60.球の表面積と体積

 中学生の息子が、宿題か何かで球の表面積や球の体積の問題を解いていた。どうやって球の表面積と体積の式を習ったのか聞いてみたが、ちょうど風邪で学校を休んでいたときだったので、知らないと、のたまう。

 

 知らんままでいいんかい。

 

 積分を知っていれば簡単に求められるが、それは高校に行ってからのこと。中学1年生、初等的にどうやって導出するのだろうか。考えてみる。

 

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 図(a)のように、半径rの半球を考えて、中心面、半球では図の底面から、高さh のところの斜線を付けた円を考える。この円の半径は、三平方の定理(第34回)から、

 

    √(r2 - h2 )

 

になっている。中学1年生では三平方の定理も習ってないだろうが、ここは初等的ということで、最低限使わせてもらおう。義務教育のうちには習うはずだし。三平方の定理から、斜線を付けた円の半径はわかったので、ここでの円の面積ΔS は、パイ掛け半径の二乗、

 

   ΔS = π(√(r2 - h2 ))2 = π(r2 - h2 )

 

となる。半球の体積を求めるには、この面積ΔS の円に微小な高さΔh を持った薄い円板を考えて、積み上げていけば良い。これは第36回で角錐やら円錐やらの体積を考えた際に使った考え方だ。

 

 一方、対応して図(b)を考える。これは半径rの円を底面に持ち、高さがrの円柱から、半径rの円を底面(上面)に持ち、高さrの円錐を切り取った立体だ。この立体の、底面からやはり高さhの所に切り取られずに残っている円環の面積を考えてみよう。図(b)で斜線をつけた部分の面積だ。切り取った部分の円の半径を求めないといけないが、半径rで高さもrなので、真横から見れば直角二等辺三角形だ。そのうち、下から高さhの所で切られているように見える。そこで、高さがhなのだから、切られた円の半径もhとわかる。図(c)をみればわかってもらえると期待する。こうして、(b)で斜線を付けた面積ΔS' は、大きな円の面積から切り取られた円の面積を引き算すればよいので、

 

    ΔS' = πr2 - πh2  = π(r2 - h2 )

となって、半球の底面から同じ高さhのところの円の面積ΔSと同じことがわかる。

 

    ΔS = ΔS'

 

ということは、図(b)の立体は、面積ΔS' (=ΔS) を持つ円盤に高さΔhを持った薄い板を考えて、積み上げていけば作れることになる。でも、(b)で考える薄い板(面積ΔS'、高さΔh)の体積は、どれも(a)で考えた円盤の体積(面積ΔS(=ΔS')、高さh)と同じだ。いつも同じ体積の板を積みあげて両方とも立体を作るのだから、(a)の立体(半球)の体積も、(b)の立体(円柱引く円錐)の体積も同じだ。でも、(b)の立体の体積は円柱の体積と円錐の体積が求まれば計算できる。円錐の体積は、三分の一の謎解きの第36回で見た。こうして

 

    立体(b)の体積 = 円柱の体積 - 円錐の体積

           = πr2 ×r - (1 / 3)×πr2 ×r

           = (2 / 3)×πr2 ×r

           = 立体(a)の体積

 

ということになる。立体(a)は半球だったから、球の体積は半球の体積を2倍して

 

    半径rの球の体積 =  (4/ 3)×πr3

 

と得られる。「3分の4パイアールの3乗」だ。

 

 次は球の表面積。そのために、球の体積を別の方法で考えよう。今度は下の図だ。

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球を、小さな底面積を持つ四角錐に分ける。もちろん三角錐でも円錐でも構わない。四角錐の頂点は球の中心にあるようにする。そうすると、球の体積は、この小さな小さな四角錐の体積を集めたものになるはずだ。小さな四角錐の体積は

 

    小さな四角錐の底面積×高さr ÷ 3

 

だ。これを集めると、高さはいつもrの四角錐なので、集めるべきは底面積だが、全部集めると底面積は球の表面積に一致する。こうして、球の表面積をAとすると

 

    球の体積 = A×高さr ÷ 3

 

になる。これと、先ほど求めた球の体積、3分の4パイアールの3乗と一致させると

 

    A×高さr ÷ 3 =  (4/ 3)×πr3

  整理して

    (1 / 3 )×A×r = (4/ 3)×πr3

 

両辺共通のものを割っておくと、

 

    A = 4πr2

 

が得られる。球の表面積の公式だ。4パイアールの2乗。

 

 一応、球の体積、表面積の公式が、積分を直接使わずに(考え方は使ったが)導出できた。

 

 中学校ではどうやって習うのだろう。教科書を見ておこう。

 

 

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 ところで、半径rの硬い球めがけて、小さな粒を投げ当てることを考えてみよう。この粒が固い球に当たるためには、硬い球を見込む面積

 

    πr2

 

の範囲内に小さな粒が投げ込まれていないといけない。図(d)の状況だ。ここで、小さい粒子が固い球に当たる範囲の面積を、物理学では散乱断面積という。(d)の状況では、散乱断面積σ(ギリシャ文字のシグマで表す)は

 

    σ = πr2

 

となる。なんか当たり前だ。

 ところが、粒子には波の性質が伴うことが知られている。粒子の波動性が顕著に表れるのは、ミクロな世界だ。そこで、ミクロな“粒子”が、半径rの硬い球で散乱される場合を考えてみる。量子力学なるものを使ってきちんと計算するのだが、当てる粒子の速度が遅い場合には、散乱断面積は

 

    σ = 4πr2

 

になる。ただし、粒子の速度があくまでも“遅い”場合。粒子の速度をv、質量をmとすると、粒子に伴う波の波長λとは

 

    λ = h / ( mv )

 

という関係がある。ここでhはプランク定数と呼ばれる量で、6.6×10-34  J・s(ジュール・秒)という小さな値(第8回)。でも、ミクロの世界ではこの小さな量を0として無視できない。速度が遅い(小さい)ということは、波長は長い(大きい)という関係だ。そこで、遅い粒子では波長が長く、硬い球の後ろにも回り込むことができる。図(e)のような状況を想定すればよい。硬い球を舐めるように覆って、粒子は散乱される。だから、“散乱断面積”は、球を見込む面積ではなく、球の表面積になる。

 4πr2 だ。

 

 

 

59.教育を金儲けの言葉で語るな

 High Intelligentな我が県の県庁所在地である我が市には、「○○市民の大学」という(○○には市の名前が入る)、市民に向けた生涯教育の先駆けが40年前から続いている。1回90分15回の講座を2講座、年間4つの講座が開設されている。様々な分野の講座が開かれてきており、私も微力ながら講師として登場させて頂いたこともある。そんな中、記念すべき40年目、第80期の市民の大学で1回分の講師を務めさせて頂いたのだが、最後の回に、主催委員長のご指名で総合討論に呼ばれ、出された質問に答えなさいと言う厳命を受けてしまった。質問は『国、宗教、民族、収入などによって、人々が分断され対立し内向きになっているが、困難を克服するには、みんなが心を一つにする必要がなかろうか』といった趣旨の内容の質問であった。あんた、ちょっと教育に絡めて答えなさい、という御下命が下された(頭痛が痛いと同じだなぁ)。

