84.太陽が眩しいから

 さだまさし(敬称略)というシンガーソングライターがいる。俳優の菅田将暉さんがさださんの学生時代を演じたドラマを以前に見たことがある。だいぶん雰囲気良い方に寄せてるから演じられたご本人は気分いいだろうなぁ。

 それで、久しぶりにさださんの昔の曲を聴いていると、『転校生(ちょっとピンボケ)』という曲に行き当たった。

 

 なつかしい。

 

 1983年のアルバムに入っているとのことだから、高校3年生の時に聞いた曲だ。

「バスを待つ君の長い髪にBlow in the wind」で始まる。もちろん、「Blow in the wind」は、ボブ・ディランの『風に吹かれて』、Blowin'  in The Windから取っているのだろう。高校3年生の頃にもそのくらいは解っていた。ハロウィーンの日に現れた「君」が恋人に選んだのが「僕」で、うろたえてウィスキーをがぶ飲みして撮った「君」の写真がちょっとピンボケであり、おそらく出会って半年余り後のイースター(復活祭)の後に、「来たときみたいに風のように」帰っていく際に「君」を見送った景色が、ちょっとピンボケ、というストーリーの詩であった。

 

 ついこの間、戦場カメラマンであったロバート・キャパに関する本を立ち読みしていた。『崩れ落ちる兵士』、Falling Soldier、はさすがに知っていた。そのロバート・キャパが、自身の恋愛物語を交えて第2次世界大戦を回想した書のタイトルが、『ちょっとピンぼけ』、Slightly out of focusということを偶然知った。

 

 さださん、やるなぁ。

 

 多くの歌の中にいろいろな引用が隠されているのは楽しい。また、曲名もそのまま何かからとってきたりしていることがある。『檸檬』は梶井基次郎だし、『つゆのあとさき』は永井荷風だし。『魔法使いの弟子』はポール・デュカスのクラシックの曲だし。

 でも、そうやって、さださんの歌から文学なんかに興味が広がったのも事実かもしれない。『あこがれ』という曲では、その歌詩に「あこがれてゆくの ずっとこれからも 心の鐘をひとり打ち鳴らしながら」とあり、たまたま見た若山牧水の短歌、「けふもまた こころの鉦を打ち鳴らし 打ち鳴らしつつ あくがれていく」に行き当たったりした。短歌なんて興味もなかったのに。『飛梅』を聴いて、菅原道真大宰府に流されるとき、自宅屋敷の梅の木に「東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」という歌を詠み、それを聞いた梅の木は一夜にして大宰府まで飛んでいったという逸話を知った。おまけに、「春な忘れそ」、おう、「・・・な・・・そ」、の係り結びではないか。

 

 勉強になっていたなぁ。

 

 早逝した尾崎豊(敬称略)も中学生時代、さださんの歌をギターで弾き語っていたというから、或る世代の人たちには影響を与えていたのかもしれない。尾崎と私は生年が同じだ。

 

 そんなさださんの曲に、『異邦人』というものがある。漢字で書いておいて、「エトランゼ」と読ませる。フランス語だ。Étranger。詩の中に「過ごしたアパルトマン」「マロニエ通りの奥」「洗濯物の万国旗」というフレーズがあり、中学生の頃は勝手に行ったことも無いフランスをイメージしていた。エトランジェはフランス語であるので間違いではないと思う。しかし、後年、パリ暮らしをしたときには、法律で洗濯物は通りから見えるところに乾すことは禁じられており、通りを挟んでアパルトマン同士で洗濯紐を渡してそこに洗濯物を干して万国旗のように見える、なんていう風景は、フランス・パリでは有り得ないことを知る。

 

 この曲は「太陽がまぶしいから・・・」で終わる。

 

 もちろん、『異邦人』といえば、フランスの作家、アルベール・カミュの小説、『L' Étranger』だ。小説とさださんの詩とでは背景が違うが、曲名はカミュから取ったのだろう。

 

 カミュの『異邦人』では、主人公が殺人を犯し、何故殺人を犯したのかと裁判官に問われたとき、「太陽が眩しかったから」と答える。

 

 カミュ自身は、ナチスドイツに協力する政権であったフランス、ヴィシー政権下で、対独レジスタンス活動をしていた。ヴィシーはこの政権が首都に置いた地名。ペタン元帥が首班。ペタンの部下のシャルル・ド・ゴールはイギリスに逃れ、ロンドンで亡命政権、自由フランスを立て、ヴィシー政権ナチスドイツへの抗戦を呼びかけていた。ヴィシー政権下では、フランス革命以来の「自由 (Liberté)・平等 (Égalité)・博愛 (Fraternité)」は降ろされ、「労働 (Travail)・家族 (Famille)・祖国 (Patrie)」に置き換えられる。

 

 なんか、極東の保守政治家が好んで言いそうなスローガンだ(2018年10月現在)。

 

