113.戦後民主制とプラトン「国家」

  私が小中高校を過ごした時代は、敗戦から 30 年前後たった頃だった。戦後民主主義の理想・希望が残っており、何かあったら学校では選挙をしていた。今でも生徒会委員とか学級委員は選挙をして決めているのだろうが、体育委員も保健委員も遠足の何とか委員とかも、やたらと選挙で決めていた。帽子をひっくり返して投票用紙を回収し、名前が挙がった人たちの名前を黒板に書いて、票が入れば「正」の字の字画を足していく。正の字一つ完成したら 5 票入っているということだ。得票上位者がそのまま選ばれることが多かった。

 大学に就職し、かなりの年月が経つが、学長をはじめとした大学執行部の「組織統治」機能、カタカナ英語で良く「ガバナンス」と言っているが、それを高めるということで、何年前だったかから、学部長を学長が指名することになっている。とはいえ、うちの大学では、学部から 2 名の候補者を推薦して、その内から学長が 1 名決めるという形をとっている。High Intelligence な我が学部では、2 名の推薦者を誰にするかを、構成教員で投票して決める。その際には得票上位者ではなく、過半数得票者を推薦するということで、選挙で過半数得票者がいなければ、徐々に上位者数名に絞っていき、過半数になるまで何度も再投票するという、手間はかかるが優れた方法をとっている。推薦にあたり、学部構成教員の過半数の支持があるということを前提とした考え方が採用されている。最近もそんな選挙があった。

 

 それで思い出した。

 

 日本の衆議院議員選挙では、以前は中選挙区制をとっていたので、一つの選挙区から複数人の代議士が選ばれていた。そうすることで、例えば2名選ばれる選挙区では、A さんが 40 % の得票、Bさんが 35 %、Cさんは 15 %、Dさんが 10 % の得票率の場合、AさんとBさんを国会に送ることが出来るので、多様な意見が反映される。今の例ではその選挙区の 75 %の有権者の望む形になる。しかし、小選挙区制では、当選者は一人となるので、Aさんだけが国会に行き、有権者の 60 % の票は、いわゆる死に票となり、有権者の半数以上の意向は反映されない。しかし、こうすることで、当選者が、選挙ごとにぶれやすい。今の例だと次の選挙でBさんがAさんの得票を上回る可能性が十分にあるので、AさんBさんの所属政党が異なれば政権交代が起こりやすいだろうという考え方だ。実際、長らく起きていなかった政権交代が起きた。

 

 しかし、最近ではどうもこの制度がうまく機能していないようにみえる。もともと、すべての人が選挙に行くわけでは無いのが実情なので、今の例をもう一度用いて投票率が5 0 %だったとした場合、0.5×0.4 = 0.2、つまり有権者の 20 % の支持しか得ていない人のみが国会に送られることになる。結果的に有権者の 2 割程度の得票で議席が決まってしまうということだ。実際、有権者の 3 割程度の支持があれば政権与党になれるそうだ。一旦、政権与党になれば、有権者総数の 3 割の支持があれば政権は大安泰ということになってしまう。以前の政治家は、国民が皆、安心して暮らせるように腐心していたように思える。国民を分断しないように努めていたようだ。しかるに、例えば有権者の3 割の支持で政権を取れるのなら、その 3 割の人々にだけ恩恵が行くような政治をしていれば良いことになってしまう。公的行事に支持者を招待したり、お友達を優遇したり。政権を支持して政権側に回ったら美味しいことがあり、政権を批判する側に回ったら基本的人権の保障された国民としての恩恵すら享受できない、といったことが起こりうる。こうして、恩恵を被れない人たちは、恩恵の被れる側に「寝返る」か、あるいは何を言っても無駄と思って、あきらめて選挙にもいかなくなるのだろう。批判者が選挙に行かなくなれば、そもそも、少数の得票で代議士になれるのだから、批判される側の現職は、ますます選挙で有利になるわけだ。

 

 おそらく、小選挙区制を導入したころには、こういう事態が起きる可能性は想定していなかったのだろう。すべての国民の生活を守り、豊かにするのが政治家だという、政治家自身に使命と品位があったので、性善説に立っていたものと思われる。しかるに、国民を、自分にとっての支持者・不支持者、いや味方と敵に分けて、味方に手厚く、敵には辛らつに、という政治家が多くなっているのではなかろうか。3 割の支持で良いのだから、多くの人々の意見を聞いて支持を増やし、国民皆が幸せに暮らせる社会を目指そうなんて思う必要はないというわけだ。選挙に通りさえすればよい。ある意味、わかりやすい。

 

