38.力のモーメントと釣り合い

 小学6年生の理科の問題集に、どうやって解いたんだというものがあった。図 1 のように、重さ 30 g、長さ 60 ㎝ の均質な棒の左端を支点にし、支点から 40 ㎝ のところに重さ 60 g の重りをつるす。このとき、棒の右端にばねばかりをつけ、ばねばかりを持って棒と重りを支えると、ばねばかりは何グラムを指すか、という感じの問題。問題文は正確ではないが。小学校でどんなふうに教わっているのか知らないので、解答をみる。そこには、

 

    40 cm × 60 g ÷ 60 cm = 40 g

    30 g ÷ 2 = 15 g

    40 g + 15 g = 55 g           ・・・(0)

 

と、謎の数式が並んでおり、答えは「55 g」。

 

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な、なんだ?

 

 

 以下では質量と重さを混同して使う。

 (0)の 2 番目の式は、重さ 30gの棒を左端の支点と右端のばねばかりで平等に支えているということで、30gを2で割っているのだろうと推測できる。では 1 番目の式はどういう理屈で出てきたのだろう。これがわからない。支点から錘までの距離 40 cm に錘の重さ 60 g を掛けている。そのあと、支点からばねばかりまでの長さ 60 cm で割っている。どうしてなのかの説明が欲しいが、問題集の解答集には解説がない。

 

 高校・大学では「力のモーメント」という概念が出てきて、それでこういった類の問題は解決する。詳しいことはやめて、簡単に見てみる。

 

 小学校なので、まずはシーソーは扱っているのだろう。

 

図 2 の感じ。シーソーの台というか棒というか、それは人に比べて軽いとして今は無視しておこう。シーソーに乗ってわかることは、シーソーで 2 人が釣り合おうとしたら、体重の重い人はなるべく前へ、軽い人は後ろに乗るということ。釣り合いの条件は  

  

  (支点から、体重のかかっている人(作用点)までの長さ)×(体重)

 

が、左右両者で等しい時だ(「体重」というのは、本来は下に向かう「力」のこと)。

 

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図 2 の場合だと

 

    4 m × 30 kg(重)= 2 m × 60 kg (重)

 

で釣り合っている。(重)と書いたのは、質量ではなくて力ということを示すためだ。もし右の体重 60 ㎏ の人が支点から 3 m のところに座ると、3 m × 60 kg(重) = 180 kg(重) m となって、左の人の120 kg (重)m より大きくなって、シーソーは右の側が下がる。

 

 この知識をもとに、もう1度、図 1 を考えてみよう。重さ 30 g の棒は均質なので、棒の中央に 30 g 分の力が下向きに働いていると考えてよい。棒の中央が棒の重心だ。おもりは支点から 40 cm のところに下げたので、そこで下向きに 60 g 分の力を与える。この二つの力が、棒を右回りに回転させようとする。それを、右端のばねばかりが指す重さ分の力を上向きに与えて阻止する。図3 のように考えればよい。

 

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右回りに回転させようとする「力のモーメント」、つまりシーソーの時の(支点から力の作用点までの長さ)×(重さ(力))は、

 

    ( 30 cm × 30 g (重)) + ( 40 cm × 60 g(重) ) ・・・(1)

 

となる。最初のカッコは棒自身の重さで、支点を中心に右回転させようとする寄与、2番目のカッコはおもりが棒を右回転させようとする寄与。一方、右端に力を与えて、それが x g 相当だとすると

 

    ( 60 cm × x g(重)) ・・・(2)

 

の「力のモーメント」で、支点を中心に棒を左回りさせようとする。(1)式と(2)式が等しければ釣り合って棒は回転しないので

 

   ( 30 cm × 30 g (重)) + ( 40 cm × 60 g(重) ) =  ( 60 cm × x g(重)) 

 

つまり、

 

    x = ( 30 × 30 + 40 × 60 ) ÷ 60

     = 55 [ g ]

 

と正解が出る。

 

 この式を解きほぐしてみる。1 行目から 2 行目に行く前に、÷ 60 をそれぞれに作用させて

 

    x = ( 30 cm × 30 g + 40 cm × 60 g) ÷ 60 cm

     = 30 g ÷ 2 + (40 cm × 60g ÷ 60 cm )

     = 15 g + 40 g

     = 55 [ g ]

 

とも書ける。まず、x = ・・・の棒の寄与だけ見ると

 

    30 cm × 30 g ÷ 60 cm = 30 g ÷ 2 = 15 g

 

と、3 行目の第 1 項だ。おぅ、問題集の解答の謎の(0)の 2 番目の式だ。今度は残りのおもりの寄与を見る。

 

    40 cm × 60 g ÷ 60 cm = 40 g

 

だ。おぅ、謎の(0)の第 2 式と同じ。

 

 こんな計算過程や物理的意味合い抜きに答えを出さないといけないとは。

 

 小学校、難し過ぎだ。

 

 というか、中学入試を受けるには、何も考えず、すらすら(0)式のような式を立てられないといけないのだろうなぁ。

 (0)の第2式の味するところは何となく分かったが、同じ論理では(0)の第1式は解釈できない。そんな非論理的な考え方で良いのか? 

