109.一つの数式の理解は複数

 大学の学部生のころ、5 人ほどで量子力学の自主ゼミをやっていた。自主ゼミとは、文字通り、数人が自発的に集まって、自主的にテキスト購読を行うものだ。2 回生の頃からランダウ・リフシッツの「量子力学」の教科書でゼミをしていた。順番にレポーターを決め、レポーターは責任をもって割り当てられたところを読んできて説明する。

 

 

 だいぶん進んで、散乱理論のところが当たった。遠方から入射粒子を標的となる粒子に当てたら、どれくらいの割合で散乱されるかを表す量、散乱断面積 σ の計算があった。散乱断面積については、ちょっとだけ第 60 回で触れた。きちんと計算で求めるには、平面波の球面波展開やら、ルジャンドル多項式の規格直交性の利用やら、とても仕掛けが大掛かりなのだが、最終的には

 

    σ = Σl=0 ( π / k2 ) (2 ℓ + 1) | e2 i δ(l) ― 1 |2     ・・・(1)

 

が得られる。入射粒子は標的に吸収されずに弾性散乱されるとした。ここで、プランク定数h を 2π で割ったℏを使うと、ℏ ℓ が入射粒子の角運動量になり、ℓ  は 0 を含む自然数をとる。Σl=0∞ はすべての自然数 ℓ で和を取りなさいということ。また、k は ℏk  が入射粒子の運動量になる「波数」と呼ばれる量。δ(ℓ) は ℓ に依存したある量。

    

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 量子力学によると、角運動量は ℏ を単位にして、上で記したように、とびとびの値    ℓ = 0, 1, 2, 3・・・をとる。同じ角運動量 ℓ のときにも、まだ 2 ℓ + 1 個の別々の状態がある。角運動量のある方向、例えば z 方向にベクトルとしての角運動量を射影したとき、その大きさ ℓz は、-ℓ、―ℓ+1、-ℓ+2、・・・、ℓ-1、ℓ  までの、2 ℓ + 1 通りの値を持つからだ。

 

 うーん、量子力学を知らない人には何のことやら。

 

 でも、とりあえず、同じ角運動量 ℏℓ でも 2 ℓ + 1 個の異なる量子力学的状態があることを認めましょう。このとき、「2 ℓ + 1 重に縮退している」と表現します。

 

 そこで、(1)式を眺めると、一つの ℓ に対して、因子 2 ℓ+ 1 がちゃんと現れているではないか。ということで、角運動量が大きいほど、取りうる量子力学的状態の数が増えるので、角運動量が ℏℓ の入射粒子では、散乱に寄与する割合が、状態数の因子 2 ℓ + 1 だけ大きくなるのだろうと考えた。

 

 ゼミのレポーターだったので、それで良し、としてもよいが、ちょっと待った。

 

    2 ℓ + 1 = ( ℓ + 1 )2 - ℓ2

 

じゃないかと気付いた。

 

 当たり前の式なので、気付いたというのも変だが。

 

 下の図のように、右から粒子を入射して、O のところに標的があるとして粒子が散乱されると考えてみよう。

 

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 何も起きなければ無限遠方から入射してくる粒子は、標的を含む線上から b の距離だけ離れた平行線上を進んでくる。でも、標的の影響で曲げられ、上図で b だけ離れたところの曲線上を進む。この時の角運動量を L としよう。無限遠方での入射粒子の速さを v、質量を m とすると、角運動量古典力学的に

 

    L = m v b     ・・・(2)

 

となる。古典力学的には粒子の運動量 p は

 

    p = m v      ・・・(3)

 

だが、量子力学的には、粒子と波の 2 重性から、波の性質、波数 k を使って

 

    p = ℏ k     ・・・・(4)

 

だった。こうして、(2)の mv を(3)で p にして、(4)を使って量子力学に移行すると

 

    L = ℏ k b    ・・・(5)

 

となる。いや、量子力学的には

 

    L = ℏ ℓ    ・・・(6)

 

だったから、(5)、(6)から

 

    b = ℓ / k   ・・・(7)

 

だ。さて、図から、b の距離のところを角運動量 ℏℓ の粒子が来たのだから、今度は少し離れた b + Δb のところからは、ℏ( ℓ + 1) の角運動量をもって入射してくるとすると、古典力学的には、角運動量 ℏ(ℓ + 1) と ℏℓ の間の粒子は、図の影をつけた円環の部分を通って散乱されるということになる。円環の面積 ΔS は

 

    ΔS = π ( b + Δb )2 - π b2

 

だが、b + Δb のところは ℏ を単位にした角運動量は ( ℓ + 1) だったので、(7)を使うと

 

    ΔS = π ( b + Δb )2 - π b2

      = π ( ℓ + 1 )2 / k2 - π ℓ2 / k2

      = ( π / k2 ) × ( 2 ℓ + 1 )

 

となる。さっき気付いた 2 ℓ + 1 = ( ℓ + 1 )2 - ℓ2  のおかげだ。ΔS の面を通ったらすべて散乱されているわけだから、散乱される割合は、すべての可能な ℓ 、つまり ℓ について 0 から無限大まで足し合わせて、

 

    Σl=0 (π  /k2 ) × (2 ℓ + 1)

 

となるはずだ。(1)をほぼ再現するではないか。

 

 あとの | e2iδ(l) ― 1 |2  は、ここまでの古典・量子折衷の今の議論では未だ取り込めない粒子の持つ波動性だろうと結論した。というのも

 

    | e2iδ(l) ― 1 |2 = 4 sin2 δ(ℓ)

 

なので、まさに三角関数の「波」が出てくる。波動性により 0 から 4 までの因子が現れるのだろう。

 こうして、2 ℓ + 1 は「縮重度の現れ」と解釈してもいいし、入射粒子の幾何学的な性質、π ( b + Δb )2 - πb2 = π ( ℓ + 1 )2 / k2 - π ℓ2 / k2 = ( π / k2 ) × ( 2 ℓ + 1 ) とみなしても良いはずだ。

 

 こんな風に、一つの式を導いても、複数の解釈が可能だ。

 複数の理解が自力で出来て、20 歳そこそこの時には大層喜んだものだ。

 

 

 さて、次に、波長の短い X 線を、Z 個の電子を持つ原子に入射した時の、X 線の散乱断面積を見てみよう。やっぱり導出は厄介なので、結果だけ書くと、散乱断面積 σ は

 

    σ = Z × ( 8π / 3 ) × ( e2 / ( 4πε0 m c2 ))2   ・・・(8)

 