 周囲の特定の「味方」の支持さえあればよいので、代議士といえども、広く勉強しなくても良くなったようでもある。日本国憲法第 99 条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」とある。大学教員になった頃は、大学教員の身分はまだ国家公務員だったので、採用辞令をもらうときに、日本国憲法を遵守することの宣誓があったように記憶する。憲法の下では、内閣総理大臣国務大臣中の国務大臣なので、軽々に憲法について語ることは難しい。また、大学に関して言えば、学問の自由のことも理解していない代議士もいるように報道で見聞きする。憲法 23 条には「学問の自由は、これを保証する。」とある。あっさりしているが、憲法学者によると、「研究・発表して教授する自由」のことである。学問の自由を補強する制度的保障として、「大学の自治」が位置付けられている。教育基本法第 7 条 2 項に「大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない。」とある。わざわざ「大学については」と述べているわけだ。その意味でも、大学と高校以下では異なっている。また、高校までは文部科学省の検定済み教科書が用いられて教育が行われているが、大学にはそのような制度はない。高校生までと異なり、多くが1年生時に 19 歳以上となる学生には学問的批判能力が、一定程度備わっていることが期待されているからだ。

 

 社会の風潮として、学問的な批判能力のみならず、批判精神そのものが薄れているのではないだろうか。大学生のことではない。いい年をした大人たちも、どうでもよい問題にはネット上で大騒ぎするものの、あれは批判でもなんでもなく、声の大きな側に加担して、自分も正義を振りかざしているつもりなのだろう。弱い者いじめと同じ構図だ。批判ではなく、揚げ足取りの非難、誹謗中傷に過ぎない言説を、あたかも自分が正しいと勘違いして他者を攻撃する。

 今の時代、高校生くらいになると生徒の多くがスマートフォンを持っているが、学校には持ってこさせないという所が多いと聞く。もちろん、許可があれば持っていけるのかもしれないが、規則に反して使用すると取り上げられるようだ。その日 1 日なら、「教育上の懲戒」の範囲内であるが、2 度、3 度繰り返すと、1 週間とか長いと 1 か月、スマホを取り上げて学校で預かるところもあるやに聞く。大学生と違って、高校生にはまだそこまでの批判能力はないので仕方ないのだろうが、現場の教師にはそのことが何を意味しているのか、自分たちで考えたことはあるのだろうか。遵守するように宣誓させられた「日本国憲法」29 条第 1 項には、「財産権は、これを侵してはならない。」とある。もちろん、同条第 2 項で「財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。」とあるので、有罪判決を受けて拘留されている受刑者の財産権などは制限されるのだろう。また、同条第 3 項で「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」とあり、道路拡張なんかで土地財産を行政に提供せざるを得なくなることはある。しかし、そうでない場合には、私有財産は、第1項で、つまり憲法で守られている。国民の財産は、国家や他人に不当に干渉され侵害されることはない。仮に 1 か月もスマホを取り上げられるのであれば、懲戒権を逸脱して財産権に干渉しているとしか思えないが、そのような校則を定めている学校は、法的にはどのような理論武装をしているのだろうか。訴えられた場合に裁判に耐えられると考えているのだろうから。おそらく多くの家庭で、子供のスマホは親がお金を出しているのだろう。保護者の財産権を侵害することにもなる。

 いつの頃からか、上司や自分より権能を持つ者に対しては批判することは良くないような雰囲気になっている。批判精神の無くなったマスコミの責任も大だ。権力を有する上位者の行動などに対して批判することは、あたかも越権行為であるように感じているのだろうか。上の者に従順な人が世の中に多くなれば、教師も政治家も楽だ。少々おかしなことを行っても、誰も何も言ってこないのだから。私も教師側なので、ある意味恩恵を被っているのかもしれない。批判は強者にこそ向けられるべきだ。

 

 ギリシャ時代のプラトンの「国家」にまで遡ることはないのだろうが、すぐに忘れてしまうので備忘しておこう、いや、理解が間違っているのかもしれないが。理想的な哲人が治める「王政(優秀者支配制)」は、やがて階層内部あるいは階層間での争いが始まり、軍人達が支配する「貴族政(名誉支配制)」に移行する。しかし国や同志のために戦う階層であるため、お金を儲ける経済活動からやや離れている。そこで、やがては富を蓄えた者たちが発言力など力をつけてきて、政治に参画するようになる。金持ちが支配する「寡頭政」だ。この者たちはできるだけ多くの富を所有しようとするので、人々に浪費させ、財産を奪い、金を貸し、さらに富もうとする。被支配階級は貧困に追い込まれ、内乱などを経て、やがて国政に参画するようになり、「民主政」へ移行する。しかし、いずれ衆愚に陥り、衆愚政を経て、愚かになった民衆の支持を得て独裁的権力を振るう僭主が現れ、「僭主独裁制」へ移行する。