 

 一応「物理屋」を名乗っていて、査読のある論文誌に100編以上英文で論文を書いている我が身であるが、小学校の理科、特に物理の内容の範疇の問題の解答の仕方が良くわからない。現在、大学設置審の審査にかかっている身なので、お前は小学校の問題も解説できない、大学で専門の物理を教えられるはずはないと、大学設置審の委員から不可がでそうなので、ここでの話は内緒である。きつく言っておくが、決して拡散してはいけない。誰が見るか気づくかわからない。

 

 幸い息子は最初から公立中学に進む予定なので、今後おいおい意味を理解して、考えてから解けるようになればよろしい。意味不明な「解き方」を覚える必要は無いぞ。私立中学を受験しないおかげで、受験の頃まっただ中にあった水泳の県大会で、2種目目となる全国標準の記録を突破し、3月末に東京で行われる水泳連盟の全国大会に初日から参加できた。旅費は親持ちだが、水泳で息子に東京に連れて行ってもらえるとは思ってもいなかったので純粋に嬉しかった。ついでに県大会で200 m バタフライの県の学童記録も貰った。慌てて受験テクニックだけ身に付けなくて良しとしよう。つまらんテクニックだけを身に着けて、意味も分からない「勉強のできる」人になる必要もない。基礎に立ち返って考えることができるようになればよいのだが。

37. 力と次元

 三角形の面積や、角錐の体積に空間次元が顔を出していることをみた(36回)。それは算数の話だったので、もう少し物理の話題を。

 

 基本的な力を考えてみよう。真っ先に思い浮かぶのは、おそらく重力。「万(よろず)」重さの「有」るものには「引」き合う「力」が働くので、万有引力。質量 m [kg] と M [kg] の2つの物体が、距離 r [m] 離れておかれているときにお互いに働く万有引力の大きさは、それぞれの物体の質量の積に比例し、距離の2乗に反比例する。比例定数を G [Nm2 / kg2 ] と書いて、万有引力の大きさ F [N] は

 

    F = G M m / r2    ・・・(1)

 

となる。距離 r2 に反比例している。

 

 なぜ正確に距離の2乗に反比例しているのだろう。こんな風に考えられる。

  

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 簡単のために、まずは空間が1次元、つまり一方向とその反対方向にしか空間が広がっていないとしよう(図1(a))。力の源泉の強さを g としておくと、この力は右に g / 2、左に g / 2 の効力を持って伝わると考えればよい。右も左も特別な方向ではなく同等だから、等しい効力が伝わる。右に伝わる力の効力と、左に伝わる力の効力を足すと、もとの力の源泉 g になっているはずだ。このとき、力の源からの距離によらず、力は一定の効力 g /2 に比例する。つまり、空間が 1 次元しかないとき、力 F は

 

    F = σ’ g / 2   ・・・(2)

 

の形を持つはずだ。ここで、σ’ は何か、係数。

 

 次に、2次元平面(図1(b))。中心の力の源の強さ g は、四方へ伝わり、薄くなる。中心から半径 r のところを考えると、半径 r の円周上にまで伝わった力の効力をすべて寄せ集めて足し上げると、もとの力の源泉 g になっているはずだ。1 次元で考えたことと同じ。半径 r のところで、どれだけ弱くなっているかというと、半径 r の円周の長さは 2 π r [m] だから、

 

    g / ( 2 π r ) 

 

のように、効力は半径 r とともに弱まっているはずだ。なぜなら、すべての円周上での効力を足し合わせると

 

    (薄まった力の効力)×(円周すべて)=(g / (2 π r))×(2 π r )

                      = g

 

となって、確かに力の源泉に戻る。こうして、空間が 2 次元しかなかったら、その 2 次元世界での力の法則は

 

    F = ( k' / (2π)) × (g / r )  

 

のようになる。k' はある比例定数で、g は力の源の強さ、r は力の源からの距離。2次元世界では力は距離に反比例する。作用・反作用の法則まで考えると、力を受ける物体の力の源泉をg' として、k'=k×g' と書いておくと、上に記した2次元世界の力は

 

    F = (k / (2π))× (g g' / r )  ・・・(3)

 

のようになる。

 