と得られる。ここで、 は素電荷 1.6 × 10-19 C(クーロン)、ε0 は真空の誘電率で8.85 × 10-12  C2 s2 / kg m3 、mは電子の質量 9.1 × 10-31  kg である。ここで与えられる散乱断面積は、トムソン散乱の散乱断面積である。

 

 ここで、こんなことを考えてみる。仮に電子に半径a  があったとする。そうすると、電荷 ‐e を持った電子が、電子の外側に作る電場による静電エネルギー E は、

 

    E = ∫ ε0 E2 / 2 ・4 π r2 dr

 

となる。右辺のE は電場で、

 

    E = (1 / 4 π ε0 ) × e / r2

 

で、積分は電子の半径 a から無限大まで行う。 

  これも計算すると

 

    E = e2 / ( 8 π ε0 a )     ・・・(9)

 

となる。物理系の大学生の良い演習問題だ。このエネルギーが、実は電子の質量エネルギーだ、なんていう大胆な仮定を置くと、E = m c2 だから。こうして、仮に持たせた電子の半径a  は

 

    a = (1 / 2 ) × ( e2 / (4πε0 m c2 ) )

 

となる。(9)式を a について表して、E = m c2 を入れた。この a から 1 / 2 の因子を外した部分には名前がついていて、「古典電子半径」と呼ばれる。古典電子半径を re と書くと

 

    re = e2 / ( 4πε0 m c2 )

 

 そうすると、(8)式のトムソン散乱の散乱断面積は、

 

    σ= ( 8/ 3 ) ×Z×πre 2      ・・・(10)

 

となり、X 線が一つの電子を見込む面積が π re 2 で、電子は Z 個あるから、因子 8 / 3 を除けば、Z 個の電子によって遮られる面積 Z × π re 2 に邪魔されて、その面積部分にあたると X 線は散乱されると解釈できる。

 

 ところが一方、(8)式は

 

    σ = Z × ( 2 / 3π ) × ( e2 / ( 4πε0 ℏc ))2 × π ×( h / m c )2  ・・・(11)

 

とも書き直せる。ここで、

 

    ℏ = h / (2 π)

 

で、h がプランク定数。なんでわざわざ ℏ(あるいは h )を入れたかというと、(11)で出てくる

 

    e2 / ( 4πε0 ℏc ) = α = 1 / 137

 

は、電磁相互作用するときの典型的な強さを表す無次元量なので、これを引っ張り出すために ℏ で割っている。そもそも(8)に出てこない量で割ったので、でてこない ℏ または h を打ち消すように、(11)で

 

    h / m c = λe

 

が現れ、余分な h を掛けたことになっている。ここで定義した α は微細構造定数と呼ばれる。また、λコンプトン波長と呼ばれている。この波長は、始め λ だった波長の X線を電子に照射したとき、電子にエネルギーを与えることで、散乱後の X 線の波長が λ‘ と長くなるという式、

 

    λ‘ ― λ = ( h / mc ) ×  (1-cos θ )

 

に現れる。θ は X 線が曲げられた角度。

 そうすると、トムソン散乱の断面積(11)は

 

    σ = ( 2 / 3π ) × Z × α× π λe2    ・・・(12)

 

と書き直せる。因子 2 / 3 π を除いて、波動性を持つ電子のコンプトン波長 λ程度の広がりを持つ面積 π λeのところに X 線がやってくると電磁相互作用し、相互作用の強さ α が掛ったものが断面積になるというわけだ。電子は Z 個あるので、Z 倍されている。α が 2 回掛かっているのは、電子と X 線の散乱の度合いを量子力学で計算するためには、振幅の絶対値の 2 乗をとるという操作が入るため。

 (10)の形を解釈すると、古典的な電子に X 線が当たると散乱されると見え、(12)を解釈すると、波動として拡がった電子と X 線との電磁相互作用のように見える。

やはり、複数の理解ができるようだ。

108.サンピエトロ大聖堂とローマ教皇と移民の傘売り人

 もう何年前になるだろうか、イタリアに行ったときのことだ。その折、時間を見て、バチカン市国に入り、ローマカトリックの総本山、サンピエトロ大聖堂を訪れた。キリストの使徒、ペトロの墓の上に建てられた大聖堂だ。

 

 「Tu es Petrus, et super hanc petram aedificabo Ecclesiam meam」

 (汝はペテロなり、我、この岩の上に、我が教会を建てん(マタイによる福音書))

 

 サンピエトロ広場から、真ん中のオベリスクを左に見ながら歩き、大聖堂に向かって右側が入場口になっていた。入ったところにトイレがあり、済ませてから大聖堂の内部に入る。

 すぐに、ミケランジェロピエタがあり、感激する。サンピエトロ広場自体がベルニーニの設計なので、大聖堂の内部にもベルニーニの作品がたくさんある。中でも、ベルニーニの大天蓋には圧倒される。

 クーポラにも上がり、クーポラの外へ出て、大聖堂からサンピエトロ広場の眺めも見る。

 

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(サンピエトロ大聖堂のクーポラの上から。写真左下に聖堂への入場口があり、右下に退場口がある。)

 

 しかし、イタリアの6月はまだまだ寒く、しかも雨が降ってきたので、体が冷えてきた。サンピエトロ大聖堂の観光も終え、今度は大聖堂に向かって左側から出るのだが、小学生の子供が用を足したくなった。ところが、トイレは大聖堂に入場した反対側にしかない。

 篠突く雨の中、トイレのある大聖堂の反対側へ行こうとしたとき、すべての通行が遮断されてしまった。広場にも出られなくなったので、もちろん、広場の反対側に行って大聖堂の入場口には行けない。円形のサンピエトロ広場に向かう直線の回廊で留め置かれた。ローマ教皇が通るらしく、すべての通行が止められてしまったのだった。

 仕方ないので、回廊にあった事務所に入って、事情を説明した。トイレに行きたいが、もはや行けなくなったこと、大聖堂の入口以外にあるトイレの場所を教えてほしいこと、無いのであれば今は通行止めされているので、事務所にいる方たちが使うトイレを子供のために借りたいこと。イタリア語はできないが、英語やフランス語を駆使して、伝えたいことを伝える。困ったときには何とかなるものだ。

 しかし、大聖堂の職員の答えは、「大聖堂の入口にしかない」「今は行くことはできない」「事務所の職員が行くトイレはない」。「No」の一点張りであった。教皇はいつ通り終えて警備は解除されるのかと聞くも、「わからない」。

 

 職員が行くトイレが無いなど、本当か? 

 職員もわざわざ観光客の使う大聖堂の入場口まで用を足しに行くのか?

