109.一つの数式の理解は複数

 大学の学部生のころ、5 人ほどで量子力学の自主ゼミをやっていた。自主ゼミとは、文字通り、数人が自発的に集まって、自主的にテキスト購読を行うものだ。2 回生の頃からランダウ・リフシッツの「量子力学」の教科書でゼミをしていた。順番にレポーターを決め、レポーターは責任をもって割り当てられたところを読んできて説明する。

 

 

 だいぶん進んで、散乱理論のところが当たった。遠方から入射粒子を標的となる粒子に当てたら、どれくらいの割合で散乱されるかを表す量、散乱断面積 σ の計算があった。散乱断面積については、ちょっとだけ第 60 回で触れた。きちんと計算で求めるには、平面波の球面波展開やら、ルジャンドル多項式の規格直交性の利用やら、とても仕掛けが大掛かりなのだが、最終的には

 

    σ = Σl=0 ( π / k2 ) (2 ℓ + 1) | e2 i δ(l) ― 1 |2     ・・・(1)

 

が得られる。入射粒子は標的に吸収されずに弾性散乱されるとした。ここで、プランク定数h を 2π で割ったℏを使うと、ℏ ℓ が入射粒子の角運動量になり、ℓ  は 0 を含む自然数をとる。Σl=0∞ はすべての自然数 ℓ で和を取りなさいということ。また、k は ℏk  が入射粒子の運動量になる「波数」と呼ばれる量。δ(ℓ) は ℓ に依存したある量。

    

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 量子力学によると、角運動量は ℏ を単位にして、上で記したように、とびとびの値    ℓ = 0, 1, 2, 3・・・をとる。同じ角運動量 ℓ のときにも、まだ 2 ℓ + 1 個の別々の状態がある。角運動量のある方向、例えば z 方向にベクトルとしての角運動量を射影したとき、その大きさ ℓz は、-ℓ、―ℓ+1、-ℓ+2、・・・、ℓ-1、ℓ  までの、2 ℓ + 1 通りの値を持つからだ。

 

 うーん、量子力学を知らない人には何のことやら。

 

 でも、とりあえず、同じ角運動量 ℏℓ でも 2 ℓ + 1 個の異なる量子力学的状態があることを認めましょう。このとき、「2 ℓ + 1 重に縮退している」と表現します。

 

 そこで、(1)式を眺めると、一つの ℓ に対して、因子 2 ℓ+ 1 がちゃんと現れているではないか。ということで、角運動量が大きいほど、取りうる量子力学的状態の数が増えるので、角運動量が ℏℓ の入射粒子では、散乱に寄与する割合が、状態数の因子 2 ℓ + 1 だけ大きくなるのだろうと考えた。

 

 ゼミのレポーターだったので、それで良し、としてもよいが、ちょっと待った。

 

    2 ℓ + 1 = ( ℓ + 1 )2 - ℓ2

 

じゃないかと気付いた。

 

 当たり前の式なので、気付いたというのも変だが。

 

 下の図のように、右から粒子を入射して、O のところに標的があるとして粒子が散乱されると考えてみよう。

 

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 何も起きなければ無限遠方から入射してくる粒子は、標的を含む線上から b の距離だけ離れた平行線上を進んでくる。でも、標的の影響で曲げられ、上図で b だけ離れたところの曲線上を進む。この時の角運動量を L としよう。無限遠方での入射粒子の速さを v、質量を m とすると、角運動量古典力学的に

 

    L = m v b     ・・・(2)

 

となる。古典力学的には粒子の運動量 p は

 

    p = m v      ・・・(3)

 

だが、量子力学的には、粒子と波の 2 重性から、波の性質、波数 k を使って

 

    p = ℏ k     ・・・・(4)

 

だった。こうして、(2)の mv を(3)で p にして、(4)を使って量子力学に移行すると

 

    L = ℏ k b    ・・・(5)

 

となる。いや、量子力学的には

 

    L = ℏ ℓ    ・・・(6)

 

だったから、(5)、(6)から

 

    b = ℓ / k   ・・・(7)

 

だ。さて、図から、b の距離のところを角運動量 ℏℓ の粒子が来たのだから、今度は少し離れた b + Δb のところからは、ℏ( ℓ + 1) の角運動量をもって入射してくるとすると、古典力学的には、角運動量 ℏ(ℓ + 1) と ℏℓ の間の粒子は、図の影をつけた円環の部分を通って散乱されるということになる。円環の面積 ΔS は

 

    ΔS = π ( b + Δb )2 - π b2

 

だが、b + Δb のところは ℏ を単位にした角運動量は ( ℓ + 1) だったので、(7)を使うと

 

    ΔS = π ( b + Δb )2 - π b2

      = π ( ℓ + 1 )2 / k2 - π ℓ2 / k2

      = ( π / k2 ) × ( 2 ℓ + 1 )

 

となる。さっき気付いた 2 ℓ + 1 = ( ℓ + 1 )2 - ℓ2  のおかげだ。ΔS の面を通ったらすべて散乱されているわけだから、散乱される割合は、すべての可能な ℓ 、つまり ℓ について 0 から無限大まで足し合わせて、

 

    Σl=0 (π  /k2 ) × (2 ℓ + 1)