 

 こんな大それた問題に答えられるはずもなく、日頃大学で教育に携わっていて思っていることを、良い機会だから言語化しておこうと頭を切り替えた。「○○市民の大学」で当日話したこと、話さなかったことを記載したりしなかったりして、考えたことを忘れないように、とりあえず備忘しておく。

 

 質問に『国』と『収入・・によって・・分断』というワードがあったので、そこから解きほぐした。まず、「国民・国家」であるが、これは地域社会とともに、私たちが頼る共同体の一つであり、共同体であるからには簡単になくせない(なくならない)。共同体としての国家の社会制度であるが、共同体の成員、赤ん坊、子供、老人、病人等々、すべての成員が十分な自尊感情を持って暮らせるように制度設計が為されていないといけない(内田樹)はずだ。これが前提。最近の社会は、ネットで言いたい放題の意見を世論と履き違えて、この前提が狂ってきている。

 こうして、教育の重要な目的として、共同体を担う成員の成熟を支援することが挙げられるはずだ。

 しかし、「格差社会」と言われる現在、共同体の成員が単一の基準、「収入」あるいは「お金の多寡」で格付けされてしまっている。金持ちが善となっているわけだ。そこで、多くが「経済(ビジネス)の論理」で価値判断されることになってしまった。つまり、お金に換算してどうか、役に立つか立たないか(役に立つものは金儲けにつながる)、得か損かが

判断基準であり、判断規準となっている。

 この格差社会が醸成されてきたのには、「公正な競争」という幻想が欠かせない。実際には等しい条件で出発できるわけではない。特に老人や病人などのいわゆる社会的弱者、あるいは裕福でない家庭の子供、皆が同じ条件で競争の出発点に立てるわけではない。しかるに「公正な競争」という幻想に立って、勝ち組、負け組と分けたり、都合が悪いと何でも自己責任論にして、共同体の責務を放棄する風潮が強い。老人や病人は未来の私である、子供は過去の私であるという想像力の欠如により、今健康な「私」は、共同体から支援を受ける人たちを強く非難する。支援を受けざるを得ないのは「自己責任」として切っていく。これでは、すべての成員が自尊感情を持って暮らしていけるわけがない。

 

 教育の主目的の一つは「共同体を担う成員の成熟を支援すること」である。現状は、「有用な知識を身に付け、稼ぎの良い職に就いて収入を得るという自己利益の増大の為」の教育が為されているのではないか。自分の子には自分の資金で教育を受けさせるので公教育は必要ない、どうして貧しい人々の子供に公的な教育を与えて、将来の自分の子供の競争相手を増やさにゃならんのだ、という、もともと自己利益増大を目的とした初期のアメリカ合衆国国民の考え方(内田樹)に戻ろうとしているように思える。

 自己利益増大が教育の主目的になってきているのは、役に立つこと(実学)を教えろ、という大きな声の主張によく顕れている。ある文化功労者は、2次方程式を解かなくても生きてこられた、2次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので、このようなものは追放すべき、という趣旨のことをかつて述べられたようだが、未来の文化・文明の担い手、現状の問題を解決していく者は誰かという視点も想像力も欠けている。私にとって役に立たないので、教育内容から小説など追放してしまえと言うに等しい。

 

 また、最近はしばしばグローバル化という言葉を耳にも目にもする。大学でも「グローバル人材の育成」など恥ずかしげもなく掲げる。グローバルとはおそらく全地球規模でという意味合いだろうから、グローバル資本主義、それを担うグローバル企業というものにとって、国民・国家は不要である。このような企業にとって、共同体の相互扶助など、嫌悪すべき最悪のものだろうと想像できる。無償の貸し借りではものが売れないし、お金が動かないとビジネスチャンスもない。だから、徹底した個人主義が満たされることを願うだろう。そこには共同体も、共同体の成員の自尊感情を持った生活も、ない。

 また、グローバル資本主義にとっては貧困層の増大はありがたいはずだ。安い労働力が手に入るうえ、賃金が安い多くの人々は単一の消費行動をとりやすいだろうことは目に見えている。そうすると、同一のものを大量生産すればよいのだから物を作りやす。

 企業が帰属する国家も不要である。法人税の安い国に便宜上、本社を移しておけばよい。共同体を支えるなんていう意識もない。共同体に対する責任は希薄である。

 これが格差社会を構築する実態だろう。グローバル人材の育成とは、格差社会を助長できる人材、つまり喜んで地球のどこにでも赴任し、リンガ・フランカとしての英語で交渉できる(コミュニケーション能力重視の教育が必要な所以だ)が、いつでも取り替えのきく人材を養成することを言う(内田樹)。

 

 さらに言えば、金儲けにはスピード感が必要で、それは株の売買で儲けようとする人たちの機を見て敏なることをみればわかる。すべては金儲けの言葉で語るので、「決められる政治」などという、民主主義のある意味否定に走る政治家を持ち上げることになっている。そもそも民主主義政体とは変化をゆっくりさせる政体であり、それはどういうことにつながっているかというと、もし間違った判断がされても取り返しがつくことにある。とにかくものを決めるまえに、あぁだこぉだと言って考えている。独裁では間違った判断がされたときには修正がきかず一気に崩壊することは、第2次世界大戦の枢軸国を見ればわかろうはずなのだが、神話以外の実際の歴史なんて役に立たん学問だから追放してしまえってか。

 民主主義政体に関して、1970年代のある中学校の民主主義について触れておこう。中学校の「憲章」を生徒会が中心になって決める際に、まずは各学級のクラス会で検討を重ね、最後に生徒会総会で決定するというプロセスをとったようだが、何とも時間がかかる。先生主導で、原案を提示して一気に決めるというのではない。憲章の1番目、最初は「しっかり勉強しよう」だったのが、クラス会を重ね、「授業を大切にしよう」に変わる。さらに

「私たちは授業に積極的に参加し発言します」となるが、最終的に決まった憲章の1番目は「真実を求め学びます」。最初の「しっかり勉強しよう」からしっかり変わっている。民主主義は時間がかかるが、それ相応の結果を産む一例だ(1,700人の交響詩 横須賀市立池上中学校の教育記録(1978年))。

 

