90.鏡の向こうとこちらの物理

 前回、89 回では、鏡の向こう側が何故、右と左が反対に見えるのか、あるいはそう感じるのかについて考察した。人とかだと、あからさまに左右が違う。例えば顔のほくろの位置とか、心臓の位置とか。でも、基本の基本の自然法則までたどれば、自然は鏡のこちらの世界と向こうの世界を区別しているのだろうか? 言うなれば、右と左は区別がつくのか?

 

 素粒子の世界まで行くと、起きている現象を見て、鏡のこちらで起きている現象なのか、鏡の向こうで起きている現象なのか、一見しただけではわからないだろう。素粒子が動いている現象を鏡に映しても、自然な運動に見える。右方向に動こうが、左方向に動こうが、どこにも不思議さを感じさせない自然な現象だ。だから、物理学者も、自然法則は右と左を区別しない、すなわち鏡のこちらの世界で起きる現象は、鏡に映しても同じように生じると考えていた。前回やったように、鏡の面に垂直方向におかれた矢印の向きは鏡に映すと反転するが、鏡の面に平行な平面上に置かれた矢印は反転しない。x-y-z 座標を考えると、どれか一つの軸が反転して、残りの 2 軸は反転しないというわけだ。しかし、すべての座標軸を反転させてからうまく回転させてやると、1 本だけ反転させた座標軸と重なるので、鏡に映すことを“空間反転させる”ということにしよう。そうすると、「自然法則は空間反転しても不変である」と言えそうだ。

 私たちのよく知る電磁気現象では、右と左を区別するような現象は見られない。鏡の向こう側の世界も自然な世界だということだ。「空間反転対称」な世界だ。

 

 ところが。

 

 自然界には私たちのよく知っている電磁気力や万有引力の他に、原子核の放射性崩壊を引き起こす“弱い力(弱い相互作用)”と呼ばれる力が存在している。この力は原子核程度の大きさの中の距離でしか働かず、しかも力が“弱い”ので、私たちの日常には現れてこない。しかし、この力は、ある種の原子核を別の原子核に自然に壊変する際や、素粒子が他の素粒子たちに崩壊する際に働く。1950 年代初め頃に弱い相互作用で崩壊する素粒子に不思議な現象が見られた。質量などは全く同じなのに、一つの素粒子は 2 つの π 中間子に、もう一つの素粒子は 3 つの π 中間子に崩壊する。その現象をよく吟味した T.D.リーと C.N.ヤンは、実は弱い相互作用では鏡のこちら側で起きる自然現象は、鏡の向こうでは禁じられている、つまり「自然は空間反転不変ではない」のでは、という論文を書く。1956 年のことで、検証実験をあわせて提案する。1957 年に提案を受けたC.S.ウーは実験を行い、本当に鏡のこちらと向こうでは異なることを示す。

 

 コバルト 60(60CO)という原子核がニッケル 60(60Ni)という原子核へ、電子(e)と反ニュートリノ(νe)を放出して崩壊する現象を考える。素粒子原子核には固有の角運動量-スピンと呼ばれる-を持っている。自転と考えてはいけないのだが、話を単純化するために、“自転”の(スピン)角運動量としてみる。回転方向に右手の 4 本指を添わせて包み込んだ時、親指の立つ方向が、スピンの向きだ。図の左側、崩壊前にはコバルト原子核は(スピン)角運動量 6 を持つ。上向きなので、+6。この 60Cが崩壊し、60Ni と電子、反ニュートリノニュートリノ反粒子なので、上に棒線(バー)を付けて表わしている)になる。図の右側。60Ni の(スピン)角運動量は +5、電子も反ニュートリノも +1/2、全部合わせて +6。崩壊前と崩壊後で(スピン)角運動量の値は変わっていない。角運動量の保存則が成り立っているからだ。電子は、図のように下側に、反ニュートリノは上側に放出される。電子は、その運動方向とスピンの向きに制限はないが、反ニュートリノのスピンの向きは、その運動方向と同じものしかない。運動方向に右手の親指を立てて 4 本の指を包むと丁度ニュートリノの“自転角運動量”が再現されるので、反ニュートリノは『右巻き』だと言われる。こうして角運動量の保存法則が成り立つためには、反ニュートリノの(スピン)角運動量も電子の(スピン)角運動量も図のように上を向いていないといけない。しかし、反ニュートリノは、その(スピン)角運動量が反ニュートリノの運動方向と同じ向きのものしか存在しないので、上向き(スピン)角運動量を与えるためには、上方向に進むしかない。こうして、実際の実験でも、反ニュートリノはもともとの 60Cの(スピン)角運動量の方向にのみ放出され、電子は(運動量保存法則も満たさないといけないので)反対方向に放出される。放出方向に非対称性があるということだ。これは実験事実。

