101.レポート分析

 学生さんにレポートを課すことが良くある。そして、曲者のレポートチェック。

 

 最近の学生さんは真面目なのでそう云うことは無いのだが(と期待しているのだが)、長く教員をしていると、コピー・アンド・ペーストが散見されることがあった。物理学のレポートなので、ネットからのコピーでは解答に到達するのはなかなか難しいが、時折、物理の法則の内容などの論述を問題にして課すと、ネットからコピーしてきたものが見られることがあった。

 別に、コピーを見破るソフトを使わなくても、文体を見れば大体わかる。

 ひどいときは、複数のサイトから採ってきて繋いだと見えて、途中から文体が変わっていたこともあった。

 もっとひどいときは、「ですます」調が「である」調に途中で変化している。

 まぁ、御愛嬌なので、目くじらを立てないが。

 

 物理の問題を解くといった課題のレポートで多いのは、誰かのレポートを見せてもらって引き写しているという代物だ。今でも念のために学生さんに言っているのだが、誰のレポートが大元で、それが誰の手に渡って次々にコピーされていったかの系統樹が書ける。これがなかなか楽しい。レポートされた内容はほぼ同じなので、どちらかのレポートが、誰かに見せてもらって作成されていることは解るのだが、どちらが元かも誤字の伝搬を見ていけばわかる。例えば、ギリシャ文字の ν(ニュー)のところが、伝搬していくうちにアルファベットの v(ヴイ)になっているという感じ。また、見せてもらった世代が後になるにつれ、誤字が増える。それで系統樹が書ける。

 

 レポートといえども人に見てもらうのであるから、読ませる相手への贈り物であり、読んで欲しい相手に届く言葉使いと数式使いを心掛けてほしい。

 

 何代か前の学長さんの卒業式の式辞が毎年ほぼ同じで、式辞の最後に、学生さんに贈る格言というか言葉だけを違えていたことがあった。まぁ、式辞だからそう変える必要もないのかもしれないが。

 

 でも、まぁ、心がこもっていないなぁという感想を持ったのは確かだ。

 

 そこで、挨拶とはどういうものか、具体例でみておこうと思った。すでにずっと前の卒業式の式辞は手に入らないので、折角だから最高に偉い人が行った格調高い挨拶で分析してみよう。

 

 テキスト分析というのは、人文社会系の先生が得意とするものだが、理系の素人でもやってみよう。

 

 このような偉い人の格調高い挨拶を読む機会もなかなか無いだろうから、全文を載せておこう。官邸のホームページに広く公開されているので、著作権の問題はなさそうだ。

 某氏がおこなった、2019年8月6日広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式でのあいさつ。便宜上、各段落に番号を付けておく。

 

『(1.1) 今から74年前の今日、原子爆弾により、十数万ともいわれる貴い命が失われました。街は焦土と化し、人々の夢や明るい未来が容赦なく奪われました。一命をとりとめた方々にも、筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。
 (1.2) 原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
 (1.3) そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
 (1.4) 核兵器によってもたらされた広島と長崎の悲劇を決して繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力をたゆまず続けること。これは、令和の時代においても、変わることのない我が国の使命です。新しい時代を平和で希望に満ち溢(あふ)れた時代としなければなりません。
 (1.5) 近年、世界的に安全保障環境は厳しさを増し、核軍縮をめぐっては各国の立場の隔たりが拡大しています。
 (1.6) 我が国は、「核兵器のない世界」の実現に向け、非核三原則を堅持しつつ、被爆の悲惨な実相への理解を促進してまいります。核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら対話を粘り強く促し、国際社会の取組を主導していく決意です。
 (1.7) 明年は、核兵器不拡散条約(NPT)発効50周年という節目の年を迎え、5年に1度のNPT運用検討会議が開催されます。この会議において、意義ある成果を生み出すために、一昨年、ここ広島から始まった核軍縮に関する「賢人会議」の提言等を十分踏まえながら、各国に積極的に働きかけていく決意です。
 (1.8) 私たちには、唯一の戦争被爆国として、核兵器の非人道性を、世代や国境を越えて伝え続ける務めがあります。
 (1.9) 被爆者の方々から伝えられた被爆体験を、しっかりと、若い世代へと語り継いでいく。
 (1.10) そして、広島や長崎を訪れる世界中の人々が、被爆の悲惨な実相に触れることで、平和への決意を新たにすることができる。そうした取組を我が国として、着実に推し進めてまいります。
 (1.11) 被爆者の方々に対して、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、今後も、被爆者の方々に寄り添った援護施策を総合的に推進してまいります。特に、原爆症の認定について、引き続き、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。
 (1.12) 結びに、「国際平和文化都市」として発展を遂げた、ここ広島市において、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。』

 