 

 頭にきたが押し問答しても時間が過ぎるばかりで仕方がないので、なんとか警備の隙間を縫って回廊を抜け、サンピエトロ広場の外に出た。

 ここはヨーロッパ。見回しても、観光客の入れるトイレはない。

 

 篠突く雨の中、通りで折りたたみ傘を流しで売っていた、どう見ても移民、インド系の男性に、近くにトイレはないかと聞いてみる。残念そうに、「ない」と言うが、「もうちょっと我慢して、とにかく地下鉄の駅まで行きなさい。そこには、誰もが使えるトイレがある」と教えてくれた。

 

 大急ぎで行ってみると、教えてくれた通りに、改札を入る前のこっちがわ(あっちがわだったかもしれない)のところにあった。カトリックの総本山では誰も教えてくれなかったが、街の傘売りの移民っぽい男性は、細かい場所まで教えてくれていた。

 

 カトリックは「愛」の宗教と習った。

 私たちがサンピエトロ大聖堂を訪問した数か月前に第266代ローマ教皇になった方が、今度日本にやってくるそうだ。1209年に福音的貧しさの生活をもってキリストに従う理想を掲げた修道者の名を取った第266代ローマ教皇は、この事態をどう受け止めるのだろうか?

 

 まぁ、東洋の少年の苦難なんか知らないだろうが。

 

 来日した際に広島を訪問するため、彼が訪れる広島平和記念資料館、いわゆる原爆資料館は訪問当日閉館し、修学旅行で原爆資料館に行く予定だった高校の校長の新聞投稿によって修学旅行生の資料館見学が中止になりかかったことが判明し、資料館は訪問当日は午後8時から10時まで特別に開館することで対応するそうだ。平和記念公園での教皇の集いに当該高校の高校生は招待されたそうだが。

だが、救われたのは一部の修学旅行生だけである。多くの旅行者は排除される。

 

 

「神はわたしたちに愛を示し、優しくわたしたちを迎え入れてくださいます。」

(2013年5月31日、第226ローマ教皇のツイート)」

 

 

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(サンピエトロ大聖堂とサンピエトロ広場。左側の半円形の回廊から大聖堂へ続く直線の回廊での出来事。(https://www.musey.netより)

 

107.情報送信の効率化

 第 29 回で、情報量のエントロピーについて備忘した。情報量として、Yes  or  No、または 1 と 0 を考えると、スイッチの on と off で表せる。「情報量」はどれだけ「情報量のエントロピー」を減らせるかで数えればよい。情報量のエントロピーは底が 2 の対数で表した。

 

    log 2 X

 

Yes or No だと状態の数は 2 なので、X=2 として、情報量は 1。この情報量を単位を作って 1 bit (ビット)と数えよう。0、1、2、3 と状態の数が 4 つあれば、X=4 = 22 なので、log 2 4 = 2 だから、2 bit だ。

 

 数字は0から 9 まで 10 個あるので、これらを 0 と 1 だけで表そうとすると

 

    log 2 10 = 3.32・・・

 

だから、3 bit ではたりず、4 bit 必要だ。3 bit だと  8つの状態しか表せない。log 2 8 = 3 だから。

 ローマ字は 24 個、大文字小文字で 48 個。あと、「?」とか「!」とかの記号もいるので 100 個くらいを区別できれば良いとすると

 

    log 2 100 = 6.63・・・

 

なので、7 bit で足りそうな気もするが、余裕をもって8 bit 使う。要するに、8 このスイッチ、あるいは 8 桁の 0、1 の並びで英文の一文字は表せるというわけだ。

 8 bit を1 byte (バイト)と呼ぼう。

 

    8 bit = 1 byte

 

 漢字は 10000 個くらいあるのだろうか。そうであれば

 

    log 2 10000 = 13.28・・・

 

14 bit で足りそうだが、余裕をもって 16 bit、つまり 2 byte あれば十分だろう。

 

 文字を符号化したものが、コードと呼ばれる。Shift-JIS とか ASCII コードといったやつだ。American Standard Code for Information Interchange の頭文字をとって、ASCII。

 

 全人口は 77 億人くらいだそうだ。自分以外の一人を選ぶためには

 

    log 2 7000000000 = 32.70・・・

 

33 bit の情報があれば選べる。4 byte ちょっとだ。意外と少ない。今では、パソコンのハードディスクの容量はテラバイト、1 テラバイトは 1,099,511,627,776 バイト。なんと容量が大きいことか。

 

 さて、情報を送信することを考えてみる。たとえば、文字が 16 種類のみしかないとしよう。log 2 16 = log 2 24 = 4 だから、4 bit で符号化できる。4 桁の 2 進数だ。ここで、1 秒間に 1000 bit 送信できる能力をもった情報回線を使うと、1 秒間に何文字送信できるかというと

 

    1000 (bit / 秒) / 4 (bit / 1文字) = 250  ( 文字/ 秒)

 

となるので、1 秒間に 250 文字送ることができる。1 秒間に 1000 bit 送ることができるとき、送信能力を 1000 bps (ボーレート)と言う。bps は、bit per second の略。

 

 上の例を一般化すると、1 文字を N bit で符号化できているとして、回線が C bps、つまり C [ bit / 秒] 送ることができるとき、

 

   『通信文の情報量が N [ bit / 1文字] のとき、通信回線の能力が C [ bit / 秒] とす

    ると、1 秒当たり、最大、C / N 文字しか送ることはできない』

 

と言える。いや、C / N 文字まで送ることができるはずなのだ。

 

 たとえば。

 

 数字だけでできている文章を、1000 bps ( = 1000 bit / 秒)の能力を持つ通信回線で送ることを考えよう。数字は 10 個あったので、先ほど見たように log 2 10 = 3.3219・・・bit 必要だ。1 文字 4 bit でコード化できる。そこで、1 秒間に何文字送れるかというと

 

    1000 ( bit / 秒) / 4 ( bit / 1文字) = 250 ( 文字/ 秒)

 

だ。さっきと同じ 250 文字。

 

 しかし。

 

 先ほどの『 』の言明では、N = log 2 10 [bit / 文字]、C=1000 [bps] だから、

 

    C / N = 1000 / log 2 10 = 301.0・・・

 

なので、301 文字くらいは「最大」送れるはずだ。どこかで無駄をしている。

 

 では、どうやればよいか。

 

 たとえば、文字として考えた数字を 3 文字、つまり 3 つの数字ずつ区切ってみる。そして 1 文字ずつコード化するのではなく、3 文字( 3 桁の数字)ずつコード化していく。3 桁の数は( 001 や 013 なども 3 桁の数として)1000 個あるので、3 桁の数字は、情報量として

