3.質量とエネルギーの等価性
母は三四郎に、知り合いの従兄弟が学士さんだから訪ねて行けという。三四郎は、学士さんながら研究を続けている野々宮さんを訪ねる。
野々宮さんは三四郎に説明する。
『「昼間のうちに、あんな準備(したく)をしておいて、夜になって、交通その他の活動が鈍くなるころに、この静かな暗い穴倉で、望遠鏡の中から、あの目玉のようなものをのぞくのです。そうして光線の圧力を試験する。今年の正月ごろからとりかかったが、装置がなかなかめんどうなのでまだ思うような結果が出てきません。夏は比較的こらえやすいが、寒夜になると、たいへんしのぎにくい。外套(がいとう)を着て襟巻をしても冷たくてやりきれない。……」 三四郎は大いに驚いた。驚くとともに光線にどんな圧力があって、その圧力がどんな役に立つんだか、まったく要領を得るに苦しんだ。』
与次郎に誘われて、精養軒の集まりに参加した三四郎は、野々宮さんが話すのを聴く。
『「野々宮さん光線の圧力の試験はもう済みましたか」 「いや、まだなかなかだ」 「ずいぶん手数(てすう)がかかるもんだね。我々の職業も根気仕事だが、君のほうはもっと激しいようだ」』
野々宮さんは、また説明する。
『「理論上はマクスウェル以来予想されていたのですが、それをレベデフという人がはじめて実験で証明したのです。近ごろあの彗星(すいせい)の尾が、太陽の方へ引きつけられるべきはずであるのに、出るたびにいつでも反対の方角になびくのは光の圧力で吹き飛ばされるんじゃなかろうかと思いついた人もあるくらいです」』
[夏目漱石 「三四郎」 より]
夏目漱石の野々宮さんだって、光線の圧力の研究をしていた。
「圧力」とは「圧(お)す」「力(ちから)」と書くぐらいだから、力ではあるが、これは「単位の面積あたりに働く力」のこと。だから、力を F と書いて、その力が及ぼされる面積を S [m2]と書くと、圧力は
(圧力)= (力)/ (面積)= F / S
と書ける。
ところで、ニュートンの運動法則は
(力) = (質量)×(加速度)
であった(「地球の重さ」参照)。ここに、「運動量」と呼ばれる量を
(運動量) = (質量)×(速度)
のように定義してしまうと、「速度の変化」が「加速度」なので、
(力) = (運動量の変化)
と思ったら良いことになる。
ということは、「圧力」は単位面積当たりの「運動量の変化」だ。
光の波長を λ(ラムダ)メートルとする。ギリシャ文字のλ(ラムダ)は英語のlに対応している。「長さ」は英語で「length」なので、頭文字のlを、ギリシャ文字で書いて代表させる。波長とは、ドンブラコ、ドンブラコの波の、ある山から次の山、または谷から谷までの長さ。このとき、野々宮さんが実験で示そうとしていた「圧力」は、「運動量の変化」であった。だから、光線、または光には「運動量」がある。
光の運動量 p は
p = h / λ
と知られている。ここにhはある定数。要するに、光の運動量は、光の波長に反比例している。光の「エネルギー」Eは、
E = h c / λ = p c
となることも知られている。ここで、cは光の速さで、およそ、3×108 m/s、時速でいうと30万km毎時。光の運動量 pを、そのエネルギー E で表すと、今の式から
p = E / c (1式)
となることがわかる。
さて、図のように、質量M1 [kg]とM2 [kg] の二つの物体が、距離 r1 + r2 [m] 離れて置かれているとしよう。図のように、r1 とr2 は、2つの物体の重心からの距離を表している。ここで、重心であるということを式で表すと
M1 r1 = M2 r2 (2式)
と書ける。シーソーを思い出すと良い。(左の重さ)×(左の腕の長さ)=(右の重さ)×(右の腕の長さ)だ。重さが軽くても、遠くに座っていれば重い相手と釣り合いが取れる。
