81.頭から腐った魚、腐った魚の頭

 2018 年 7月、台風7号が通り過ぎたというのに、雨は降り続く。特に、7 月 5 日からひどくなり、気象庁が特別に緊急会見を開き注意喚起するも、20 時頃には西日本を中心に 20 万人に避難勧告が出される。翌 6 日夕刻には九州3県に、続いて中国地方 3 県に大雨特別警報が出され、夜には近畿 1 府1県にも大雨特別警報が出され、264 万人に避難勧告が出される。

 

 我が High Intelligence 県では 6 日午前 3 時 30 分に県知事から自衛隊災害派遣要請。7 日午前 7 時前には高速道路が崩落する。既に通行止めの措置が執られていたとはいえ、鉄道も高速道も止まり、孤立県となる。

 

 我が県知事から自衛隊災害派遣要請が行われる 8 時間ほど前、すでに 20 万人に避難勧告が出されている 5 日夜、そのころ、自衛隊を所掌する防衛大臣はどこで何をしている?

 「建設大臣」を任命したり、「諜報省」を設けたり、“王国ごっこ”を行いながら多くの殺人、無差別殺戮を犯したカルト集団の中枢にいた 7 人の死刑執行を翌朝に控えた 5日夜。7 人もの同時執行は、第 2 次大戦後の占領期の戦争犯罪裁判を除いては、1911年、前年に起きたいわゆる大逆事件の 11 名の同時執行以来の数であるのだが、死刑執行のサインをした法務大臣と、災害派遣要請が来ることが予想される防衛大臣は、時の首相とともに、他の代議士たち大勢と “居酒屋ごっこ” に興じている。

 

 君が大将(たいしょう)、あなたが女将(おかみ)。

 

 7日午前 10 時過ぎから 15 分程度の閣僚会議が行われるも、時の首相はその後も私邸にこもり、出てこず。

 

 7 日中に岐阜県、翌8日未明には四国2県にも大雨特別警報が出される。とうとう 863万人に避難指示・勧告が出され、すでに死者はこの時点で 50 名を超える。

 

 ようやく政府は 8 日 9 時に非常災害対策本部を設置する。

 

 我が High Intelligence 県では岐阜県などに次いで3 番目、5 日 14 時にすでに災害対策本部を設置している。我が県から政府が遅れること、2 日と19 時間。

 

 雨が上がると一転猛暑になる。その中で雨に浸かった町では復旧作業が始まる。被災した住民が復旧作業に当たる。

 

 なぜ、政府は全国に呼び掛け、対価を払って復旧のプロ、重機を持っているところ、清掃業の方達、等々に旅費も支給して、来てもらえるように手筈を整えないのか。

 

 多くの人々がボランティアとして現地に赴き、復旧の手伝いをされている。マスコミは美談の様に取り上げる。

 

 なぜ、国は善意で集まる人たち、被災した人たち、全国の技のある人たちに呼び掛け、対価を払って復旧のお願いをしないのか。なぜ無償のボランティアと、生活が破壊された被災住民任せにするのか。

 

 マスコミは、学校の片づけを生徒が行っている姿を美談として報道する。

 

 生徒は無償労働力としての復旧要員なのか。

 一刻も早く通常の教育が受けられるように、税金を使って、片付けのできる業者の方達に来てもらって、プロフェッショナルの技で迅速に復旧を為そうとしない政府を、なぜ報道は批判しないのか。民主主義体制の下での報道の役割とは何か。

 

 被災した方たちは学校の体育館に避難する。

 

 なぜ、政府は全力で近隣のホテル・旅館を借り上げ、すべての人が快適な生活ができるように手配しないのか。生徒・児童が体育館を使えない状況のままの学校教育はどうなっているのか。

 

 2017 年 7 月 8 日に世界銀行が運営する「女性起業家資金イニシアチティブ」、アメリカ合衆国大統領の娘、イバンカ・トランプが設立に関わり、時の首相が「イバンカ氏が主導した基金を強く支持する」として、この基金に拠出したこの国の国税が 57 億円。

 2021 年度までに陸上自衛隊アメリカ合衆国から 17 機購入し、配備する予定のティルト・ローター機は平成 30 年度 4 機納入予定で、本体価格は 1 機 98 億円超。補用品等を含めた契約価格は、豪雨のあった今年度だけで、4 機で 716 億円。1機当たり 179億円。いわゆるオスプレイだ。

 

 豪雨災害でこの国の政府が拠出する額はたったの 20 億円。

 

 何かおかしくないか。

 

 2018 年 7 月 24 日現在、豪雨による死者 219 名、行方不明者 10 名、負傷者 364 名。

 

 5 日からの豪雨災害で、7 日に 15 分間会議を行っただけで、8 日午前 9 時に非常災害対策本部を設置するまで私邸にこもった、時の首相が日記をつけているのかどうか知らない。

 

 日記をつけていたら、おそらく、“居酒屋ごっこ” に興じていたこと以外には、

 

   「なにもなし」

 

とでも記載するのであろう。

 

 1789 年 7 月 14 日、バスチーユ監獄襲撃で始まったフランス革命、当日「なにもなし」と日記に記したのは、時の為政者ルイ 16 世であった。