 

    log 2 1000 = 9.965・・・

 

だから、10 bit あればコード化できる。先ほどは 1 文字を 4 bit でコード化したが、今度は 3 桁、3 文字を 10 bit でコード化したので、結果的に 1 文字あたり、10 / 3 = 3.33・・ bit でコード化できたことになった。4 bit から無駄が削減できたというわけだ。だって、4 bit あれば本来 16 の状態量を区別できるのに、0 から 9 までの 10 個の状態量の区別にしか使っていなかったから 6 個無駄にしていたというわけだ。また、1文字 3.33 bit でコード化できているということは、10個の状態量、log 2 10 = 3.3219・・・bit に極めて近いので、無駄がなくなって いる。

 こうして、3 文字ずつコード化したから、3N = log 2 1000 = 9.965・・・より、一文字当たり

 

    N = ( log 2 1000 ) / 3 = 3.3219・・・

 

通信回線の能力は同じく 1000 bps なので、

 

   C = 1000 [ bit / 秒]

 

より、今度は 1 秒当たり送ることのできる文字数は

 

    C / N = 301.0・・・

 

と、1 秒当たり 300 文字送ることができ、理論上の上限値に近くなった。

 

 符号化の方法で通信できる情報量が増えた。『 』の言明は当たり前に過ぎるが、工夫の余地の有無を教えてくれる。ちょっと簡単化した「シャノンの定理」だ。

 

 もう、25 年近く前に、High Intelligence City の大学に集中講義で来てくださった坂東昌子先生に、集中講義の合間に個人的に教わった話だ。集中講義では学生さん向けに素粒子論の講義をして頂いた。また、大統一理論のお話もしていただいた。

財務省の政策で予算を切られ、今では地方大学に集中講義の先生を呼んで、学生に普段聞いている教員以外の研究分野の話を聞かせて、目を開かせることもできなくなった。

 地方切り捨て政策の一環である。

106.一級河川

 2019 年 10 月 12 日、13 日は、日本スイミングクラブ協会主催の、ブロック対抗水泳競技大会が浜松で行われる予定であった。全国を 10 のブロックに分けて、ブロック対抗で競う競泳の大会で、息子は 2 年ぶりに、四国選抜のメンバーに選ばれていた。楽しみにしていたが、大型の台風 19 号が、東海・関東に接近してきたので、大会開催の 3日前に中止が決まってしまった。残念だったが、実際に、10 月 12 日に台風は東海地方に上陸し、結果的に広範囲に多大な被害をもたらした。中止は実に残念だったが、日本スイミングクラブ協会の判断は正しかった。

 

 暴風被害とともに、豪雨に起因した河川の氾濫が相次いだ。堤防の決壊、決壊せずとも増水した水が堤防を越えてくる越流が多くの河川で起きた。なかでも、千曲川阿武隈川阿賀野川といった、義務教育で習う大河川が氾濫した。どれも一級河川だ。一級河川とは、国土交通省が管轄する、要するに国が管理している河川だ。

 

 堤防が決壊した千曲川は長野県を流れる一級河川だ。新潟に入ると信濃川と名を変える。

 新潟県では阿賀野川が越流し、氾濫した。一級河川だ。

 福島県では阿武隈川の堤防が決壊した。一級河川だ。

 東京では、一級河川多摩川が一部氾濫した。幸い、二子玉川駅付近のもともと堤防のない場所にとどまった。一級河川の江戸川の氾濫もなかった。

 

 堤防決壊、または越流したのは国が管理する地方の河川ばかりだ。地方創生、国土強靭化基本計画など、言葉だけは立派だが、地方は見捨てられている。“地方創生”で何ができたのか?

 

 時事通信社のニュースで見る、首相動静。台風 1 9号が来て、楽しみにしていた全国水泳大会が中止になった 10 月 12 日。

 

 午前 8 時現在、公邸。朝の来客なし。

 午前中は来客なく、公邸で過ごす。

 午後も来客なく、公邸で過ごす。 

 午後 10 時現在、公邸。来客なし。

 

まさに、「不要不急の外出はお控えください」を自ら実践し、国民に範を垂れる首相。

 

 では、台風の来る前日、11 日は、来る台風に備えた対策に奔走していたはずだ。実際、午前午後は国会があり、時事通信社から、首相動静を確認すると、

 

 (略)午後 5 時 20 分から(略)、同 40 分から同 46 分まで、台風 19 号に関する関

    係閣僚会議。

 (略)午後 6 時 28 分、官邸発。同 34 分、東京・有楽町のフランス料理店

   「アピシウス」着。

  

ほう、6 分間は対策会議を開催したのね。何の話をしたのか。

 

 被害が判明した 13 日。

 

(略)同 9 時 2 分まで、(略)。同 7 分から同 25 分まで、台風 19 号に関する関係閣

   僚会議。

(略)午後 4 時 44 分から同 5 時 5 分まで、非常災害対策本部会議。

 

 午前に 18 分。午後は 21 分が、台風対応だ。責任者として楽な商売だ。その後は私邸にこもっている。

 

 昨年 7 月の台風では、わが県は高速が落ちた。深夜に自衛隊要請するなど、知事は頑張っていた。首相、防衛相をはじめ、政府の連中は〇〇亭と称して飲み会に興じていた。何も変わらない。

105.コミュニケーション

 1998 年 7 月 8 日に日本を出て、香港経由で翌 9 日にシャルル・ド・ゴール空港に降りたった。その日から 1 年間、フランスはパリで暮らすことになった。空港には、1 年間お世話になるパリ第 6 大学、またの名をピエール・エ・マリーキュリー大学 ( Université Pierre et Marie Curie ) 大学の Dominique Vautherin(ドミニク・ボートラン)教授が迎えに来てくれた。いつもファーストネームで呼んでいたので、以下、Dominique と記させていただく。Dominique はパリ近郊、近郊鉄道の RER で 30 分ほど南に行ったところにある Orsay 研究所からパリ第 6 大学へ移ったところで、Dominique のところで研究がしたかったので、滞在先をパリ第 6 大学にして、仁科記念財団海外派遣研究員に応募したのだった。応募書類には「意見を伺える方」を記入する欄があり、Dominique を紹介してくれた M 先生や、仁科記念財団の理事を長くされていた原子核理論の大家である M 先生などにお願いして「意見を伺える方」の欄にお名前を記入したおかげで採用された。たぶん。

 奥さんと二人、Dominique の車に乗せてもらって、空港からパリ市内のアパルトマンまで送って貰った。車中から、大きなスタジアム、Stade de France が見えたころ、少し雨模様になった。奥さんが、「 il pleut 」とフランス語で話しかけたら、Dominique が「フランス語が話せるのか」と驚いていた。