質量が M1 の左の物体が、右向きに光を出したとしよう。右向きに進む光は運動量 p を持つ。その反作用で、物体は左に動く。光の「圧力」だ。でも、急に左の物体が左に動いたので、重心の関係(2式)が満たされなくなる。そこで、左に進んだ物体の質量は少し減ったとしよう。減った質量は m [kg] としておく。そうすると、左の物体は光の反作用で動いたのだから、「運動量の変化」は光の運動量分 p なので、(運動量)=(質量)×(速さ)の定義を思い出すと、物体の速さを V [m/s] として、
p = ( M1 - m ) V つまり V= p / ( M1 - m ) (3式)
と言う関係にある。光はもちろん光の速さ c (=3×108 ) [m/s] で進むので、左の物体から右向きに出た光が、右の物体に到達して“吸収”されるまでにかかる時間を t [s] とすると、(速さ)×(時間)で(距離)r1 + r2 進むので
c t = ( r1 + r2 ) つまり t = ( r1 + r2 ) / c
という関係が得られる。光が右の物体に“吸収”されるまでに、左の物体は左へ速さ V で進んでいるのだから、光が“吸収”されるまでに左の物体が進んだ距離は、(速さ)×(時間)でV × t。つまり
V t = V × ( r1 + r2 ) / c (4式)
最終的に光は消えた。このとき、質量 M2 の右の物体は、左の物体が失ったのと同じ質量 m だけ増えたとしよう。そうすると、重心の関係、(左の重さ)×(左の腕の長さ)=(右の重さ)×(右の腕の長さ)は、2つの物体の質量が変わったのと、左の物体が(4式)だけ最初の位置から左へ動いたことを忘れないようにして書くと
( M1 - m )×( r1 + V × ( r1 + r2 ) / c ) = ( M2 + m )×r2
となるはずだ。(3式)を使って、V を p / ( M1 - m ) と書き換えて、ついでに(1式)を使って p を E / c と書き換えると、この式は
( M1 - m ) r1 + ( E / c )×( r1 + r2 ) / c = ( M2 + m )×r2
となる。ちょっといじると、
E = m c 2
という式が出てくる。これは左辺のE、つまり「エネルギー」は、右辺の m、つまり「質量」に光の速さ c を2回かけたものに等しいと言うことを主張している。
これを、「質量とエネルギーの等価性」と呼んでいる。アインシュタインの相対性理論の一部だ。
ちなみに、この導き方は、大栗博司さんの著書「重力とは何か」で学んだ。大学1回生向けの初歩の物理学の授業でも使わせていただいている。それまでは、W. Pauli (ヴォルフガング・パウリ)という人が使った方法を用いていたが、速さに依存した質量を持ち込まないといけなかったので、性に合わなかった。「質量」とは速さに依存しない相対論的不変量だから(ちょと専門的)。
ついでに、W.Pauli は19歳の時に百科事典に載せるための長大な「相対性理論」の本を書き、その後、「Pauli の排他原理の発見」でノーベル物理学賞を貰っている。彼の相対論の著書は、内山龍雄氏の和訳があるので、日本語で読める。Pauli の最初の助手がL. Peierls (ルドルフ・パイエルス)と言う、今では著名な物理学者で、彼は第2次世界大戦中、イギリスで原爆開発を進めようとした「モード委員会」の一員であった。その後、イギリスは独自での原爆開発を諦め、アメリカ合衆国の「マンハッタン計画」に合流する。Peierls の下で博士の学位を取った内の一人に、ポルトガルの Joao da Providencia がいる。彼はポルトガルのコインブラ大学の物理学の教授であったが、同名の父はかつての文学部の教授、娘は現在理学部物理学科の教授である。幸い、Joao 氏とは長く共同研究をさせて貰っている。不思議な縁(えにし)である。
E = m c2 の効用は、また今度。
奥さんと二人で1年間パリ暮らしをした。研究のために通ったパリ第6大学(ピエール・マリー・キュリー大学、Université Pierre et Marie Curie)。向こうの12から階段を上がって3階(日本でいう4階)に研究室がありました。手前の床に、大きく E = mc 2 とモザイクされている。