC から 15.5 oC まで上げるのに必要な熱量が 1 cal である。ジュールは羽根車の実験で、熱量とエネルギーの等価性、もしくは熱と仕事の等価性、およびそれらの換算値である「熱の仕事当量、1 cal = 4.18」を決定したと習う。
「自然科学の歴史」という授業を担当していたときに、熱の科学の発展を講義することになり、少し勉強した。山本義隆さんの著書を主に参考にしたが、ジュールは何度も「熱の仕事当量」を色々な方法で検討していたことを知った。執念である。
ジュールと言えば「ジュール熱」の発見が有名かもしれない。電気抵抗 R [Ω(オーム)]の導線に I [A(アンペア)] の電流を流すと、R × I2 だけの熱(エネルギー)が発生するというやつ。これも高等学校で習う。
「ジュール熱」の発見は 1841 年。
ほかにも、電磁誘導と発熱現象の発見も行っている。これは 1843 年。
熱の仕事当量であるが、まずは 1843 年に、電磁誘導と発熱現象を発見した装置を利用して、コイルの回転に要する仕事の測定を行っている。ジュール熱の法則を利用し、熱と仕事は
1 cal = 4.50 J
という値を得た。
続いて、水が細管を通り抜けるときに発生する摩擦熱を測定し、
1 cal = 4.14 J
という値を得ている。
1844 年には空気の圧縮による発熱を利用して、
1 cal = 4.29 J
を得る。
1845年に、高等学校で習う羽根車の実験を行い、
1 cal = 4.78 J
を得る。
1847年には羽根車の実験を改良し、
1 cal = 4.203 J
を得る。
1849年にはさらに改良し、
1 cal = 4.15 J
を得ている。
1843 年から 1849 年まで、つごう 6 回値を出している。
現在では
1cal = 4.1855 J
と測定されている。
41.歩行とダイエット
不思議な式を見つけた。運動時のおよその消費カロリーは、(メッツ)×体重[kg] ×運動時間 [時間] ×1.05 で見積もれるらしい。どっから導かれるんだ、この式? 1.05 掛けるのは何故だ? とか、全く理解はしていない。メッツとは、その運動が安静時の消費エネルギーの何倍かを示すものらしい。厚生労働省のホームページにも値が書いてある。信じて計算してみると、体重 60 kg の人が速足で1時間歩いたときに必要なエネルギーは 158 kcal と出る。基礎代謝も含んでいるようだ。いや、わからん。はっきり書いておらん。基礎代謝とは運動せず安静にしていても生きていくの必要なエネルギー、消費カロリーのこと。基礎代謝プラス速足歩行の消費カロリーが 158 kcal なのか?
3 月は 10 日間、大学の色々な用事を皆さんに任せて、海外逃亡していた。いわゆる、高飛びというやつだ。行った先がヨーロッパなので往復に時間がかかり、先方での滞在は実質 6 日間であったが。飛行機の機内での時間や乗り継ぎの待ち時間があるので、何冊か本を持って行って読む。その一方、空港内の移動などでとにかく良く歩く。空港のターミナル間移動も半端では無い。先方に着いても、滞在時のホテルから先方の大学、あるいはスーパーマーケットへと、とにかく歩く歩く。持って行った何冊かの本の中に、人が歩くときに要するエネルギーは、さほど多くない、という記述があった。チンパンジーが手(前足?)をグーにして四足歩行しているときに必要なエネルギーの3 分の 1 程度だそうだ。チンパンジーの歩行でどんな風にエネルギーが使われるのか知らないが、人が歩く時に必要なエネルギーを、不思議な式に頼らずに、簡単に当たってみる。ボールペンは胸ポケットにさしていたが紙が無いので、読んでいた本に付けていたブックカバーで行った計算。
その本によると、人が普通に歩行しているときには、重心が持ち上がり、また元に戻るとあった。重心を高く移動させて位置エネルギーを稼ぐ。その位置エネルギーはすべて前進するための運動エネルギーとして使われると仮定する。授業のレポート課題に丁度良い。エネルギー保存則だ。
図の左端のように、まずは両足を開いた状態。次に図の左から 2 番目のように両足が一瞬揃い、その後、図の左から 3 番目のように、浮かせた足を着地させる。とりあえず人の重心はへそのあたりにあるだろうから、重心の移動距離だけ考えるのであれば図の黒丸の移動の高さを見積もればよい。足の長さを l (エル)[m]、歩幅を s [m] としておく。右端の図のように、左端の図の前足、両足が揃った時の足、左から3番目の図の後ろ足と、足の動きだけ抜き出して書くと、黒丸の高さの移動が三平方の定理を利用して計算できる。
