114.車輪が乗り越える高さ

 今から 5500 年ほど前、紀元前 3500 年ころ、メソポタミアでは、器を作るために、“ろくろ”が発明されていたそうだ。円盤状の“ろくろ”は、くるくる回転する。

 一方同じころ、メソポタミアでは物を運ぶために、そりを用いていたそうだ。ただ、雪の積もる地域ではないので、そりを引いて物を運ぶのは大変だっただろう。

 ろくろとそりを合体させて、「車輪」が発明されたのも同じころのようだ。メソポタミアの都市、ウルクで、紀元前 3200 年頃の絵文字に、車輪のついたそりが描かれているらしい。

 

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 それで、こんなことを思った。どれくらいの力で、車輪は障害物を乗り越えられるのだろうか。

 

 図のように、半径 a で、質量 m の一様な薄い円柱があって、高さ h の障害物に遮られて右向きに転がれない状況を考えてみる。そこで、中心軸を通るように平行に力 F を加え、障害物を乗り越えたい。どれくらいの力を必要とするだろう。純粋に力学の問題だ。

 

 第 38 回で力のモーメントについて記した。今、図のように A 点を中心にして車輪は回転して障害物を乗り越えようとするので、A 点のまわりの力のモーメントを考えることになる。第 38 回では力の向きと、回転中心から力の作用点までの向きは直交していたので、力のモーメントは、(力)×(回転中心から力の作用点までの距離(腕の長さ))で求めて、シーソーの問題を考えた。でも、今の場合、力 F も、円柱に働く重力W も、A 点から力の作用点までの方向と、力の方向が異なる。こういった場合は、力の方向に引いた直線と A 点までの垂直距離、力 F の力のモーメントの場合だと、図で      a-h を力 F に掛けることで力のモーメントが求められることになる。円柱を右回りに転がそうという力のモーメント N

 

    NF  = F × ( a - h )   ・・・(1)

 

となる。左回りは重力、W = m g による力のモーメントだ。ここで、g = 9.8 m / s2 は重力加速度。こうして、せっかく円柱が右回りに進んで障害物を乗り越えようとしているのに、それに逆らって円柱を左回りに転がそうとする力のモーメント NW

 

    NW = m g × √( a2 - ( a- h )2 )    ・・・(2)

 

となる。W 方向と A 点の垂直距離は三平方の定理を使って求めた。

 

 正確には力のモーメントの大きさは、ベクトルの外積で定義されている。大きさとしては

 

    (力)×(回転中心(今の場合は A 点)から力の作用点までの距離)

       × sin (力の方向と、回転中心から力の作用点を結ぶ方向のなす角)

 

で定義されている。力 F による力のモーメントは、図から

 

    NF = F a sin (π-θ)       ・・・(3)

 

力 W の場合は

 

    NW = W a sin (π/ 2 +θ)    ・・・(4)

 

となる。三角関数の公式

 

    sin (α+β) = sinα cosβ + cosα sinβ

 

と、sinπ = 0、cosπ =-1、sin(π/ 2 ) = 1、con(π/ 2 ) = 0とから、(3)、(4)は

 

    NF = F a sinθ       ・・・(5)

    NW = W a cosθ      ・・・(6)

 

となる。ここで、サイン (sin) は直角三角形の(高さ)/ (斜辺)、コサイン (cos) は(底辺)/(斜辺)なので、図から

 

    sinθ = (a-h) / a

    cosθ = √ ( a2 - ( a- h )2 ) / a

 

とわかるので、これらを(5)、(6)に代入すると(1)、(2)にちゃんとなる。ただし W = mg。

 

 さて、車輪が高さ h の障害物を乗り越えられる(乗り上げられる)かどうかだった。そのためには、重力で左回りに回転させようとしている力のモーメントに打ち勝って、右回りに転がらなければならない。要するに

 

    N> NW

 

が成り立つように、力 F を加える必要がある。(1)、(2)から、

 

    F × ( a - h ) > mg × √ ( a2 - ( a- h )2 )

 

こうして、

 

    F > mg × √( a2 - ( a- h )2 ) / ( a-h )    ・・・(7)

 

の力を加えなければならないというわけだ。

 

 最終結果の(7)式を見てすぐにわかることは、右辺の分母に ( a―h ) が現れているので、障害物の高さ h が車輪の半径 a に近くなるにつれて加えるべき力 F が大きくなり、h = a ではとうとう無限大の力を加えなければならなくなるということだ。要するに、車輪の半径以上の高さの障害は乗り越え(乗り上げ)られない。

 

 四肢を持った動物や、6 本足の昆虫の陸上での移動手段は、脚だ。人類は車輪を発明して運搬を容易にしたが、生物は脚の代わりに車輪状の「四肢または六肢」を進化させなかった。生物が生息する地表は平たんではないので、(7)から、自分の脚の「車輪半径」より高い段差は乗り越えられなくなるので、車輪状の脚に進化しなかったのだろうか。

 

 もし、人が 2 足歩行ではなく「2 車輪移動」に進化していたとする。体重 M kg の人の場合、それぞれの「車輪脚」にかかる重さは半分ずつだろうから m = M  /2 だ。もし、人が自分の体重に働く重力と同じ力で前方に移動しようとしていると、F = Mg の力を発揮しているということだ。このとき、乗り越えられる高さ h を計算しよう。(7)から

 

    Mg > ( M / 2 ) g √ ( a2 - ( a- h )2 ) / ( a-h )  

 

なので、Mg で割ってから 2 乗して整理していくと

 

    h < ( 1-1 / √5 ) a ≒ a × 0.552786・・・

 

となる。「車輪脚」の半径の 55 %程度の高さしか乗り上げられない。「車輪脚」の直径が 1 メートルに進化していても、半径は 50 ㎝ なので、自分の体重にかかる重力と同じ力で進んでも、28 cm くらいしか乗り越えられないということだ。ちょっと生活しにくい。

 物の運搬には車輪は重宝するが、人の移動手段としては人類進化で採択されなかったのだろう。