 先ほど、教育の目的の変化、「有用な知識を身に付け、稼ぎの良い職に就いて収入を得るという自己利益の増大の為」に変化してきているとした。まさに、経済の論理、すなわち利益誘導に他ならない。共同体の成員の成熟を目的としないので、「ネットで金儲けするから学校の勉強はもういいや」とか「そもそも金儲けに興味ない、そこそこの生活ができればいいから勉強はもういいや」とか考える若者が現れるのは必然だ。「さとり世代」という言葉があるそうだが、欲が無い、恋愛に興味が無い、休日は自宅で過ごす、無駄使いをしない、気の合わない人とは付き合わない、ネットの利用で知識は豊富、無駄な努力や衝突は避ける、高望みはしない、安くてそれなりのものを好む、コストパフォーマンス重視、といったことになる(ここまで書いてきて、結構いい奴だと思えなくもないが・・・)。共同体を担う成員の成熟は望むべくもない。

 

 「グローバル人材の育成」に端的に表れているが、教育に経済の論理を持ち込んではいけない。今は「教育のビジネス化」が進行している。ここで言う「教育のビジネス化」は、教育で金儲けしようという意味ではなく、教育がビジネスの言葉で語られ、変質しているということである。たとえば、大学に求められている「シラバス」。15回の授業内容を事細かに書き込み、さらにはこの授業で何を学び、何を目的とし、どういう方法で学び、何ができるようになれば単位が認められるか、を記載する。「この授業で学べば何が得られるのか(どんないいことがあるのか)あらかじめ提示する」ものである。学生はシラバスをみて、「良ければ購入してやろう」という消費行動を起こすわけだ。「学び」とは、自分がこれから受ける教育の内容をまだ理解していないことを学ぶのであり、今、自分は何のために何を学び、その結果自分がどう変化していくのか、学び終わった到達点がわからないもののはずだ(内田樹)。それをあらかじめ提示するというのもどうかしている。大学のなんとかセンターの教員が得々と説明していたが、少し意地悪な質問をして誘導したところもあるが、いみじくも「シラバスは学生との契約です」と、しらっと言ったので、唖然とした。あぁ、ビジネスなのね。学生さんは、その授業の機能をあらかじめ知っていて、いろんなスペックを比較して、これは使えると思ったら、費用対効果の観点から契約または商品としての授業を購入する(またはしない)のね。

 そう、費用対効果。安いお金で価値あるものを手に入れるのは「賢い消費者」であり、大学の授業も、「最小の努力(安いお金に相当)」で「最大の成果(価値あるものに相当)」を得るのは、「賢い消費者」として当たり前の行動なのだ。だから、最低の学習時間で単位をとれれば良いということに繋がる。ビジネスの言葉で教育・学びを見ている人たちは、こういう結果になることは理解していないのだろう。

 かつて、企業は、学生さんが入社後、自社に適した人材育成を企業内で行っていたが、今や、「即戦力を育成しろ」という大きな声がまかり通っており、グローバル資本主義を担う方々は、高等教育の「企業予備校」化を望んでおられるようだ。そこには、共同体を担う成員の成熟、未来の文化・文明を支え、現状の問題解決を委ねる成員の育成という観点は無い。

 「自分の物差しを持て」(梅原真)とはよく言われることではあるが、社会に出ている成年に対してはそうかもしれないが、学びの途中の若者は、教育を受け、学んでいく中で、自分の物差しでは測れないものがあるということに気づくことも大事である。シラバスを見て自分の物差しで価値を判断して、その授業を「契約」するのではない。測れないものはシラバスを見ても分からないはずだ。自分の物差しを更新するためにも、なんだかわからない学びは大切なのだ。

 

 と、内田樹先生の何冊もの著書に依拠して(いちいち出典を記さないし、いっぱい読んだので、どの本で見たのか、もう不明)、ごちゃ混ぜにしながら、まだ話し続ける。

 

 簡単に変えてはいけないものの代表として、たとえば司法が挙げられよう。量刑等の判断が目まぐるしく変わってはいけないし、時の政権の判断で変わってもいけない。司法などは制度資本と呼ばれるが、制度資本は簡単に変えてはいけないはずだ。教育も制度資本であり、時のイデオロギーや市場の動向で教育を変えるべきではない。

 

 共同体を担う未来の成員の成熟を支援するためには、教育を金儲けの言葉で語ってはいけない。格差社会容認するような教育を行ってはいけないとも言えよう。

 

 ご質問には『国』『宗教』『民族』という単語もあった。

 私達「ホモ・サピエンス」はおよそ20万年前に誕生した。ヒト科ヒト亜科ヒト属である。ヒト科にはヒト亜科の他にオランウータン亜科もある。ヒト亜科にはヒト属の他に、チンパンジー属が2種(チンパンジーとボノボ)、ゴリラ属が2または3種いる。しかしながら、ヒト属は私達ホモ・サピエンス1種のみである。諸説あるとはいえ、2万数千年前にホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人をおそらく滅ぼした。1万2千年前まではフローレンス人も生存していたが絶滅し、ヒト属はホモ・サピエンス1種になる。ネアンデルタール人を滅ぼしたのが事実であれば、ホモ・サピエンスとはそういう傾向のある種族なのだろう。如実に現れているのが、古代バビロニアハンムラビ法典かもしれない。ハンムラビ法典196には「もし人が人の息の眼を潰した時は彼の眼を潰す」、197には「もし人の息の骨を折った時は彼の骨を折る」、200には「もし人が彼と同格の人の歯を落とした時は彼の歯を落とす」とある。いわゆる、「目には目を、歯には歯を」であるが、これは、復讐を許しているというよりは、それ以上の報復を禁じた法なのである。私達ホモ属は、報復しすぎる傾向があるので、復讐を同害報復に留めさせる意味がある。私たちホモ属としての性向を理解しておかないといけないのだろう。ご質問には『みんなが心を一つにする必要』についてあったのだが、心を一つにすることは難しいし、またむしろ必要ないと考える。たとえば、『宗教』などでは信じる対象が異なっている。厳しい環境下では「神との契約」という形の一神教が発展している。神の教えとしての律法や戒律を守ることで、選ばれた民は神により救済が実現されると考える。これはやはり厳しい生活環境のもとでの考え方であろう。日本やギリシャなどは生活環境があまり厳しくなかったのか、神様は沢山いらっしゃる。日本などはすべてのもの・ことに神は宿る、八百万(やおよろず)の神だ。こうなると互いに心を一つにすることは困難だ。互いに相手の信仰を尊重する態度が必要と思えるが、ホモ属の習性からなかななに難しい。後天的に教育で獲得すべき事柄であろう。やはり教育は重要なのである。

 『民族』を考えても、培ってきた歴史がそれぞれ異なる。固有の文化をお互いに尊重すべきだが、やはりホモ属の習性で、自分のところが1番で他は劣っている、滅ぼしてしまえ、となってはいけない。やはり、お互いを尊重する態度は後天的に教育で獲得すべきであろう。ただし、現在の宗教対立は「格差対立」の側面が強いように思われる。

 