 

となるはずだ。(1)をほぼ再現するではないか。

 

 あとの | e2iδ(l) ― 1 |2  は、ここまでの古典・量子折衷の今の議論では未だ取り込めない粒子の持つ波動性だろうと結論した。というのも

 

    | e2iδ(l) ― 1 |2 = 4 sin2 δ(ℓ)

 

なので、まさに三角関数の「波」が出てくる。波動性により 0 から 4 までの因子が現れるのだろう。

 こうして、2 ℓ + 1 は「縮重度の現れ」と解釈してもいいし、入射粒子の幾何学的な性質、π ( b + Δb )2 - πb2 = π ( ℓ + 1 )2 / k2 - π ℓ2 / k2 = ( π / k2 ) × ( 2 ℓ + 1 ) とみなしても良いはずだ。

 

 こんな風に、一つの式を導いても、複数の解釈が可能だ。

 複数の理解が自力で出来て、20 歳そこそこの時には大層喜んだものだ。

 

 

 さて、次に、波長の短い X 線を、Z 個の電子を持つ原子に入射した時の、X 線の散乱断面積を見てみよう。やっぱり導出は厄介なので、結果だけ書くと、散乱断面積 σ は

 

    σ = Z × ( 8π / 3 ) × ( e2 / ( 4πε0 m c2 ))2   ・・・(8)

 

と得られる。ここで、 は素電荷 1.6 × 10-19 C(クーロン)、ε0 は真空の誘電率で8.85 × 10-12  C2 s2 / kg m3 、mは電子の質量 9.1 × 10-31  kg である。ここで与えられる散乱断面積は、トムソン散乱の散乱断面積である。

 

 ここで、こんなことを考えてみる。仮に電子に半径a  があったとする。そうすると、電荷 ‐e を持った電子が、電子の外側に作る電場による静電エネルギー E は、

 

    E = ∫ ε0 E2 / 2 ・4 π r2 dr

 

となる。右辺のE は電場で、

 

    E = (1 / 4 π ε0 ) × e / r2

 

で、積分は電子の半径 a から無限大まで行う。 

  これも計算すると

 

    E = e2 / ( 8 π ε0 a )     ・・・(9)

 

となる。物理系の大学生の良い演習問題だ。このエネルギーが、実は電子の質量エネルギーだ、なんていう大胆な仮定を置くと、E = m c2 だから。こうして、仮に持たせた電子の半径a  は

 

    a = (1 / 2 ) × ( e2 / (4πε0 m c2 ) )

 

となる。(9)式を a について表して、E = m c2 を入れた。この a から 1 / 2 の因子を外した部分には名前がついていて、「古典電子半径」と呼ばれる。古典電子半径を re と書くと

 

    re = e2 / ( 4πε0 m c2 )

 

 そうすると、(8)式のトムソン散乱の散乱断面積は、

 

    σ= ( 8/ 3 ) ×Z×πre 2      ・・・(10)

 

となり、X 線が一つの電子を見込む面積が π re 2 で、電子は Z 個あるから、因子 8 / 3 を除けば、Z 個の電子によって遮られる面積 Z × π re 2 に邪魔されて、その面積部分にあたると X 線は散乱されると解釈できる。

 

 ところが一方、(8)式は

 

    σ = Z × ( 2 / 3π ) × ( e2 / ( 4πε0 ℏc ))2 × π ×( h / m c )2  ・・・(11)

 

とも書き直せる。ここで、

 

    ℏ = h / (2 π)

 

で、h がプランク定数。なんでわざわざ ℏ(あるいは h )を入れたかというと、(11)で出てくる

 

    e2 / ( 4πε0 ℏc ) = α = 1 / 137

 

は、電磁相互作用するときの典型的な強さを表す無次元量なので、これを引っ張り出すために ℏ で割っている。そもそも(8)に出てこない量で割ったので、でてこない ℏ または h を打ち消すように、(11)で

 

    h / m c = λe

 

が現れ、余分な h を掛けたことになっている。ここで定義した α は微細構造定数と呼ばれる。また、λコンプトン波長と呼ばれている。この波長は、始め λ だった波長の X線を電子に照射したとき、電子にエネルギーを与えることで、散乱後の X 線の波長が λ‘ と長くなるという式、

 

    λ‘ ― λ = ( h / mc ) ×  (1-cos θ )

 

に現れる。θ は X 線が曲げられた角度。

 そうすると、トムソン散乱の断面積(11)は

 

    σ = ( 2 / 3π ) × Z × α× π λe2    ・・・(12)

 

と書き直せる。因子 2 / 3 π を除いて、波動性を持つ電子のコンプトン波長 λ程度の広がりを持つ面積 π λeのところに X 線がやってくると電磁相互作用し、相互作用の強さ α が掛ったものが断面積になるというわけだ。電子は Z 個あるので、Z 倍されている。α が 2 回掛かっているのは、電子と X 線の散乱の度合いを量子力学で計算するためには、振幅の絶対値の 2 乗をとるという操作が入るため。

 (10)の形を解釈すると、古典的な電子に X 線が当たると散乱されると見え、(12)を解釈すると、波動として拡がった電子と X 線との電磁相互作用のように見える。

やはり、複数の理解ができるようだ。