 各段落の最初の1は、令和元年ということでつけた。全部で12段落。

 

 このテキストと比較すべきは、まずは昨年同じ日に同じ場所で同じ人物により行われた挨拶だろう。

 

『(30.1) 一発の原子爆弾が、街を一瞬にして破壊し、十数万ともいわれる貴い命を奪いました。あれから73年、一命をとりとめた方々にも、筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。若者の夢や明るい未来が容赦なく奪われました。
 (30.2) 原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
 (30.3) そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
 (30.4) 広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならない。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けて、粘り強く努力を重ねていくこと。それは、我が国の使命です。
 (30.5) 近年、核軍縮の進め方について、各国の考え方の違いが顕在化しています。
 (30.6) 真に「核兵器のない世界」を実現するためには、被爆の悲惨な実相の正確な理解を出発点として、核兵器国と非核兵器国双方の協力を得ることが必要です。我が国は、非核三原則を堅持しつつ、粘り強く双方の橋渡しに努め、国際社会の取組を主導していく決意です。
 (30.7) その具体的な取組として昨年、核軍縮に関する「賢人会議」を、ここ広島で開催しました。
 (30.8) 「賢人会議」を通じて有識者の知見も得ながら、核兵器不拡散条約(NPT)発効50周年となる2020年のNPT運用検討会議が意義あるものとなるよう、積極的に貢献してまいります。
 (30.9) また、その非人道性を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めが我々にあります。
 (30.10) 若い世代が、被爆者の方々から伝えられた被爆体験を語り継ぐ。
 (30.11) 政府として、そうした取組をしっかりと推し進めてまいります。
 (30.12) 被爆者の方々への援護施策については、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的に推進してまいります。特に、原爆症の認定について、引き続き、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。
 (30.13) 結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ広島市において、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。』

 平成30年ということで、30をつけた。全部で13段落。

 

 2つのテキストを見て行こう。

 

 まず、(1.1)は(30.1)に対応している。若干の言いまわし、「命を奪いました」が「命が失われました」等の変更はあるが、ほぼ同じ内容である。

『(1.1) 今から74年前の今日、原子爆弾により、十数万ともいわれる貴い命が失われました。街は焦土と化し、人々の夢や明るい未来が容赦なく奪われました。一命をとりとめた方々にも、筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。』

『(30.1) 一発の原子爆弾が、街を一瞬にして破壊し、十数万ともいわれる貴い命を奪いました。あれから73年、一命をとりとめた方々にも、筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。若者の夢や明るい未来が容赦なく奪われました。』

 

 (1.2)は(30.2)と全く同じ引き写しである。

 (1.3)も(30.3)と全く同じ。

 

 (1.4)は(30.4)と内容は同じである。「核兵器のない世界」の実現への希求だ。令和と元号が変わったので、それを入れたのみ。

『(1.4) 核兵器によってもたらされた広島と長崎の悲劇を決して繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力をたゆまず続けること。これは、令和の時代においても、変わることのない我が国の使命です。新しい時代を平和で希望に満ち溢(あふ)れた時代としなければなりません。』

『(30.4) 広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならない。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けて、粘り強く努力を重ねていくこと。それは、我が国の使命です。』

 

 (1.5)は(30.5)と同一の内容。核軍縮について各国の「違いが顕在化」が「隔たりが拡大」へと事態は悪くなっているようだ。
『(1.5) 近年、世界的に安全保障環境は厳しさを増し、核軍縮をめぐっては各国の立場の隔たりが拡大しています。』
『(30.5) 近年、核軍縮の進め方について、各国の考え方の違いが顕在化しています。』

 (1.6)は(30.6)に対応。核兵器保有国とそうでない国の「橋渡し」を行い、両者の「協力」を得る。表現内容の順番が変わったのみ。

『(1.6) 我が国は、「核兵器のない世界」の実現に向け、非核三原則を堅持しつつ、被爆の悲惨な実相への理解を促進してまいります。核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら対話を粘り強く促し、国際社会の取組を主導していく決意です。』
『(30.6) 真に「核兵器のない世界」を実現するためには、被爆の悲惨な実相の正確な理解を出発点として、核兵器国と非核兵器国双方の協力を得ることが必要です。我が国は、非核三原則を堅持しつつ、粘り強く双方の橋渡しに努め、国際社会の取組を主導していく決意です。』