 というようなことを、質問に答える形で「○○市民の大学」でお話しした。おそらく質問者の質問の精確な回答にはなっていないと思ったが、教育の重要性を表に出しつつ、教育を金儲けの言葉で語ってはいけない、ということを、個人的な感想だと断ったうえで、10分間でお話しした。日頃思っていることを、内田先生に負うところ大ではあるが言語化する良い機会を頂いたと思って、市民の大学運営委員会委員長のご下命を受けて回答を考え、教育に絡めて話をまとめた次第である。

58.日本の暦のうるう年

 現在日本では太陽の運行を基にした太陽暦が使われている。良く知られているように、江戸時代以前では、月の運行を基にして暦を決め、ただし太陽の動きで決まる実際の季節とずれるので閏月を入れて調節する太陰太陽暦が用いられてきた。旧暦と呼びならわされているやつだ。平年では 1 年はおよそ 354 日。日本はおそらく中国の暦を真似ていただろうから、中国式では 19 年に 7 回閏月を入れる。赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのは、12 月14 日の夜。前日の雪が積もっている中、晴れていたというから、満月に近い月が出ていたはずだ。旧暦は月の動きに合わせて日にちが振られているから、15日は十五夜の満月。だから、その前日は満月に近いとすぐわかる。

 

 それが、太陽暦に改暦されたのは明治五年。太政官布告で、「朕(ちん)思フニ・・・」で始まるので、読み下せないが、全文を引用しておこう。

 

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明治五年太政官布告第三百三十七号(改暦ノ布告)

(明治五年十一月九日太政官布告第三百三十七号)

 

 今般改暦ノ儀別紙 詔書ノ通被 仰出候条此旨相達候事

(別紙)

詔書

朕惟フニ我邦通行ノ暦タル太陰ノ朔望ヲ以テ月ヲ立テ太陽ノ躔度ニ合ス故ニ二三年間必ス閏月ヲ置カサルヲ得ス置閏ノ前後時ニ季候ノ早晩アリ終ニ推歩ノ差ヲ生スルニ至ル殊ニ中下段ニ掲ル所ノ如キハ率子妄誕無稽ニ属シ人知ノ開達ヲ妨ルモノ少シトセス盖シ太陽暦ハ太陽ノ躔度ニ従テ月ヲ立ツ日子多少ノ異アリト雖モ季候早晩ノ変ナク四歳毎ニ一日ノ閏ヲ置キ七千年ノ後僅ニ一日ノ差ヲ生スルニ過キス之ヲ太陰暦ニ比スレハ最モ精密ニシテ其便不便モ固リ論ヲ俟タサルナリ依テ自今旧暦ヲ廃シ太陽暦ヲ用ヒ天下永世之ヲ遵行セシメン百官有司其レ斯旨ヲ体セヨ

  明治五年壬申十一月九日

 

一 今般太陰暦ヲ廃シ太陽暦御頒行相成候ニ付来ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事

 但新暦鏤板出来次第頒布候事

一 一ケ年三百六十五日十二ケ月ニ分チ四年毎ニ一日ノ閏ヲ置候事

一 時刻ノ儀是迄昼夜長短ニ随ヒ十二時ニ相分チ候処今後改テ時辰儀時刻昼夜平分二十四時ニ定メ子刻ヨリ午刻迄ヲ十二時ニ分チ午前幾時ト称シ午刻ヨリ子刻迄ヲ十二時ニ分チ午後幾時ト称候事

一 時鐘ノ儀来ル一月一日ヨリ右時刻ニ可改事

 但是迄時辰儀時刻ヲ何字ト唱来候処以後何時ト可称事

一 諸祭典等旧暦月日ヲ新暦月日ニ相当シ施行可致事

 太陽暦 一年三百六十五日 閏年三百六十六日四年毎ニ置之

一月 大 三十一日        其一日 即旧暦壬申 十二月三日

二月 小 二十八日 閏年二十九日 其一日  同 癸酉 正 月四日

三月 大 三十一日        其一日  同    二 月三日

四月 小 三十日         其一日  同    三 月五日

五月 大 三十一日        其一日  同    四 月五日

六月 小 三十日         其一日  同    五 月七日

七月 大 三十一日        其一日  同    六 月七日

八月 大 三十一日        其一日  同    閏六月九日

九月 小 三十日         其一日  同    七 月十日

十月 大 三十一日        其一日  同    八 月十日

十一月小 三十日         其一日  同    九月十二日

十二月大 三十一日        其一日  同    十月十二日

大小毎年替ルコトナシ 時刻表

 

午前       零時 即午後十二時 子刻              一時 子半刻       二時 丑刻          

三時 丑半刻

四時 寅刻           五時 寅半刻       六時 卯刻           七時 卯半刻

八時 辰刻           九時 辰半刻       十時 巳刻           十一時 巳半刻

十二時 午刻                                

午後       一時 午半刻       二時 未刻           三時 未半刻       四時 申刻

五時 申半刻       六時 酉刻           七時 酉半刻       八時 戌刻

九時 戌半刻       十時 亥刻           十一時 亥半刻    十二時 子刻

 

右之通被定候事

%%%%%%%%%%%%%% ここまで %%%%%%%%%%%%%%%%%%%%

 

改暦の理由として、陰暦では「太陰ノ朔望ヲ以テ月ヲ立テ太陽ノ躔度ニ合ス故ニ二三年間必ス閏月ヲ置カサルヲ得ス置閏ノ前後時ニ季候ノ早晩アリ」とあるので、月の朔望(満ち欠け)で月を決めて、太陽の躔度(てんど)、つまり太陽の動く度合いに合わすために 2、3 年に一度、閏月を置かないといけない、閏月を措く(置閏(ちじゅん))前後には気候の早い遅いが生じるということが書かれている。また、「盖シ太陽暦ハ太陽ノ躔度ニ従テ月ヲ立ツ日子多少ノ異アリト雖モ季候早晩ノ変ナク四歳毎ニ一日ノ閏ヲ置キ・・・」。考えてみるに太陽暦は太陽の動く度合いいに従って月を定める。日に多少のずれはあるものの、気候のずれは無く、4 年に 1 日の閏日を置くと言っている。また、布告の日付、「明治五年壬申十一月九日」の後に、「一(ひとつ)」というのが五つ続いているが、その 2 番目は 4 年に一度閏年を置いて、1 年 366 日にすることが記されている。3 番目と 4 番目は、「子(ね)の刻」とか読んでいた時刻を現代式に改める改正であり、5 番目に大の月と小の月の日数が規定されている。

 

 天文観測から 1 年は 365.2422 日となることがわかっているので、ほぼ 365.25 日と思っておけば当たらずと言えども遠からずだ。だから、端数の 0.25 が 4 回来ると1(日)になるので 4 年に 1 回閏年を入れて 1 年 366 日にして余った 1 日を吸収して、暦を太陽の動きに合わせている。

 

 だけど、0.25 と実際の端数 0.2422 はやっぱり違うので、だんだんずれてくる。太政官布告では「・・・七千年ノ後僅ニ一日ノ差ヲ生スルニ過キス・・・」とあるが、これはちょっと正しいかわからない。