 カミュが実際にレジスタンス活動中にドイツ軍将校を殺したことがあるのかどうかは知らない。しかし、レジスタンスとして自身がドイツ兵に対する殺人を許すことの論理付けとして、カミュ自身はドイツ兵に殺される可能性がある、だから自身もドイツ兵を殺す権利がある、「自ら死のリスクを冒す用意のある者のみが暴力を免責される」という平等性の論理で自身のレジスタンス活動を正当化したようだ(内田、カミュ研究4号(2000年))。自然権としてのジョン・ロックの「革命権 (right of revolution)」もしくは「抵抗権 (right of resistance)」に通じるように思える。ロックの自然権の考え方はおそらく、フランス革命の思想的基礎だったんだろうから。

 しかし、第2次世界大戦後、対独協力のヴィシー政権が倒れた後、対独協力者の粛清が始まる。ある対独協力者の死刑の前に、助命嘆願書にサインしてくれとカミュは頼まれる。自身の命を賭してレジスタンス活動していたときの敵である。しかし、カミュは逡巡した後、助命嘆願書に署名する。すでに相手は獄中にあり、自分を殺す可能性は無い。相手は自分を傷付ける可能性は無いのに、こちらが傷付けることは、レジスタン活動の時の様な平等性の論理が成り立たない。そこで、粛清には反対する。レジスタンス時のように《・・・固有名をもった個人としてカミュと彼の同志たちに敵対していたとき、カミュはそれを罰する権利を自分に許した》が、《しかし、国権が、この一対一の戦いに介入し、「彼らに代わって」、「社会の名において」制裁を下すというのならば、それを許すことはできない》(内田、カミュ研究4号(2000年))と考えた。

 

 ひるがえって、「美しい国」はどうであろうか。全員が罪に向き合って反省していたのでは無いのかもしれないが、伝え聞くところでは多くが反省していた弟子たち12名の死刑を、2日に分けて行った。しかも、政権は、刑の執行後に事実を公表するのではなく、次はどの死刑囚が執行されるのかといった、まさに今からというタイミングで情報を故意にリークし、劇場型執行、いわば見世物にした。文明国と思っている国の、2018年のことである。

 審議の時間だけを盾に、十分に問題点を議論することもなく、「平和安全法制整備案」として集団的自衛権等、議論の残る法律を可決する。戦争の際には情報統制が必要なので、「特定秘密保護法」を制定する。戦争になれば殺されるのは国民一人一人だ。戦争遂行中に当の戦争で殺される国民の中に行政府、あるいは行政機関の長の面々が入っているかどうかは、太平洋戦争の歴史を学んでみるとよい。

 

 ナチスドイツでヒトラーが権力を握っていたときには、何度もヒトラー暗殺未遂があったようだ。1932年の選挙でナチス党が第1党となり、1933年にヒトラー内閣が成立する。他党の議員を逮捕していくことで、憲法改正に必要な3分の2を確保する。同じ年に全権委任法を成立させ独裁への道を進む。1934年に現職の大統領が亡くなると、大統領の権限もヒトラーが握り、いわゆる総統となる。第1次世界大戦の敗戦後に結んだベルサイユ条約で細かく軍備制限されていた軍備を、1935年に再軍備宣言をして無視し、軍備を増強する。1936年にはベルサイユ条約で非武装地帯とされていたラインラント地方へ進軍する。同じ1936年に、国威発揚のため、ベルリンオリンピック開催。ボイコットされずにオリンピックを成功させるために、オリンピック開催へむけて、開催期間前後だけ、ユダヤ人迫害政策を緩め、ヒトラー自身は有色人種差別発言を控える。1939年にポーランド侵攻。第2次世界大戦勃発。その後の狂気は記すまでもない。

 このような動きの中で、1938年には陸軍によるヒトラー暗殺・クーデター未遂が起きる。個人による暗殺未遂も起きる。しかし、ヒトラーは悪運強く、倒されなかった。政権末期の軍によるクーデター計画も失敗している。その時、1944年7月20日の軍によるヒトラー暗殺・クーデター未遂に関与したとして、レジスタンス活動を行っていた一人、エルヴィン・プランク (Erwin Planck) が逮捕され、10月23日の人民法廷で死刑宣告を受け、翌1945年1月23日に処刑されている。ヒトラーが追い詰められて自殺する4月30日から遡る事100日足らず前のことだ。エルヴィン・プランクは、8回、9回、12回なんかで触れたノーベル賞受賞の物理学者、マックス・プランクの次男。(やっと物理に関連する話題になった。かなりピンボケの、『「物理」備忘録』。)

 

 ヒトラー再軍備をし、戦争を仕掛け、結局、第2次世界大戦に敗れる。

 

 戦争がしたければ、「遠からん者は音に聞け。近くば寄って目にも見よ。やぁやぁ我こそは・・・」と名乗りをしてから一騎打ちをして終わらせたら良いのに。

 50 歳過ぎた人間に対して「まだ若いから」で済ませられる脂の乗りきった年齢の大人たちなら一騎打ちの体力くらいはあるだろうに。