 アパルトマンに着いたら家主さんとアパルトマンの管理人さんを紹介してもらい、ひとしきり話をした後、Dominique はとりあえず近所の boulangerie、パン屋さんでパンを買ってみせてくれた。明日の朝はこれで大丈夫。

 生活が始まると、奥さんがスーパーをいくつか見つけてきた。買い物袋を持った人が増えてくると、その近辺にスーパーがあるという発見をしたそうだ。パリの街では、スーパーの入口も街並みに溶け込んでいて、ちょっとわからない。そのうち、INNO(イノ)という大型のスーパーマーケットも見つけてきた。アパルトマンからは、Boulevard Raspail、ラスパイユ大通りにすぐに出て、道を渡って Cimetière du Montparnasse、モンパルナス墓地に沿う Edgar Quinet、エドガー・キネ通りを Gare de Montparnasse、モンパルナス駅に向かって歩いたところにあった。モンパルナス墓地といっても公園の雰囲気があった。

 渡仏したのは、サッカーワールドカップフランス大会が佳境を迎えるときであった。ワールドカップに日本が初めて参加した記念すべき大会であった。我々がパリに着いた頃には日本代表チームは日本に帰ってはいたが。パリのアパルトマンに落ち着いてすぐに、ワールドカップの決勝があった。決勝戦は、シャルル・ド・ゴール空港からのDominique の車から見た Stade de France で行われた。決勝はフランス対ブラジルとなり、開催国フランスの優勝で終わった。

 

 7 月 14 日は、革命記念日、Le Quatorze Juillet、巴里祭だ。Avenue des Champs-Élysées、シャンゼリゼ通りに革命パレードを見に行った。Arc de triomphe de l'Étoile、凱旋門の上を、三色旗の色を吹き出しながら複数の戦闘機がシャンゼリゼ通りの上を通り過ぎた。当時の大統領、Jacques René Chirac、ジャック・シラクもオープンカーでパレードをしていた。すぐ近くで初めて見る国家元首だ。とりあえず、写真を撮っておいた。

 翌日、パリ第 6 大学の研究室で、Dominique に「 I saw the president Jacques Chirac 」といったら、「すごいな、会ってきたのか、look ではないのか?」とにやにや笑いながら突っ込まれた。英語を間違えていて、お会いした、see ではなく、遠目に「見た」だけなので、look が正しい。

 

 お昼は 2 時少し前に研究室の面々と大学内の食堂に行くのが常だった。Dominique とBenoit Loiseau (ブノア・ロアゾウ) 先生、この人は、現象論的な核力である「パリポテンシァル」を作った一人だ。大学院時代の研究室は、核力研究では「玉垣ポテンシァル」と呼ばれるガウス型の核力ポテンシァルを作られた玉垣先生の研究室だったので、パリポテンシァルやらボンポテンシァルやら、核力の話は何となく聞きかじっていた。その、パリポテンシァルの大家と食事をほぼ毎日していた。

 核力のパリポテンシァルといえば、ポテンシァルの創始者、ミシェル・ラコンブ、Michel Lacombe 先生もパリ第6大学におられた。いつもお優しい Lacombe 先生は、お昼は自宅で食事をするために帰られるのが常だった。

 それと、Nicolas Borghini(ニコラ・ボルギニ)も昼食に一緒に行っていた。彼はまだ若く、博士号取得を目指す大学院生であった。パリ市内の交通がストで止まっていた時には、家から大学までスケートボードで来たりしていた。Nicolas は博士号を 1999 年に取ってすぐ、2006 年に上海で会った時には、すでにドイツのビールフェルト大学の正教授になっていて驚いた。ブラジルからの留学生、Pacheco(パシェコ)ともいつも食事に行っていた。彼の母国語はポルトガル語だが、ポルトガル語とフランス語は近いので、研究室の電話にも出ていた。よく、「 Ne quittez pas 」、「切らないで」という声を聴いていた。食事中は気を使ってみんな英語で話しているが、話が込み入ってくると、フランス人 3 人はフランス語になった。Pacheco はフランス語を理解できるし。英語であれば、なんとか、会話についてはいけた。「お前は仏教徒 ( Buddism ) か、神道( Shintoism ) か」とか聞かれるが、答えるのは実に難しい。「12 月 31 日は仏教の寺に行って鐘の音をきいて、翌 1 月 1 日には神道の神社に行くからなぁ」みたいなことを英語で説明したりしていた。

 数か月、ポーランドから Loiseau 先生のところに来ていた若手の Robert Kamiński(カミンスキー)ともしばらく昼食を共にしていた。日曜日に奥さんとパリ市内を散策していて、セーヌを渡る橋の上で、ばったり、カミンスキーが彼女と歩いているところに遭遇し、「やぁ」とあいさつをしたこともあった。奇遇だ。土日は良くパリの街を歩いた。アパルトマンを出てすぐに Jardin du Luxembourg、リュクサンブール公園に入り、公園内を北に向かって歩き、上院が置かれている Palais du Luxembourg、リュクサンブール宮殿を抜け、Église Saint-Sulpice、サンシュルピス教会を通り、Quartier Saint-Germain-des-Prés、サンジェルマンデプレを抜けてセーヌまで歩いて行けた。サンシュルピス教会の一画には、ドラクロワが描いた天井画があった。教会なので、誰でも無料で入れるので、よく見ていた。

 Loiseau 先生とは共同研究はしなかったが、色々気を使っていただいた。誰かの講演会があるからと、大学に近いコレージュ・ド・フランス、Collège de France に連れて行って、中に入れてくれた。Collège de France はかつて電磁気学アンペールが教授をしていたところだ。アンペールが住んでいたところは、アパルトマンから大学への通学路途上にあった。また、ノーベル賞の David Gross の講演があるからと連れて行ってもらったり、パリ天文台で研究会があるから来ないかということで、ふつうは入れない天文台の中まで連れて行ってくれたりした。

 