 この太陽暦、ローマのユリウス・カエサルジュリアス・シーザー)が定めたのでユリウス暦と呼ばれるが、西暦 325 年のニケア宗教会議の頃に 3 月 21 日が春分の日であったのが、1570 年頃には 3 月 11 日頃が春分になっていたそうだ。1570-325 年分、実際の 1 年 365.2422 日と、閏年を入れる平均の 1 年 365.25 日のずれ、365.25-365.2422=0.0078日が 1 年ごとにたまってきて、

 

    ( 1570-325 ) 年 × 0.0078 日 / 年 = 9.7 日

 

これだけ暦と太陽の動きがずれたということだ。ほぼ 10 日だから、春分の日の動き、3月 11 日と 3 月 21 日のずれ 10 日が説明できる。

 

 7000 年だと、

 

    7000 × 0.0078  = 546 日

 

1 年以上ずれるのだがなぁ。

 

 明治 5 年の改暦では、太陰太陽暦から太陽暦への改暦が行われたが、4 年に一度、どの年を閏年とするかが定められていない。また、ユリウス暦では 128 年で 1 日狂ってくる。128 年 × 0.0078  日 / 年 = 0.9984 日だから。そこで、グレゴリウス暦に改暦する。グレゴリウス暦は、西暦年で数えて 4 の倍数の時は閏年とするが、4 の倍数でも 100 の倍数の時には閏年としない。ただし、4の倍数かつ100の倍数でも、さらに400で割れるときには閏年にする。要するに、400年で3回閏年を減らすことになる。そうすると、

 

    365.25 日 / 年 - 3 日 / 400 年 = 365.2425 日 / 年

 

と計算できて、400 年平均で 1 日 365.2425 日となり、実際の 365.2422 日に極めて近くなる。

 17 年前の西暦 2000 年は、4 で割れるので閏年のはずが、100 でも割れるので平年に戻すところ、400 でも割れるのでやっぱり閏年ね、という、400 年に 1 度の珍しい年なのであった。

 

 日本ではグレゴリウス暦へは、「改暦」というのではなくて、「閏年に関する件」として勅令で明治 31 年に定められて現在まで続いている。さすが法治国家だ。しかし、キリスト紀元の「西暦」を用いないところが面白い。あくまでも、神武天皇が即位したと言われる年を紀元とする皇紀が用いられている。

 

%%%%%%%%%%%%% ここから %%%%%%%%%%%%%%%%%%%%

明治三十一年勅令第九十号(閏年ニ関スル件)

(明治三十一年五月十一日勅令第九十号)

 

神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス

%%%%%%%%%%%%% ここまで %%%%%%%%%%%%%%%%%%%%

 

皇紀で数えて 4 で割れると閏年としている。ここまでは良いとして、閏年をやめる際には皇紀から 660 を引いてから考えるように指示がある。皇紀と西暦は 660 年の差があるからだ。660 を引いてから、4 で割り切れても 100 で割り切れるものは平年とすると書いてあり、さらに「更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス」の但し書きがあるので、400 で割れると平年としないと言っているに等しい。皇紀の根拠法は、明治 5 年11 月 15 日の太政官布告 342 号の様だ。

 

%%%%%%%%%%%% ここから %%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%

今般太陽暦御頒行 神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト被定候ニ付其旨ヲ被為告候為メ来ル廿五日御祭典被執行候事

但當日被者参朝可憚事

%%%%%%%%%%%% ここまで %%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%

 

法的根拠はあるが、なかなかに複雑。

 

 元号は明治 22 年 2 月 11 日に定められた(旧)皇室典範第 12 条で、「踐祚ノ後元號ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ從フ」とあったが、戦後の皇室典範の改正でこの条文が無くなったそうだ。だから、しばらくは「昭和」の元号の法的根拠がなかったということだが、それではいけないということで、昭和 54 年 6 月 12 日に元号法が定められ、現在に至っている。

 

%%%%%%%%%%%% ここから %%%%%%%%%%%%%%%%%%

元号法

(昭和五十四年六月十二日法律第四十三号)

 

1  元号は、政令で定める。

2  元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。

 

   附 則

1  この法律は、公布の日から施行する。

2  昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。

%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%

 

 皇紀で言えば、今年は皇紀 2017 +660  =  2677 年。

 

 やっぱり、素数だ。

57.2つの素数

 すぐに忘れてしまうので、備忘しておこうと思う。

 

 フェルマーの定理は有名で、

    

   xn + yn = zn を満足するような自然数の組、x、y、zは、自然数n が3以上の時に

   は存在しない

 

と表される。これ以外に、「フェルマーの小定理」なるものがある。

 

   p を素数として、p と互いに素(1以外に共通の約数を持たない)である x に

   対して

     xp = x (mod p)

 

ここで、x (mod p) というのは、pで割った余りが x になるということ。たとえば、p=5 として、x=2 としてみると

 

   21 = 2 = 2 (mod 5 )

   22 = 4 = 4 (mod 5 )

   23 = 8 = 3 (mod 5 )  (8を5で割ったら、1余り3だから、余りの3を書く)

   24 =16 = 1 (mod 5 ) (16を5で割ったら、3余り1だから、余りの1を書く)

   25 = 32 = 2 (mod 5 )

 

たしかに、x=2、p=5 でxp = 25 = 2 (mod 5) = x (mod p=5) になっている。もう一つ。たとえば、p=7、x=3。

 

   31 = 3 = 3 (mod 7 )

   32 = 9 = 2 (mod 7 )

   33 = 27 = 6 (mod 7 )  (27を7で割ったら、3余り6だから、余りは6)

   34 =81 = 4 (mod 7 )  (81を7で割ったら、11余り4だから、余りは4)

   35 = 243 = 5 (mod 7 ) (243を7で割ったら、34余り5だから、余りは5)

   36 =729 =1 (mod 7 )    (729を7で割ったら、104余り1だから、余りは1)

   37 = 2187 = 3 (mod 7 ) (2187を7で割ったら、312余り3だから、余りは3)

 

やっぱり、x=3、p=7 でxp = 37 =3 (mod 7) = x (mod p) になっている。一般的な証明は良いことにしておこう。

 上の表を眺めると、ついでに

 

    xp-1 = 1 (mod p)

 

であることもわかる。xから xp-1 を、mod p で表すと、1 から p-1 までの数が 1 回ずつ現れている。必ず 1 回だ。

 

 さて、こんな数学が、web での暗号化に使われている。公開鍵暗号と呼ばれるものだ。

 どうするかというと、

 

 1.2つの(大きな)素数 p、q を考え、その積

     n = p×q

   を作る。

 2.p-1、q-1 の最小公倍数を求め、これを L とする。L より小さい数から、L と

   互いに素となる数 r をとる。

 3.n と r は公開する。

 4.r×k を L で割ると、余りが 1 になる数  k を探す。k は秘密にする

     r×k = 1 (mod L)

