64.ぼくの伯父さん

 中学時代の友人、T君が俳優の道に進んでいた頃(44回)、彼の影響もあって、戯曲に興味を持つようになった。といっても、テレビのシナリオである。向田邦子倉本聰山田太一といった人たちのシナリオが書籍として売られていたので、電車に乗って大きな本屋に行って買って読んでいた。「倉本聰全集」なんか、ちみちみお金を貯めて揃えていった。そうこうするうちに、シナリオと言えばシェイクスピアでしょうということで、もちろん日本語訳だが文庫本で読み始めた。大学に入ってからの語学の授業の選択は、戯曲中心にした。英語では、シェイクスピアハムレットピーター・シェーファーのブラックコメディ(暗闇の喜劇)。何だったか忘れたが、能に影響されていたイェイツの戯曲もあった。

 演劇の作劇法、ドラマツルギーにも一瞬だけ興味を持ち、異化効果なんて面白いなぁと思ったりした。なぜかドラマツルギーと映画監督のエイゼンシュテインが自分の中では繋がっているのだが、モンタージュとかの映画の手法で、なにか読んだのかもしれない。

 

 大学では映画好きの友人が複数いた。「天井桟敷の人々」は必ず見ないといけないよと言われ、京一会館という名画座で掛かっていたときに連れていかれたこともある。後にパリで暮らすことになろうとは思いも寄らなかった大学生時代、パリを舞台にした映画が長かったことだけ覚えている。別の友人には、「アンタッチャブル」で乳母車が階段をカタンかたんと落ちていくシーンが印象に残っているという話をちらりとしたら、あのシーンは「戦艦ポチョムキン」のシーンが元ネタだと教えられ、良く知っているなぁ、詳しいなぁ、と感じ入った。その時に「戦艦ポチョムキン」の監督がエイゼンシュテインであることを知る。

 

 高校時代にはT君の影響もあって戯曲に興味を持っていたが、高等学校の現代国語なんかには興味を惹かれなかった。世界史の先生は、やたらとフランス革命を詳しく教えてくれた。昔の高等学校では、選り好みできずにすべての授業科目を一通り取らないといけなかった。高校2年で、すでに物理と数学という理系科目に目覚めていたが、「倫理・社会」、通称「倫社」なる授業科目は面白かった。哲学関係では、いつも通り、ギリシャ哲学、ミレトスのタレスから始まるのだが、万物のもとは何とかである、といった議論が物理に通じていて興味がわいた。1980年代前半だったこともあり、倫社の中の哲学分野はフランス実存主義で終わった。サルトルまでである。その当時は既にレヴィ・ストロースなんかの構造主義が盛んだったとは思うが、いかんせん高校生、そんなことは知らない。

 

 今の大学の同僚である実験系の先生が、新入生向けの読書案内で、構造主義の入門書を紹介していた。贈与とか交換だとか、親族の基本構造なんかの言葉を通してなんとなく構造主義の話も聞きかじってはいたが、信頼できる先生が紹介している本だということで買って読もうと思ったら近くの本屋には無かったので、図書館で借りた。学生向け紹介パンフレットに載っているのに、なぜ大学図書館で借り出されずに残っているのか、ちょっと気になったが。読んでみると面白かったので、注文して買って、手元に置いて再び読み始めた。

 レヴィ・ストロースの「親族の基本構造」では、親・子に加えて母方のおじが基本的な役割を担うことになっている。理由はここでは説明しないが、ふと、以前見たフランス映画を思い出した。1958年の「ぼくの伯父さん (Mon Oncle)」というフランス映画だ。パリから帰ってきて、フランス語が聞きたくなって見た映画だが、おじさん好きの子供とおじさんが織りなすコメディである。おじさんは母方の叔父さんであった。レヴィ・ストロースの「親族の基本構造」は1947年刊行だそうなので、「Mon Oncle」は構造主義の影響があったのだろうか。

 

 今度会ったら、映画好きの友人に確かめてみよう。