 (1.7)は(30.7)と(30.8)を纏めている。2020年に核兵器不拡散条約発効50年の節目となることと、賢人会議の提言があったことを述べている。

『(1.7) 明年は、核兵器不拡散条約(NPT)発効50周年という節目の年を迎え、5年に1度のNPT運用検討会議が開催されます。この会議において、意義ある成果を生み出すために、一昨年、ここ広島から始まった核軍縮に関する「賢人会議」の提言等を十分踏まえながら、各国に積極的に働きかけていく決意です。』
『(30.7) その具体的な取組として昨年、核軍縮に関する「賢人会議」を、ここ広島で開催しました。(30.8) 「賢人会議」を通じて有識者の知見も得ながら、核兵器不拡散条約(NPT)発効50周年となる2020年のNPT運用検討会議が意義あるものとなるよう、積極的に貢献してまいります。』

 

 (1.8)は(30.9)であり、核兵器の非人道性を伝える務めがあることを述べている。

『(1.8) 私たちには、唯一の戦争被爆国として、核兵器の非人道性を、世代や国境を越えて伝え続ける務めがあります。』
『(30.9) また、その非人道性を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めが我々にあります。』

 

  (1.9)は(30.10)の引き写しで、若い世代への被爆体験を語り継ぐことである。

『(1.9) 被爆者の方々から伝えられた被爆体験を、しっかりと、若い世代へと語り継いでいく。』
『(30.10) 若い世代が、被爆者の方々から伝えられた被爆体験を語り継ぐ。』

 

 (1.10)は(30.11)に対応しているが、少し詳しくなっている。
『(1.10) そして、広島や長崎を訪れる世界中の人々が、被爆の悲惨な実相に触れることで、平和への決意を新たにすることができる。そうした取組を我が国として、着実に推し進めてまいります。』
『(30.11) 政府として、そうした取組をしっかりと推し進めてまいります。』

 

 (1.11)は(30.12)とほぼ同様。被爆者の方達に対して具体性のない、内容の無いことを言っている。
『(1.11) 被爆者の方々に対して、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、今後も、被爆者の方々に寄り添った援護施策を総合的に推進してまいります。特に、原爆症の認定について、引き続き、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。』
『(30.12) 被爆者の方々への援護施策については、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的に推進してまいります。特に、原爆症の認定について、引き続き、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。』

 (1.12)は(30.13)同様、結びの文章。『永遠の平和が祈られ続けている』が『「国際平和文化都市」として発展を遂げた』に代えられたのみ。
『(1.12) 結びに、「国際平和文化都市」として発展を遂げた、ここ広島市において、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。』

『(30.13) 結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ広島市において、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。』

 

 うーむ。構成も言い回しも、ほぼ同じ。まぁ、挨拶ってこんなものなんだろう。

 でも、収穫があった。核軍縮について各国の考え方の「違いが顕在化」したのは昨年だが、今年は「隔たりが拡大」へと事態は悪い方向へ進んでいるというメッセージだ。

 もうひとつ。上記以外は、昨年と今年でほとんど同じことを述べている。ということは、この1年で何もしていないということ、何の施策も実行していないということが読み取れる。

 

 まさに、上っ面の言葉だけ。

 

 では、2019年8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典での同一人物のあいさつを見ておこう。同じ式典ではないので、きっと違うはずだ。ちなみに、広島はウラン、長崎はプルトニウム型原爆が投下されている。米軍による、違う形式の核兵器使用の実験だ。

 

『(N.1) 本日、被爆74周年の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
 (N.2) そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
 (N.3) 今から74年前の今日、一発の原子爆弾により、一瞬にして街は焦土と化し、7万ともいわれる貴い命が失われました。人々の夢や明るい未来が容赦なく奪われ、一命をとりとめた方々にも、筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。
 (N.4) 核兵器によってもたらされた長崎と広島の惨禍を決して繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力をたゆまず続けること。これは、令和の時代においても、変わることのない我が国の使命です。新しい時代を平和で希望に満ち溢(あふ)れた時代としなければなりません。
 (N.5) 近年、世界的に安全保障環境は厳しさを増し、核軍縮をめぐっては各国の立場の隔たりが拡大しています。
 (N.6) 我が国は、「核兵器のない世界」の実現に向け、非核三原則を堅持しつつ、被爆の悲惨な実相への理解を促進してまいります。核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら対話を粘り強く促し、国際社会の取組を主導していく決意です。
 (N.7) 明年は、核兵器不拡散条約(NPT)発効50周年という節目の年を迎え、5年に1度のNPT運用検討会議が開催されます。この会議において、意義ある成果を生み出すために、昨年11月にここ長崎で開催された核軍縮に関する「賢人会議」の提言等を十分踏まえながら、各国に積極的に働きかけていく決意です。
 (N.8) 私たちには、唯一の戦争被爆国として、核兵器の非人道性を、世代や国境を越えて伝え続ける務めがあります。
 (N.9) 被爆者の方々から伝えられた被爆体験を、しっかりと、若い世代へと語り継いでいく。
 (N.10) そして、長崎や広島を訪れる世界中の人々が、被爆の悲惨な実相に触れることで、平和への決意を新たにすることができる。そうした取組を我が国として、着実に推し進めてまいります。
 (N.11) 被爆者の方々に対して、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、援護施策を総合的に推進してまいります。特に、原爆症の認定について、引き続き、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。
 (N.12) 結びに、市民の皆様のたゆみない御努力により、「国際文化都市」として見事に発展を遂げられた、ここ長崎市において、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。
 (N.13) 原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、長崎市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。』