 

ここからはメッセージを送る人の作業。

 5.送りたいメッセージを整数化し(例えばアルファベットに整数を割り振って並べ

   ればよい)、これをm とする。公開されている r を使って

     C = m (mod n)

   を計算し、相手に送る。

 

今度は、受け手。受け取った数字 C からもとのメッセージ m を復元したい。

 6.秘密の数 k を使って

     m' = C (mod n)

   を計算すると

     m' = m

   と、もとのメッセージが復元される。

 

実際、n = p×q なので、とりあえず送られてきた C を代入し、秘密の k を使って

    m ' = Ck (mod n) = m(r×k)  (mod n)

と、m ' を計算する。ここで、r×k は L で割ると余りが1だったので、ある整数をN 'として

    r×k = 1 + L×N 

と書けるはず。L は p-1 と q-1の最小公倍数なので、p-1 でも q-1でも割れるので、ある整数を N として、

    r×k = 1 + (p-1)×(q-1)×N 

とも書ける。こうして、

    m ' = Ck (mod n) = m(r×k)  (mod n)

      = m×(m(p-1)(q-1))N  (mod p×q)

      = m (mod n)

最後に、xp = x (mod p) のフェルマーの小定理から派生していたxp-1 = 1 (mod p) を用いた。正確にはフェルマーの小定理から派生するオイラーの定理

 

    M(p-1)(q-1) = 1 (mod p×q)

 

を用いる。こうやって、秘密の数 k を用いてメッセージは復元できる。

 

 n とr を公開しても、k は秘密で、秘密の k がバレナイ限り、n と r を知っていただけではメッセージは復元できない。k を知るには最初の数 p と q が解ればよいが、2つの素数の積から素因数分解でもとの 2 つ素数を見つけるのは難しい。小さい素数だったら簡単だが、大きな素数の積ではお手上げだ。(1.)で「2つの(大きな)素数p、q・・・」としたのはその為だ。例えば、n=5086067897 と見せられて、

    5086067897 = 62753 × 81049

素因数分解できまい(ちなみに右辺は0から9までのすべての数を使った)。もっと小さな

    58493

 

という数を見せられても2つの素数の積にするのは面倒だ(これは小さいので頑張ればすぐにできるが)。

 

 大きい素数を使うと電卓で計算できないので、例として

   

    p = 3 、q = 5

 

でやってみよう。(1.)2つの素数だ。積 n は

 

    n = p q = 15

 

さらに(2.)p-1、q-1を計算して、最小公倍数 L を求めるのだった。

 

    p-1 = 3-1 = 2、 

    q-1 = 5-1 = 4

    L  ( =  2 と 4 の最小公倍数) = 4

 

L と共通の約数を持たない L より小さい数 r を考えるのだった。 r =3 としよう。(3.)n = 15 と r = 3 は公開。次に秘密の k を作る。(4.)r×k = 1 (mod L ) だったので、

 

    3×k = 1 (mod 4)

 

なので、ここでは

 

    k = 7

 

ととってみよう。3×7 = 21 を4で割ると5余り1だからOK。(5.)メッセージ m を送ってもらおう。電卓でできる範囲の数として、

 

    m = 8

 

としてみる。こうして、

 

    C = mr (mod n) = 83 (mod 15) = 2 (mod 15)

 

83 = 512 なので、15 で割ると 34 余り 2。この数 2 を受け取る。さて、復元。(6.)m'=Ck (mod n) とするのだった。秘密の鍵 k は 7 だった。

 

    m ' = Ck (mod n)  =  2(mod 15) = 8

 

27 =128 なので、15 で割ると、8 余り 8。たしかに、メッセージ m = 8 が再現された。

 

 さて、前述の数、58493。これも2つの素数の積に分解できる。

 

     58493 = 2017 × 29

 

今年は、西暦2017年で、平成29年だ。2017 も 29 も素数。ちなみに、この 2 つの素数を掛けた数 58493 の各桁の数をばらして足すと

 

     5 + 8 + 4 + 9 + 3 = 29

 

と、平成になる。また、次の関係があることを知った。

 

    21 + 22 + 23 + 24 + 25 + 26 + 27 + 28 + 29 + 210

   =2 + 4 + 8 + 16 + 32 + 64 + 128 + 256 + 512 + 1024  

   ( = 211 - 2 = 2×(210 - 1) )

    = 2046     

   = 2017 + 29

 

今年はこんな年。

56.手で掛け算、続報

 第 21 回で、1 から 5 までの数同士の掛け算を知っていたら、6 から 9 までの数同士の掛け算は両手の指を使ってできることを記した。最近、同じようにして、10 から 15までの数同士の掛け算を手で使ってできることを知った。ただし、ある数の 10 倍というのは知っていないといけない。

 

 たとえば、12 × 14。例によって、手を開いた、じゃんけんのパーの形から、指折り数える。10 まで行くとまたパーに戻るので、12 だと親指と人差し指の 2 本だけが折れている状態。14 では親指、人差し指、中指、薬指の 4 本が折れている。

 折れている指の本数を数える。2 + 4 で 6 だ。これを10 倍して 60 と覚えておく。

 次に折れている指の本数同士を掛ける。12 側は 2 本、14 側は 4 本だから、2×4 = 8。

 さっきの 60 に今の 8 を足してから、さらに 100 足す。

 

    60 + 8 + 100 = 168  ( = 12 × 14 )

 

簡単に証明できる。10 から 15 までの数は 10 + a と書ける。ここで、a が折れている指の数だ。10 から 15 までの二つの数を掛けるということは、10 + a と 10 + b を掛けるということだから、

 

    ( 10 + a) × ( 10 + b ) = 100 + 10 × (a + b ) + a × b

 

つまり、折れている両手の指の本数の和、( a + b ) を 10 倍して覚えておいて、折れている指の本数同士の掛け算、a × b をして、さっき覚えた数 10 × ( a + b ) に足して、最後に 100 を足せば、確かに (10 + a ) × (10 + b) になっている。12×14 だったら、a=2、b=4としてみればよい。

 

 大学には、いつもは自家用車で通っているが、久しぶりに JR を使う。当地では JR は電化されていないので、人々は JR のことを「汽車」と呼ぶ。街中は JR と異なり路面電車が走っているので、人々は路面電車のことを「電車」と呼ぶ。きちんと区別している。

 

 どうだ、すごいだろ、この知恵。

 

 都会と違い、頻繁には汽車は来ない。汽車の時刻に合わせて駅に向かう。しかし、都会と違い、ダイヤに拘泥しない。今日は雨だから、きっと汽車は遅れてやって来る。

 安全第一、30 秒遅れたとかで人命が失われるような事故は起きない(と思う)。運転手さんをいつも間近に見れるが、いつでもきちんと指差し確認しながら運行している。エライ。地方万歳!!