 

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 さて、この現象を鏡に映してみよう。図が 2 つあるが、下左図は崩壊前、下右図が崩壊後で、ともに“鏡”と書いた平面の左側が現実世界、右側が鏡の向こうの世界だ。

 

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 角運動量を“自転”と考えると、鏡に映すと“自転”の回転の向きが反対になるので、右手の 4 本指で回転方向に沿って包んだ時に親指が立つ方向 -(スピン)角運動量の方向-は、鏡の向こうではこちらと反対になる。だから、鏡の向こうでは 60CO の(スピン)角運動量は大きさが 6 で向きは下、-6 だ。崩壊後の図を見てみよう。60CO も 60Ni も静止しているが、崩壊後に出てきた電子(e)と反ニュートリノ(νe)は運動している。しかし、鏡に映しても、運動方向は変わらない。鏡に平行な平面上の矢印だから、鏡に映しても反転しない。変わるのは、(スピン)角運動量の方向だ。電子の“自転”もニュートリノの“自転”も鏡に映すと反対向きになるので、(スピン)角運動量の方向は、鏡に映すと反対になる。そうすると、鏡の向こうの世界では、電子の(スピン)角運動量、反ニュートリノの(スピン)角運動量ともに、“下”を向くはずだ。こうして、右図の鏡の向こう側-右側-の状況になる。

 

 しかし。

 

 鏡に映しても同じ現象が起きるなら、鏡の向こうの反ニュートリノの(スピン)角運動量の方向は、進行方向と反対向き、つまり『左巻き』でないといけない。しかし、現実世界には『左巻き』の反ニュートリノは存在しない。それは鏡の向こうでも同じはずだ。

 いや、正確に言うと、『左巻き』反ニュートリノは存在するのだが、『左巻き』の反ニュートリノは「弱い相互作用」が働かないのだ。つまり、「弱い力」が引き起こす放射性崩壊には関与しない。

 

 こうして、「弱い相互作用(力)」が関与する場合には、鏡のこちらで見られる現象が、鏡の向こうでは存在しない。鏡に映した世界は成り立たないというわけだ。だって、そんな反ニュートリノは存在しないのだから。

 

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 なんとなく、鏡に映しても自然法則は同じであると思っていたのが、そうではないとわかるとビックリする。リーとヤンは論文を書いた 1956 年の翌年、1957 年に、この業績でノーベル物理学賞を貰う。T.D.リー 31 歳、C.N.ヤン 35 歳のことだ。「空間反転対称性の破れ」を実験的に示したウーさんは、ノーベル賞を貰えなかった。

 

 もう一歩先へ。

 

 鏡に映した後、粒子と反粒子を入れ替える。60COは、反陽子反中性子からなる反コバルト 60 に変換される。放射性崩壊で、反ニッケル 60 と、陽電子と呼ばれる反電子と、反ニュートリノの“反”粒子であるニュートリノに崩壊する。(スピン)角運動量や放出される粒子の運動方向は、粒子と反粒子を入れ替えてもかまわない。そうすると、2つ前の図の崩壊後の粒子をすべて反粒子に置き換えると、今度は左巻きニュートリノが図の上方に放出される図になる。左巻きニュートリノは存在するので、反コバルト 60 の放射性崩壊は、鏡に映して(P変換)から粒子・反粒子を入れ替える(C変換)操作をすると、現実世界と同じになる。こうして、鏡に映したら自然法則は同じでなかったが、さらに粒子・反粒子を入れ替えると自然法則は同じまま成り立つことが分かった。これを CP 不変性という。

 

 でも、まぁ、今回の本題の、粒子・反粒子は入れ替えずに、鏡に映しただけでは自然法則は不変でない場合があることはわかった。

 

 ニュートリノ反粒子である反ニュートリノは『右巻き』だと言った。ニュートリノ自身は『左巻き』。

 ニュートリノが『左巻き』なので、『神様は弱い左利き』と思われているようだ。