 Dominiqueといると、色々な人に出会えた。エコール・ポリテクニーク、École polytechnique にも連れて行ってくれた。院政時代に勉強した場の理論の教科書、ItzyksonとZuberの教科書の著者の一人、Zuber が Dominique のところに来た時には、挨拶だけした。修士 1 年の時に読み込んだ原子核物理の教科書、Ring-Schuck の著者の Schuck にも会い、アメリカブルックヘブン研究所の Larry McLerran とも知り合った。後年、McLerran 先生には、息子が生まれた後、一緒に写真を撮ってもらった。パリで知り合ったおかげだ。また、コルシカ島で研究会があったあと、ナポレオンが生まれた Ajaccio、アジャクシオの空港で McLerran 先生と会った時、向こうから「・・・」と話しかけられたが聞き取れず、「ゆっくり言って」と頼んだら、「 Where are you going ?」と言っていただけだった。アメリカ人特有の発音で、ジャパニーズスタイルの英語と違って、ほんとに母音が入ってないので聞き取れない。いつか、High Intelligence City の我が大学にいらしたインド出身のサントシュ先生と食事会で隣り合った時に色々お話しさせてもらったのだが、その際インド英語で「アメリカ人の英語が一番聞き取れない」と仰っていたが、その通りだ。ラテン系の人は何となく母音が混じる。

 

 パリ第 6 大学でも、みんながバカンスで消える時期があったが、こちらは 1 年間のバカンスみたいなものだから、気にせず研究室で仕事をしていた。食事は、たまに、売店で jambon et fromage、ハムとチーズを baggett、フランスパンにはさんだものを買って、大学からすぐ近くの教会、Cathédrale Notre-Dame de Paris、ノートルダム大聖堂の裏手の公園で食べたりもした。大学は la Seine、セーヌ川に面しており、セーヌをほんの少し西に行くとノートルダム大聖堂があった。歩いて 5 分とかからない。

 

 アパルトマンではテレビを見るが、もちろん全編フランス語だ。よく聞くフレーズなのだがうまく聞き取れず、こちらの語彙にない音のようなときには、良く、Dominiqueに聞いていた。「「ぷれざんぽくとん」とテレビでよく聞くのだが、何?」と聞くと、Dominique はしばらく考えて、「おそらく、très important、トレザンポルタン、「とても大事」だろう」という具合。

 

 パリ第 6 大学で研究の傍ら、当時、高校の物理教育プログラムを策定していたJacques Treiner(ジャック・トレイナー)と昼食に行った際に、Dominique が日本では物の数え方が特殊だという話を振った。犬は1匹だが、象は1頭と数える、とかなんとかといった話になると、Jacques は混乱していた。同じ動物なのに、どこで線引きするのだ、となるので、まぁ、大きさだと答えるも、ウサギは1羽と呼ぶと言ってさらに混乱させて楽しんだ。フランス人、ウサギを食べるから。椅子は1脚とか、魚は 1 匹とか、ペンは 1 本とか・・・色々話していると、Jacques はとうとう、「若い女の子はなんと数えるんだ?」と、落ちをつけておしまい。

 

 大学の研究室は、Basarab Nicolescu(バサラ・ニコレスク)教授と同室だった。が、彼はほかにも研究室があるらしく、ほとんどパリ第 6 大学には現れなかった。それでも、1 年いたので、しばしば顔を合わせていた。1 年がたち、日本に帰る数日前にNicolescu に研究室で会ったので、お礼のつもりで、「あなたと同じ部屋で話ができて楽しかった」とフランス語で言ったつもりなのだが、ホテルで部屋を予約するときには「部屋」を chambre というので、「あなたと同じ chambre で楽しかった」と言うと、Nicolescu を含めたその場に居合わせたフランス人は大爆笑していた。笑いながら、Nicolescu が「お前とchambreを共にした覚えはない」という。ひとしきり笑い終えると、「 chambre は寝室のことだ。言いたいことは、「同じ bureau 」だろ?」ということだった。Bureau はオフィスのことだ。

 

 学生さんによく言うのだが、流暢な英語が話せること、イコール、コミュニケーション能力ではないと思う。コミュニケーションが不調な時にどう解決するか、対応できるかがコミュニケーション能力が発揮される場だ。ポルトガルに滞在するときには、スーパーマーケットで食べ物を買うことが多いのだが、毎回、レジでは何やらポルトガル語で聞かれる。コミュニケーションできないので、わかるまで聞き返すのも有りかもしれないが、後ろに人も沢山並んでいるし。レジに並んでいる最中によく観察していると、何やら聞かれた後にカードを出しているお客さんがいるので、ははぁ、「ポイントカードを持っているか?」くらいのことしか聞いてないんだろうと当たりをつけて、聞かれたら não (ナオン)、no と言っておいたらいい。そんなに重要なことをレジで聞かれているはずはない。

 また、流暢な英語が話せることが、国際人でもない。英語はうまいが、話す中身が空っぽでは頂けない。外国に出ると日本のことをよく聞かれる。うまく説明できるだろうか。

 

 まぁ、英語が話せない者のひがみではあるが。

 

 フランスから帰国したのが、1999 年 7 月 7 日。パリ生活から、ほぼ 20 年。

 2019 年 4 月 15 日、大学の研究室からふらりと散歩でよく行ったノートルダム大聖堂が火災に見舞われ尖塔が崩落する。

 2019 年 9 月 26 日、フランス革命記念日で“見た”ジャック・シラク元大統領が亡くなる。大統領経験者はノートルダム大聖堂で葬儀が行われるところを火災のため使えず、サンシュルピス教会で葬儀が行われ、モンパルナス墓地に葬られたとのことだ。

 いろいろ思い出した。

104.ボイルの法則とニュートン

 もう 10 年近く前になるが、「自然科学の歴史」というオムニバス講義を受け持っており、ニュートン力学の形成史と熱の科学の形成史を担当していた。物理学理論の専門家であって、科学史については研究対象としていないが、でも、まぁ、利用はしていて知識も豊富ではあるものの直接の研究対象とはしていない力学のコマの問題やら古典電磁気学の問題などを教えているのと同様で、そこは、まぁ、ある程度詳しいということで、講義を受け持った。でも、専門家ではないので、色々勉強して講義ノート、実際はオムニバスで時間が限られているのでパワーポイントの資料を作る。

 

 ニュートン力学の形成史については、ずっと以前から、力学の授業で話をしたりと、色々担当したことがあるので準備もわけなかったが、熱力学史は纏まったノートを作ったことがなかったので、色々文献などを読み漁る。

 

 せっかく準備したが、同じ時間帯に「解析力学」の講義をすることになったため、その授業は2年で首になった。

 

 色々資料を読んでいると、やはり面白い。その中で、ボイルの法則と、その理解に関するニュートンの仕事の話がある。

 

 ボイルの法則とは、高校の物理でも化学でも学ぶものだが、「一定温度で一定量の気体の体積は、圧力に反比例する」というものだ。体積は volume なので、V と書くことにし、圧力は pressure なので、P と書くことにすると

 

    PV = 一定

 

ということ。ボイルが 1662 年に実験的に確立する法則であるが、その前に、仮説としてタウンレイが

 

    PV = P0 V0

 