 安全第一、ちょくちょく汽車は遅れる。無人駅でも何故か放送は流れる。かなり前だが、「列車は少々遅れています」という放送があったが、待てど暮らせど汽車は来ない。ようやく来たから乗ったら、乗るつもりの汽車はキャンセルされていて、次の列車が、しかも遅れてやって来たことがある。先週は「列車妨害の為、列車は少々遅れています」という放送があって、かなり遅れた。どんな妨害があったのか、あとで JR 四国のホームページを見たが、「現在、遅れ等の情報はありません」と出ていた。30 分までのダイヤの乱れは、乱れの範疇に入らない。健全な生活環境が未だ保たれている。

 無人駅で汽車を待つ。予定通りの時刻に「間もなく、下り列車が参ります。」のアナウンス。駅で待つ人たちがそろそろ来るなとホームで身構える。狭いホーム、その前を、雨を蹴散らし猛スピードで特急が通過していった。そのあとに、「OO線で発生しました停電のため、列車は少々遅れています。」のアナウンス。単線なので、特急が停車する次の駅で上りの列車と行き違い、それが目の前を通り過ぎて終着駅についてから、やおら目的の下り各駅停車がその駅を出発する手筈なので、しばらく駅で時間が出来た。

 

 5 から 10 までの数同士の掛け算は指でできた。10 から 15 までの数同士の掛け算も指でできた。ということは、15 から 20 までの数同士の掛け算も同じようにしてできるのではないかと思い、汽車の待ち時間に駅で考える。予定時刻に汽車が来ないので、駅には通学の高校生たちが増えていた。両手の指を折りながら、ぢっと手をみる、変なおっさんが居るのはさぞかし気味が悪かっただろう。

 

 10 台同士の数の掛け算は第 20 回で記した方法で暗算できるので、その答えに会うような指の組み合わせを考える。第 20 回でやったように、例えば、16 × 18 だったら 16に相方の 18 の 1 の位の数 8 を足してから 10 倍しておく。16 + 8 = 24 だから、240。これに 1 の位同士の数を掛けてから、さっきの 240 に足す。6 × 8 + 240 = 48 + 240 = 288。さぁ、立っている、または折れている指の本数から 288 が出るように、ぢっと手をみる。考える。指折り数えると 16 では 1 本指が立っている。18 では立っている指は 3 本。

① 立っている指の本数を足して 20 倍して覚えておく。1 + 3 = 4 の 20 倍だから80。2 × 4 は知っていることになっている( 5 までの数同士だから)。

② 次に折れている指の数を掛ける。16 だと 4 本折れていて、18 だと 2 本折れているので、4 ×2 = 8 。

③ さっき覚えておいた 80 に足すと、88。

④ 最後に 200 をたす。88 + 200 = 288 (=16 × 18 )。

正しい。他の数でもチェック。正しい。いけるぞ。

 

 汽車に乗る。調子に乗る。20 から 25 までの数同士の掛け算を手の指を使ってできるか挑戦する。例えば、22 × 24。指折り数えると、22 では 2 本の指が折れている。24 では 4 本折れている。

 ぢっと手を見る。

① 折れている指の本数を足して 20 倍する。( 2 + 4 ) × 20 = 120。

② 折れている本数同士を掛ける。2 × 4 = 8。

③ さっきの 120 に足すと、128。

④ これに 400 を足す。

528 だ。確かに 22 × 24 = 528。他の数でチェック。正しい。

 

 今度は折れている指の本数しか使わない。10 から 15 までの数同士の掛け算の時と同じだ。なんか規則が見えてきた。が、これ以上暗算できない。汽車は大学の最寄り駅に着いた。ここで、ひとまず終了。

 

 研究室に到着してから、見えてきた規則を早速、整理しておく。

 

(A) ◇十五から△十(ただし、△ = ◇ + 1 )までの数同士の掛け算では、立っている指の本数を足して、「10 の倍数のいくばくかの数」を掛け、折れている指の本指数同士を掛けて、さっきの数に足し、最後に「100 の倍数のいくばくかの数」を足している。「10 の倍数のいくばくかの数」は、どうやら△十のようだ。△十は(◇ + 1 ) × 10と同じ。「100 の倍数のいくばくかの数」は、△十と(△―1)十を掛けた数の様だ。◇十の言葉では(△=◇ + 1 )だから、((◇ + 1 )十) × (◇十)。さっきの 16 × 18 の時には、◇は 1 だ(△は 2 )。立っている指の本数の和 4 を 2十 ( つまり20 ) 倍した。最後に10×20 (=200 ) を足した。

 

(B) △十から△十五までの数同士の掛け算では、折れている指の本数を足したものに「10 の倍数のいくばくかの数」を掛け、これまた折れている指の本数同士を掛け、さっきの数に足しておき、最後に「100 の倍数のいくばくかの数」を足す。立っている指の本数は使わない。今度は「10 の倍数のいくばくかの数」は△十。「100 の倍数のいくばくかの数」は ( △十) × ( △十 ) だ。さっきの 22 × 24 では、△は 2 なので、折れている指の数の和 6 に 20 を掛けた。最後に 20 × 20 ( = 400 ) を足した。

 

 最後にもう一度整理。パーから指折り数えて、折れている指の数を a、b とする。立っている指の数はそれぞれ 5-a、5-b、これらを p ( = 5-a )、q ( = 5-b ) としておこう。

 

◎ 10 n + 5 から 10 n + 10 までの数同士の場合

 (10 n は 10 × n のこと。n は 0 から 9 までの整数)

 指折り数えると

    ( 10 n + 5 + p ) × ( 10 n + 5 + q )

 を計算することになる。左右の手に立っている指の本数が p と q。掛け算を実行する。

 

    ( 10 n + 5 + p ) × ( 10 n + 5 + q )

      = ( 10 n + 5 ) × (10 n + 5) + (10 n + 5 ) × (p + q ) + p × q

      = ( 100 n × n +100n + 25 ) + ( (10 n +10 ) × (p + q ) + ( 5 -p ) × ( 5-q) )-25

      = 10 n × ( 10 n + 10) + 10 × (n+1) × ( p + q ) + (5-p) × (5-q)

 

こうして、最後の式の真ん中、10 × (n+1) × ( p + q ) は、立っている指の本数の和 ( p + q ) に、◇十五から△十の場合の△(=◇ + 1 )を 10 倍している。これに最後の (5-p) × (5-q) を足しているが、(5-p)、(5-q) は 5 から立っている指の数を引いているので折れている指の数だから、折れている指の本数同士を掛けたことになっている。最後に初項 10 n × ( 10 n + 10) は (◇十)×((◇ + 1 )十)。これを足しておしまい。これで、(A) は示せた。

 

◎ 10 n から 10 n + 5 までの数同士の場合 (n は 1 から 9 までの整数)

  指折り数えると

    ( 10 n + a ) × ( 10 n + b )