h = l - √( l2 - ( s / 2 )2 ) ( = l - ( l2 - (s / 2)2 )1/2 ) ・・・(1)
重心の高さの移動がわかったので、足を踏み出してから重心が最高点に達するときに体がした仕事が、重心移動の位置エネルギーとして蓄えられる。位置エネルギー U は
U = m g h ・・・(2)
だ。m [kg] は人の質量(体重)、g = 9.8 m/s2 は重力加速度、h [m] は(1)で求めた重心の高さの移動だ。人が一歩、歩くとき、これだけのエネルギーが必要としよう。位置エネルギーに変換されたこのエネルギーが、すべて前進するための運動エネルギーになるとする。運動エネルギーは「二分の一エムブイの2乗」、mv2 /2 だ。ここで、v [m/s] は移動の速度。(2)の位置エネルギーがすべて運動エネルギーに変換されると、「エネルギー保存則」から
m g h = m v2 /2
だから、得る速度 v は
v = √(2 g h) [m/s] ・・・(3)
となる。h [m] には(1)を代入すればよい。
1 時間歩いたとしよう。1時間歩いて進む距離 L [m] は、速さ×時間だから、1時間は3600秒であることと、(3)式は秒速であることに注意して
L = v × 3600 [m] ・・・(4)
となる。1 時間歩いた時の歩数 N は、歩いた距離が L [m]、歩幅が s [m] だったので
N = L ÷ s ・・・(5)
で求められる。1 歩ごとに体は(2)式のエネルギー mgh を必要としていた。だって、一歩ごとに位置エネルギー U = m g h を体が提供しないといけないのだから。ということは、1 時間歩いて必要な(消費される)エネルギー E [J] は、
E = m g h × N [J] ・・・(6)
となる。
ちょっと、数値を仮定して、1 時間歩いて消費されるエネルギーを当たっておこう。足の長さは、l = 0.70 m としよう。70 cm もないかもしれないが、盛っておく。歩幅もエイやっと、s = 0.70 m としておく。体重は軽めに、60 kg。
l = 0.70 [m]
s = 0.70 [m]
m = 60 [kg]
このとき、重心の高さの移動 h は(1)式から
h = 0.0937 [m]
と計算できる。およそ 9 cm。h がわかったので、移動の速さ v は(3)式から得られる。
v = 1.35 [m/s]
およそ、秒速 1.4 m。時速に直すと、4.87 km / h。およそ時速 4.9 km だ。少し早足。では、1 時間で歩く距離 L は(4)式で分かる。時速 4.87 km なので、言うまでもなく
L = 4.87 × 103 [m]
では、何歩歩いたか。それは(5)式でわかる。
N = 6.96 × 103
およそ 7000 歩だ。さぁ、消費したエネルギー E は、(6)式でわかる。
E = 3.83 × 105 [J] ・・・(7)
今の仮定の下での計算ではあるが、これだけの運動で、これだけのエネルギーを使うと言える。ジュール [J] という単位になじみが無ければ、カロリー [cal] に直しておこう。
1 cal = 4.19 J
なので、(7)の値を 4.19 でわればカロリーで表示できる。やってみると
E = 9.14 × 104 [cal]
= 91.4 [kcal]
およそ 91 キロカロリーと出た。
実際の測定値もきっとあるのだろうが、調べきれていない。
ちなみに、鳥肉のから揚げ 1 個 (30g) で 70 kcal 程度、ビール一缶 (350 ml ) で140 kcal 程度、クロワッサン 1 個 (40g) で 180 kcal 程度らしい。また、チーズケーキ一人分、まあホールの 6 分の 1 か 8 分の 1 位だろうが、それでおよそ 300 kcal 程度だそうだ。
チーズケーキは以前から好きだが、それにも増して、うちのおくさんの作るチーズケーキは最高においしい。絶品である。余りケーキが好きでない息子ともども、親子でいつもパクパク食べる。
それとこれとは別なのだ。
40.プラス0.1%、マイナス0.1%
水泳のことは良くわからない。良くわからないが、子供は新年の頃には全国で20位前後であったのが、春の全国大会での直接対決では 40 位台に後退した。自己ベストを出したにもかかわらずである。みんな頑張っている。