を考えていたようだ。ここで、P0 は大気圧で、V0 はそのときの気体の体積。

 

 ボイルの法則はフックによって検証されてもいるが、ボイルもフックも熱とは、気体を構成する物体-分子と言っておこう-の運動によるものとした、「熱運動論」に立脚していた。

 

 では、「熱運動論」以外に、熱の原因は考えられていたかと言うと、それがいわゆる「熱素説」だ。“熱”の担い手は、“熱の原子”である「熱素」であるというもの。

 

 現在では、気体を構成する分子の乱雑な運動が熱の正体であると解っており、熱素は否定されていることを予め言っておこう。しかしながら、17、18 世紀あたりは、自然界における力や効果の担い手として、物質を考えることが多かった。熱の担い手は“熱素”であり、電気の担い手は“電気流体”、磁気の担い手は“磁気流体”、化学反応による燃焼をおこすのは“燃素(フロギストン)”といった具合である。

 

 また、現在では、ボイルの法則が成り立つのは、気体分子が“容器の壁”に衝突し、分子の運動量の向きを変えることで壁に力を及ぼすことから生じることも分かっている。分子は非常にたくさんあるので、衝突により及ぼす力の平均が圧力として観測される。気体分子運動論だ。分子間の力は無視してよい。

 

 さて、時代を戻して、ニュートン

 

 ニュートンは、ボイルの法則が成り立つために、“構成粒子”間にどのような力が働けばよいか?と問題を立てたようだ。構成粒子間に斥力があれば、その斥力のせいで構成粒子同士は近寄れず、近寄ろうとすると反発することから“圧力”が生じると考えたようだ。いわば、斥力により“構成粒子”は静止している。

 ニュートンの議論を見ておこう。

 

 一辺の長さが ℓ の立方体を考えておこう。この容器の体積Vは V = ℓ3 だ。“構成粒子”間の距離 r は、構成粒子の個数が同じであれば、ℓ に 比例するだろう。そこで、比例定数を a として、r = a ℓ だ。

 容器の体積を、V’ = ( ℓ’)3 に縮める。一辺の長さを ℓ’ にと言うわけだ。そうすると、“構成粒子”間の距離も変わり、これを r’ とすると、r’ = a ℓ’ から

 

    r’/ r = ℓ’/ ℓ

 

と書ける。

 

 “構成粒子”間に斥力が働くとし、粒子間距離rでの斥力を f(r) とする。体積 V から V’ に圧縮しても、立方体の各面に接する粒子数 N は変わらないので、立方体の各面に及ぼされる斥力は、N f(r) である。圧力 P は単位面積当たりの力なので、結局

 

    N f(r) = P ℓ2 、 N f(r’) = P’(ℓ’)2

 

がそれぞれ成り立つ。比を取ると

 

    f(r) / f( r’) = P ℓ2 / (P’(ℓ’)2 ) = PV / (P’V’) × ( ℓ’/ ℓ )

         = PV / (P’V’) × ( r’/ r )          ・・・(1)

 

が得られる。ここで、実験事実として、ボイルの法則を用いよう。

 

    PV  =  P’V’

 

だ。こうして、(1)から

 

    f(r) / f( r’) = r’/ r  ・・・(2)

 

が得られる。ある定数を c と書くと、(2)から、“構成粒子”間の斥力 f(r) は

 

    f(r) = c / r

 

のように、“構成粒子”間距離 r に反比例することが解る。

 

 こうして、ニュートンは、“構成粒子”間距離rに反比例する斥力があれば、ボイルの法則が成り立つと考えた。

 

 では、ニュートンが考えた“構成粒子”とは何であろうか。すなわち、この斥力の担い手のことである。

 ニュートンが亡くなってから後の時代であるが、ラボアジエは 1789 年の「化学原論」で、熱の担い手として“熱素(カロリック)”を導入した。気体には熱が含まれているので、ボイルの法則を与えるための斥力の担い手も、“熱”を担う「熱素」であると考えられたようだ。

 

 現代から見れば間違っているのだが、それでもニュートンは偉大だ。

103.数字の並びから法則へ

 原子から放出される光は、特定の波長を持っている。たとえばナトリウムならおおよそ 589 nm(ナノメートル)で、橙黄色、高速道路のトンネルなんかに使われている、いわゆるナトリウムランプだ。ネオンだと、いくつかの波長が混ざっているが、だいたい赤橙色。ネオンサインだ。

 

 もっとも単純な水素原子からも特定の波長の光のみが放出される。波長だとメートル単位では小さい数になるので、波長分の1、波数(を 2π で割った値)で書いておこう。

 

  赤 :1523310  [1/m]    (波長:656.5 nm)

  青緑:2056410  [1/m]     (波長:486.3 nm)

  青 :2303240  [1/m]     (波長:434.2 nm)

  藍 :2437290  [1/m]    (波長:410.3 nm)

  紫 :2518130  [1/m]     (波長:397.1 nm)

 

最新の測定値とはちょっと違っているかもしれないが、良しとしよう。

 

 この数字の羅列から、何か言えるだろうか?

 

 とりあえず、青緑と赤の波数(波長の逆数)の比を取ってみよう。有効数字 7 桁とする。

 

    (青緑)/ (赤) = 2056410 / 1523310 = 1.349962

 

観測データに誤差もあるだろうから、まぁ、1.350 としておこう。そうすると

 

    1.35 = 135 / 100 = 27 / 20    ・・・(1)

 

と綺麗な整数比で表せる。

 この調子で、赤を基準に比を取ってみよう。次に、青と赤。

 

    (青)/ (赤) = 2303240 / 1523310 = 1.511997

 

まぁ、1.512 だ。そうすると

 

    1.512 = 1512 / 1000 = 189 / 125    ・・・(2)

 

次は、藍と赤。

 

    (藍)/ (赤) = 2437290  / 1523310 = 1.599996

 

1.600 だ。そうすると

 

    1.6 = 16 / 10 = 8 / 5   …(3)

 

最後は、紫と赤。

 

    (紫)/ (赤) = 2518130  / 1523310 = 1.653065

 

おや、あまりきれいな整数比になりそうにない。そこで、“連分数表示”に似せて、考える。まず、2518130  / 1523310 = 251813  / 152331 であり、これより大きい最小の整数(今の場合は 1.653065 より大きい最小の整数は 2 )を用いて

 

    251813  / 152331 = 2-52849 / 152331    ・・・(A)

 

とする。こうして

 

    251813  / 152331 = 2-1 / (152331 / 52849)

 

なので、(A)で出てきたお釣りの分数の逆数を考えて、同じ操作をする。つまり

 