 を計算することになる。左右の手で折れている指の本数が a と b 。掛け算を実行する。

 

    ( 10 n + a ) × ( 10 n + b )

            = 10 n ×10 n  + 10 n × ( a + b ) + a × b

 

今度はやさしい。最後の式の真ん中、10 n × ( a + b ) は、折れている指の本数の和  (a + b ) に、△十から△十五の場合の△( = n) の 10 倍。これに最後の項 a × b を足しているが、これは折れている指の本数同士の掛け算だ。最後に初項 10 n × 10 n  は (△十)×(△十)。これを足しておしまい。これで、(B) も示せた。

 

 スマホなんて持ってないので、空き時間に web を見ることもない。汽車が遅れて、ぽっかり時間が出来たら、普段考えないことが考えられる。汽車が遅れても、良いこともあるものだ。

55.走行中はシートベルトをお締め下さい

 高速バスに乗る。前の席に付いている網状の物入れみたいなところに、「走行中はシートベルトをお締め下さい」という札が入っており、「時速60 kmで衝突すると、高さ14 m から飛び降りた衝撃と同じです」といった内容のことが書かれていた。第10回で導いたエネルギーの保存法則を使って確かめてみる。

 

 時速60 km ということは、秒速にして

 

    60 km / h = 60 × 1000 m / (3600 秒(s)) = 100 / 6 [m/s] = 16.7 [m/s]

 

およそ、秒速 16.7 m。

 

 高さ 14 m から飛び降りる。飛び降りる際の位置エネルギーは mgh。m は飛び降りる人の質量、h は高さ14 m、g は重力加速度 9.8 m/s2 。これが地表面ですべて運動エネルギー mv2 / 2 になるとすると

 

    mgh = mv2 / 2

 

つまり

 

    v = √2gh

 

だ。ルート2gh。数値を入れると

 

    v = √2×9.8×14 [m/s]  = 16.56 [m/s]

 

およそ、秒速16.6 m。確かに時速 60 kmで衝突する直前の速さとほぼ等しい。

 

 高速バスの中の安全のしおりにも、正しいことが書いてあることを確かめて満足しながら高速バスでの移動は続く。

54.オーストラリアと寺田寅彦

 オーストラリアで国際会議(国際学会)があり、自分の研究の口頭発表ができることになったので、出かけることにした。正直、南半球に行くのは初めてなので、そちらの興味の方が強かった。9月半ばのことだ。時差は30分から1時間程度だが、季節が逆という不思議な体験をしてみたかった。

 アデレードという町で国際会議は開かれた。シドニーで飛行機を乗り継いでアデレードまで飛んだが、なんか感覚としては、四国は土佐の東洋町から安芸市くらいのつもりだった。ところが、飛行機で2時間ちょっとかかる。オーストラリア、広い。

                    

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 お昼時に南に向かって街を歩いていると、自分が歩く方向、南側に影が伸びている。自分の影を辿って南に向かうのは、新鮮な感覚だった。太陽は北にあった。太陽は東からのぼり、北側を通って西に沈む。さすが南半球。

 

 南半球に行くことは稀だろうから、奥さんと中学生の子供と出かけた。2人は先に帰るので、3日ほどだけ中学校は休ませることにした。息子は水泳をやっているので、飛行機とあわせて5日も泳がないというのも何なんで、アデレードでプールを見つけて連れて行って、一人で泳がせた。一つのレーンを往復するのだが、日本はレーンの右側を泳いですれ違うのに、オーストラリアは逆だった。息子はそのことを最初は知らずに日本式に泳いでいたが、だんだん混んできて1レーン2人で泳ぐことになった時、オーストラリアのおじさんに、泳ぐ方向が反対だと注意されていたようだった。ガラスがあるので観覧席からは全然聞こえないけれど。しかし、そのおじさん、息子の泳ぎの上手さに驚いたようで、そりゃあ、四国大会では1位か2位を取り、全国大会の標準記録を切って東京辰巳国際水泳場で泳いできたこともあるのだから上手くて速いのは当たり前なのだが、兎に角ビックリしたのだろう、息子になんか話しかけて、さっきまでは、しかめっ面で注意していたのに、笑顔まで出して話し始めていた。息子は中学1年なので英語はそうできるとも思えないが、あとで聞くと、どこから来たのかとか、Japanと答えると東京かとか聞かれたりとか、それなりに受け答えして会話していたらしい。まぁ、それだけでも来た甲斐あって、いい経験になったか。

 

 二人が帰国した後に自分の講演も済ませた。国際会議最終日に講演を聞いていると、原子核物理の医療への応用のところで、粒子線治療のブラッグピークの話が出てきた。加速された粒子を体に当てると、最初、粒子は体表面を透過するのに、あるところで急に吸収される。これをブラッグピークと言う。体の表面から癌などの患部までの深さを知っておくと、照射する粒子のエネルギーを調整してブラッグピークを幹部の深さに合わせ、患部に粒子線が吸収されるようにして治療する。この話の流れで、「ブラッグピークは、ここアデレードで1904年に発見されたのです」と講演者が話し、驚いた。さすがにそこは英語でも聞き取れた。へぇー、そうだったのね。ブラッグピークはブラッグの親の方によって、アデレードで発見されている。

 講演の後、アデレード市内をアデレード大学の方へ散歩しているときに、胸像を見つけた。ブラッグ親子の胸像だった。ブラッグ親子はX線回折を利用して結晶構造を解析する方法により、ノーベル賞を得ている。

   

               

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         ブラッグ父            ブラッグ子

 

 ところで、1913年、高知の生んだ物理学者、寺田寅彦は「On the Transmission of X-Rays through Crystals(結晶を通してのX線の透過について)」という論文を東京数学物理学会の学術誌に英文で書いている。その前に、同じ1913年だが、「X-Rays and Crystals(X線と結晶)」という論文も書いていて、Natureという海外の学術誌に掲載されている。ところが、同じ研究がブラッグ親子によって為されていた。彼らは、「結晶による短波長電磁波の回析」という題で1912年11月11日にケンブリッジ哲学協会で口頭発表しており、さらに1913年1月10日付けでProceedings of Cambridge Philosophical Societyという学術雑誌に論文が掲載された。寺田寅彦は、丁寧に、東京数学物理学会の学術誌に掲載された自分の論文の最後に、脚注として「After the paper was read, I have received the paper of Mr. W. L. Bragg entitled “The diffraction of short electromagnetic waves by a crystal”, read before the Cambridge Philosophical Society on Nov. 11, 1912, and printed on Jan. 10, 1913, and became aware that my way of reconstructing Laue's photograms and of explaining the shape of the spots on them was essentially not new.」と記した。自分より先にブラッグ親子が自分と同じことをしていたと公正に記載したのだ。「私の方法は・・・not new (新しくなかった)」。

 ブラッグ親子は1915年、第15回のノーベル物理学賞を得る。

 寺田先生は漏れた。