 13段落だ。長崎で行われた挨拶なので、段落番号にNを付した。これを、同年の広島での式典挨拶と比較してみよう。

 

 まず、(N.1)。これは広島の(1.2)。「・・・式典に当たり」までの前文以外は全く同じ。

『(N.1) 本日、被爆74周年の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。』

『(1.2) 原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。』

 (N.2)は(1.3)と全く同じ。

 (N.3)は(1.1)と、犠牲者の数を変え、文の順序を変えただけ。

『(N.3) 今から74年前の今日、一発の原子爆弾により、一瞬にして街は焦土と化し、7万ともいわれる貴い命が失われました。人々の夢や明るい未来が容赦なく奪われ、一命をとりとめた方々にも、筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。』

『(1.1) 今から74年前の今日、原子爆弾により、十数万ともいわれる貴い命が失われました。街は焦土と化し、人々の夢や明るい未来が容赦なく奪われました。一命をとりとめた方々にも、筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。』

 

 なるほど、第3段落まで、段落の順序を違えたのね。

 

 146文字ある割と長い(N.4)は(1.4)と寸分違わず同じ。

 

 48文字の(N.5)も(1.5)と寸分違わず同じ。
 

 114文字の(N.6)も(1.6)と寸分違わず同じ。

 

 (N.7)は、賢人会議の行われた場所にちなんだ変更のみ。広島では「一昨年、ここ広島から始まった」とし、長崎では「昨年11月にここ長崎で開催された」としたのみ。まぁ、挨拶の場所を考慮したか。

『(N.7) 明年は、核兵器不拡散条約(NPT)発効50周年という節目の年を迎え、5年に1度のNPT運用検討会議が開催されます。この会議において、意義ある成果を生み出すために、昨年11月にここ長崎で開催された核軍縮に関する「賢人会議」の提言等を十分踏まえながら、各国に積極的に働きかけていく決意です。』

『(1.7) 明年は、核兵器不拡散条約(NPT)発効50周年という節目の年を迎え、5年に1度のNPT運用検討会議が開催されます。この会議において、意義ある成果を生み出すために、一昨年、ここ広島から始まった核軍縮に関する「賢人会議」の提言等を十分踏まえながら、各国に積極的に働きかけていく決意です。』

 50文字の(N.8)は(1.8)と寸分違わず同じ。

 

 39文字の(N.9)も(1.9)と寸分違わず同じ。

 

 (N.10)は(1.10)と同じだが、長崎では「長崎や広島」、広島では「広島や長崎」と順番を入れ替えて配慮している。
『(N.10) そして、長崎や広島を訪れる世界中の人々が、被爆の悲惨な実相に触れることで、平和への決意を新たにすることができる。そうした取組を我が国として、着実に推し進めてまいります。』

『(1.10)  そして、広島や長崎を訪れる世界中の人々が、被爆の悲惨な実相に触れることで、平和への決意を新たにすることができる。そうした取組を我が国として、着実に推し進めてまいります。』

 (N.11)は(1.11)と同じ。「今後も」が「今後とも」になったり、少し順番が変わっているが、内容を伴わない文章であることも含めて同じだろう。
『(N.11) 被爆者の方々に対して、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、援護施策を総合的に推進してまいります。特に、原爆症の認定について、引き続き、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。』

『(1.11)  被爆者の方々に対して、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、今後も、被爆者の方々に寄り添った援護施策を総合的に推進してまいります。特に、原爆症の認定について、引き続き、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。』

 (N.12)と(N.13)の結びの言葉は、広島では(1.12)の1段落に纏められている。しかしながら、内容はほぼ同じだ。場所の相違のみ変更している
『(N.12) 結びに、市民の皆様のたゆみない御努力により、「国際文化都市」として見事に発展を遂げられた、ここ長崎市において、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。
 (N.13) 原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、長崎市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。』

『(1.12) 結びに、「国際平和文化都市」として発展を遂げた、ここ広島市において、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。』

 

 いや~ぁ、或る意味すごく論理一貫している。挨拶の構成から内容まで、被爆地の地名を入れ替え、それぞれの被災者数に直した以外、見事に同じだ。

 

 広島と長崎を変えただけ。

 

 この言葉を届けたい相手は誰なのだろうか。誰にも届いてほしくないのだろうか。分析しきれない。