    152331 / 52849 = 3-6216 / 52849    ・・・(B)

 

こうして、

 

    251813  / 152331 = 2-1 / ( 3-6216 / 52849 )

             = 2-1 / ( 3-1 / ( 52849 / 6216 ))

 

なので、(B)のお釣りの分数の逆数を同じ手順で

 

    52849 / 6216 = 9-3095 / 6216

 

とする。したがって、最初の(紫)/(赤)の分数は

 

    251813  / 152331 = 2-1 / ( 3-6216 / 52849 )

             = 2-1 / ( 3-1 / ( 52849 / 6216 ))

             = 2-1 / ( 3-1 / ( 9-3095 / 6216 ))   ・・・(C)

 

と書ける。続けても良いが、水素原子から測定した光の波数(波長)の観測値は誤差を含んでいるだろうから、最後に現れた分数

   

    3095 / 6216 = 0.497909 ≒ 0.5 = 1 / 2

 

と、綺麗な 1 / 2 にしておこう。そうすると、(紫)/(赤)の(C)式は

   

    251813  / 152331 = 2-1 / ( 3-1 / (9-1 / 2 ))

             = 2-1 / ( 3-2 / 17 )

             =2-17 / 49

             = 81 / 49

 

と、比較的綺麗な整数比になる。

 

 さて、得られたものを纏めておこう。

 

   (青緑)/ (赤) = 27 / 20

    (青)/ (赤) = 189 / 125

    (藍)/ (赤) = 8 / 5

    (紫)/ (赤) = 81 / 49

 

分母を並べると

 

    20,  125,  5,   49

 

だ。最初の 3 つは 5 で割り切れるので、割ってから並べると

 

    4,   25,   1,   49

 

となる。すべて平方数(4 = 22 , 25 = 52 , 1 = 12 , 49 = 72 ) だ。2 番目が 5 の 2 乗、4 番目が 7 の 2 乗なのに、3 番目は 6 の 2 乗ではない。1 番目もこの推測からは 4 の2 乗であったらよいのにそうなっていない。

 計算では分数を扱ったので、どこかで約分してしまったのかもしれない。もともと、赤の波数 1523310 [1/m] を使って割り算していたので、たまたま青緑と藍の時は約分されてしまったのかもしれない。そこで、3 番目で失われていた 6 の 2 乗、36 を復活させるために 36 を掛けて 36 で割るという操作をして、赤の波数を表してみよう。

 

    1523310 [1/m] = 10967832  ×( 5 / 36 ) 

 

そうして、赤の波数 1523310 を基準にするのではなく、上で出てきた 5 / 36 を除いた数値、10967832 を基準に比を取ったと思おう。すると

 

  (赤)/ (10967832) = 1523310 / 10967832 =( 10967832 × ( 5 / 36 )) / 10967832 

  (青緑)/ (赤) = 27 / 20  =(青緑)/ ( 10967832 × ( 5 / 36 ))

  (青)/ (赤) = 189 / 125 = (青)/ ( 10967832 × ( 5 / 36 ))

  (藍)/ (赤) = 8 / 5 = (藍)/ ( 10967832 × ( 5 / 36 ))

  (紫)/ (赤) = 81 / 49 = (紫)/ ( 10967832 × ( 5 / 36 ))

 

すなわち

    (赤)/ (10967832) = 5 / 36

    (青緑)/ (10967832) = 27 / 20 × ( 5 / 36 ) =3 / 16 = 12 / 64

    (青)/ (10967832) = 189 / 125 × ( 5 / 36 ) = 21 / 100

    (藍)/ (10967832) = 8 / 5 × ( 5 / 36 ) = 2 / 9 =32 / 144

    (紫)/ (10967832) = 81 / 49 × ( 5 / 36 ) = 45 / 196

 

となる。青緑の結果には最後に分母分子 4 を掛け、藍の結果には 16 を掛けて、分母が平方数になるようにした。分母は赤から順に、36 = 62 、64 = 82 、100 = 102 、144 = 122 、196 = 142 だ。6 から始まり、偶数の 2 乗が出ている。しかも赤から順に分母を書くと

 

    36 = 62 = 9 × 4 = 3× 22

    64 = 82 = 16 × 4 = 4× 22

    100 = 102 = 25 × 4 = 5× 22

    144 = 122 = 36 × 4 = 6× 22

    196 = 142 = 49 × 4 =7× 22

 

のように、4 でくくると、3、4、5、6、7 それぞれの 2 乗がきれいに現れる。

 

 では分子は規則性があるだろうか? 赤から順に、

 

    5 =  9-4 = 32 - 22

    12 = 16-4 = 42 - 22

    21 = 25-4 = 52 - 22

    32 = 36-4 = 62 - 22

    45 = 49-4 = 72 - 22

 

となっているではないか。3 から順に 2 乗から 4、すなわち 2 の 2 乗を引いた数になっている。分母にも 4 が出てきていた。

 

 ここで、いつも 10967832 が出てくるので、これを R と書くことにしよう。

 

    R = 10967832  [m-1]

 

こうしておくと、水素原子から放出される光の波数(波長 λ の逆数)は

 

    (赤の波数)  = 1 / λ  = R× ( 32 - 22 ) / ( 32×22 )

    (青緑の波数)= 1 / λ青緑 = R× ( 42 - 22 ) /  ( 42×22 )  

    (青の波数)  = 1 / λ  = R× ( 52 - 22 ) /  ( 52×22 )

    (藍の波数)  = 1 / λ  = R× ( 62 - 22 ) /  ( 62×22 )

    (紫の波数)  = 1 / λ  = R× ( 72 - 22 ) /  ( 72×22 )    ・・・(4)

 

見事な規則性が見えたではないか。

 

 以上の素晴らしい洞察は、1885 年、スイスで中学校の教師をしていたバルマーが為したことである。バルマーは波数ではなく波長そのものを扱っていたようで、彼が得た式は、

 

    λ = h m2 / ( m2 - n2 ) 、 ここで、n = 2、m = 3, 4, 5, 6, 7   ・・・(5)

 

である。h = 4 / R とすれば、先に得た式と同じだ。

 

 のちに、リュードベリは、(5)をひっくり返した(4)式を一般化して

 

    1 / λ = RH ( 1 / n2 -1 / m2 )  、ただし n < m、n, m は自然数

を得た。n = 2 の場合がバルマーが見出した規則だ。RH はリュードベリ定数と呼ばれ、(4)の R のことだが、現在の測定では

 

    RH = 10973731.568160 [m-1 ]

 

という値が得られている。

 

 一度でいいから、バルマーのような仕事をしてみたいものだ。