そういえば、以前はスイミングから帰ってきても、家で柔軟や筋トレをして鍛えていたが、最近はゲームをしたり遊んだり。そこで、たとえ話を思いつく。
スイミングで毎日 6000 メートルとか泳いでいる。しかし、他の子たちもそれぞれのスイミングチームで泳いでいる。同じように練習していると同じようにタイムは伸びるだろう。タイムは伸びるが他の子も伸びるので、他の子との比較という観点からは、ある意味現状維持だ。そこで、これを
1
としておく。家でゲームなどせず、すぐに遊びに出かけず、少しでも柔軟をして体を柔らかくし、関節の可動域を広げる。その効果はわからないが、やらなかった場合より0.1%だけでも効果があるとしよう。1 日で、
1.001
倍の自分ができる。これを継続すると、1 年で
1.001×1.001×・・・×1.001
と、1.001 を 365 回掛ける。そうすると、
1.001365 = 1.44025・・・
と、みんながタイムを上げるより、1.44 倍も強くなった自分がいる。
朝練で 6000 m 泳いで、昼間、体の疲れをとらず、遊ぶ。あるいは、凝り固まってゲームをして筋肉を硬くする。柔軟の反対だ。その効果は、少しだけマイナスだ。休息を取らなかったり、同じ姿勢でゲームをして体を凝り固めたりして、折角の現状維持から0.1%だけ悪くなったとする。午後の通常練習に参加しても、だ。0.999 倍の自分。これを1 年続けると
0.999365 = 0.6940・・・
0.7 倍に弱くなった自分がいる。
1 日 0.1 %でも普段より何かをし、1 年継続すると強くなる自分がいる。
自戒を込めた計算だ。今日から何か始めよう。
ところで、最初は 1 %アップのつもりで計算したが、そうすると
1.01365 = 37.783・・・
と、38 倍にもなる。たとえ話としては大きすぎだが、借金の利息と考えると怖い。ついでに 1 %サボると
0.99365 = 0.02551・・・
わずか 40 分の 1 になった自分がいる。
ついでに、今はこんな冪の計算は、ちょっといい電卓で計算できる。昔はどうしていたかというと、28 回目に書いた対数だ。
y=1.001365
として、両辺対数をとる。底は何でもよいが 10 をとって、常用対数と呼ばれるものを使っておこう。
log 10 y = log 10 1.001365
= 365 × log 10 1.001
対数表を調べて、少し計算して log 10 1.001を求める。そうして
log 10 1.001 = 0.000434077・・・
を得る。よって、
log 10 y = 365 × 0.000434077
= 0.158438・・・
こうして、
y = 100.158438・・・
= 1.44025・・・
と計算される。電卓にも機能が沢山ついているので、もうこんなことはしないで済んでいる。
39.骨の折れる計算
骨折した。
とある店の中を平地のつもりで歩いていたら、段が1段だけあって、段がないつもりだったので右足で勢いよく着地してしまった。ただそれだけ。
骨折といっても、正確には、右足の甲の骨の一部が欠損し、欠損した骨片が旧石器時代の骨角器の矢じりのように足の内部で肉に刺さった状態になっている状況。レントゲンを見ると骨片が見事に写っている。あまりに鮮明に映っているので、そのレントゲン写真が欲しいのだがなぁ。
第1回ノーベル物理学賞はレントゲンによるX線の発見だ。素晴らしい。
足、切り開いて骨片取り出すかと言われるも、恐ろしいので自然治癒の道を選択。痛み止めの湿布で散らす。
骨も物体なので、圧縮したらどこかで壊れるはずだ。
長さ l (エル) [m] の物体を圧縮したらΔl(デルタエル) [m] だけ縮んだとする。Δl で一文字。Δl =0. 1 mm とか。長さの変化率 Δl ÷ l を圧縮ひずみ St と呼んでおこう。
St = Δl / l ・・・(1)
これだけ圧縮するために要した力を F [N] として、この物体の単位面積あたりにかかった力を応力 S と呼ぶことにしよう。物体の断面積を A [m2 ] として
S = F / A ・・・(2)
S と St の比はヤング率と呼ばれて、弾性体の物理を勉強していると出てくる。ヤング率は大抵 Y と書かれて
Y = S / St = ( F × l ) / ( A×Δl ) ・・・(3)
物体が壊れない範囲で、弾性体ではこの値は物体によって決まった定数になっている。St は長さを長さで割り算しているので次元をもたず、応力 S は力を面積で割っているので圧力の次元を持つ。だから、ヤング率も圧力の次元を持ち、調べてみると骨のヤング率は、
Y = 1.4 × 1010 [Pa] ・・・(4)
という値を持つそうだ。ついでに骨に力がかかって、骨が圧縮されて壊れるときの応力S は
S = 1.0 × 108 [Pa] ・・・(5)
だそうだ。1気圧は1013ヘクトパスカル。1ヘクトパスカル[hPa] は100パスカル[Pa]。ということは、1000気圧にも耐えられる。まぁ、骨だけそんな状況に置かれることは無いが。
弾性体といえば、圧縮したら元に戻る。ばねが典型的な例だ。ばねを自然な長さからΔl [m] だけ伸ばすのに必要な力 F [N] は
F = -k × Δl ・・・(6)
と表される。ここで、k [N/m] は、ばね定数と呼ばれる定数。力は伸びに比例するというのはフックの法則として知られている。マイナスを付けたのは力の向きまで考慮したから。力の大きさだけを問題にするなら、Δl は正にとっておいてマイナス符号を外せばよい。ついでに証明抜きで記すと、Δl だけ伸びた、あるいは縮んだ時にばねに蓄えられるエネルギー E [J] は
E = k×(Δl)2 ÷ 2 ・・・(7)
ここで、(3)からY= ( F × l ) / (A × Δl) だったので、
F = ( Y × A ÷ l ) × Δl ・・・(8)
となる。ここでは力の大きさだけを問題にしているので、(6)と違って負号が無いが、ばね定数 k は
k = Y A / l
に対応していることがわかる。だから、Δl [m] 圧縮したときに物体に蓄えられるエネルギーは、(7)式の k として、すぐ上の式を代入して
E = Y A / (2 l) × (Δl)2 ・・・(9)
となることが分かった。
今、応力の定義(2)と、今導いた力の(8)から
Δl = F l / (Y A) = S l / Y
が得られるので、この Δl を、圧縮により蓄えられるエネルギー(9)に代入して Δl を消去すれば
E = S2 A l / (2Y) ・・・(10)
となる。応力 S、ヤング率 Y、物体の長さ l、物体の断面積 A で表せた。
さて、骨。
骨が折れる、壊れるときには(5)の数値以上の応力がかかっているということだ。段差に気づかず、全体重を右足の足裏の面積にあずけてしまった場合、(10)の S としては(5)式の値、ヤング率 Y は(4)式の値、面積 A としては足裏の面積、長さ lとしては足の骨の厚さを取ればよかろう。足裏の面積は長方形として大体 25cm ×10 cm 程度。常に幅 10cm ということもないが、長さを短めにしたのでトントンだろう。足の甲の骨の厚みは知らないので、2cm くらいとしておこう。そうすると、足の骨が欠けるのに必要なエネルギーは(10)式から
E = ( 1.0 × 108 [Pa] )2 ×( 0.25 ×0.1 [m2] × 0.02 [m] ) / (2×1.4 × 1010 [Pa])
= 1.785×102 [J] ・・・(11)
大体 179 ジュールとでた。
右足を踏み出して着地したかなと思ったら、地面が無かった。そのまま、1段、全体重 m = 70 kg が高さ h [m] の段差を自由落下したと思えばよい。この時の位置エネルギーUは
U = m g h ・・・(12)
だ。g は重力加速度で、9.8 m/s2 。この位置エネルギーが、右足が着地した時に足の弾性エネルギー(10)に変わる。骨が壊れるには最低(11)のエネルギーが必要なので、(11)と(12)を等しいとおいて、危険な段差 h [m] が求まるはずだ。
1.785×102 [J] = 70 kg × 9.8 [m/s2] × h
つまり
h = 178.5 ÷70 ÷9.8
= 0.26 [m]
だいたい 26 cm の段差でアウトである。家の階段でも 1 段 20 cm あるので、25 cm 位はあっただろう。また、実際には土踏まずもあるし、力がかかった足裏の骨の面積はもっと狭いはずなので(11)式の値はもっと小さく出る。たとえば、体重がかかった足裏の面積は土踏まずなど除いて骨の部分だけとして 25cm ×10 cm の半分に見積もると、危険な高さも半分の 13 cm となる。段差の h はかなり低くても危険だということだ。
段差を認識していたら、筋肉やらなにやらの動きやらで力を分散させるので、骨折には至らない。実際、1 m くらいから飛び降りても大丈夫なんだから。