 では、空間3次元の私たちの世界(図1(c))。中心の力の源の強さ g は、四方八方へ伝わり、薄くなる。中心から半径 r のところを考えると、半径 r の球面上にまで伝わった力の効力をすべて寄せ集めて足し上げると、もとの力の源泉 g になっているはずだ。2次元で考えたことと同じ。半径 r のところで、どれだけ弱くなっているかというと、半径 r の球面の面積は 4 π r2 [m2] だから、

 

    g / (4 π r2 ) 

 

のように、効力は半径 r とともに弱まっているはずだ。なぜなら、半径 r の球面上での効力をすべて足し合わせると

 

    (薄まった力の効力)×(球面すべて)=(g / 4 π r2 ))×(4 π r2

                      = g

 

となって、確かに力の源泉に戻る。こうして、空間 3 次元の私たちの世界では、力の法則は

 

    F = ( k' / (4π)) × (g / r2 )

 

のようになる。k' はある比例定数で、g は力の源の強さ、r は力の源からの距離。3次元世界では力は距離の 2 乗に反比例する。作用・反作用の法則まで考えると、力を受ける物体の力の源泉を g' として、k'=k×g' と書いておくと、力は

 

    F = (k / (4π))× (g g' / r2 )   ・・・(4)

 

のようになる。

 

 さて、万有引力。力は質量に働くので、「力の源泉 g、g' 」は「質量 M、m」と思えばよい。比例定数 k は k = 4 π Gとして

 

    F = G M m / r2

 

となる。これは(1)の万有引力の法則そのものだ。万有引力の法則が、「距離の 2 乗に反比例」するのは、私たちの空間が 3 次元だからだ。

 

 2 つの電荷をもった物体に働く力は、クーロン力と呼ばれる。たとえば、プラスQ [C] とプラス q [C] の電気量を持った2つの物体が距離 r [m] だけ離れて置かれたとき、それぞれの物体に働く力の大きさ F は

 

    F = 1 / (4πε)× Q q / r2    ・・・(5)

 

となる。これを「クーロンの法則」と呼ぶ。高校でこれを習った時、万有引力の法則に似ていると思った。距離の 2 乗に反比例する力だ。でも、何も説明はなかった。

 いまでも、大学に入学したての学生さんは同じ疑問を持ってきている。ということは、やはり高校時代、なんの説明もされてないのだろう。

 電気力の力の源泉は、電荷 Q や q だ。(4)式で g=Q、g'=q と思えばよい。比例定数 k は k = 1 / ε。そうすると、(4)は(5)になる。やっぱり、私たちの空間が 3 次元だから、力は距離の 2 乗に反比例するわけだ。それくらい、教えてくれたらいいのに。

 

 だんだんわかってきたことは、私たちの空間が 2 次元平面しかないのであれば、力は距離に反比例する、3 次元だったら距離の 2 乗に反比例する。ということは、私たちの空間がもし 4 つの方向に拡がっている 4 次元空間であれば、力は距離の 3 乗に反比例するはずだ。一般的に、空間が n 次元に拡がっていれば、力は距離の ( n - 1 )乗に反比例するということ。

 

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 今度は無限に長い導線を考えて、ここに直線電流 I [A] を流す。図2 だ。そうすると、電流から距離 r [m] 離れたところに磁場 H が、導線を取り囲むように円形にできる。そのときの磁場の強さは

 

    H = I / (2 π r )

 

と高校で習う。空間 3 次元なのに、距離の 2 乗に反比例していない。でも、よく考えてみよう。無限に長い直線電流が流れているので、電流に垂直な面、たとえば面Aも面Bも、全く同等、何も相違はない。ということは、電流の方向に空間をずらしてみても、状況は何も変わっていないということ。実質、空間は電流に垂直な面方向にしか拡がっていないと考えても良い。2 次元世界が実現している。ということは、直線が力の源泉なので、そこから距離 r [m] 離れたところの力の強さは、(3)式の形を持つはずだ。直線状の力の源が、方や I [A]、もう一つが I' [A]であれば、比例定数を μ と書いて

  

    F = μ I I' / (2 π r )

 

と書ける。ただし、単位の長さ(1メートル)あたりの導線に働く力。

 

 クォーク間に働く力は、チューブ状、1 次元方向に絞られている。これは真空の効果なのだが、詳しいことは説明が長くなるので、ここでは省略。とにかく、1 次元的ということは、クォーク間に働く力は(2)式のように距離に依存しない。そこで、改めてσ’×g / 2を定数σと書き直すと

 

    F = σ ( = 定数)

 

である。さて、クォークと反クォークがくっついているとして、この力に抗してクォークを取り出そうとしよう。ぐいっと引っ張ってやれば宜しい。常に力 F に抗して引っ張って、距離 r [m] だけ伸ばしたとする。必要なエネルギーは、

 

    (力)×(移動距離)

 

分だけの「仕事」に等しい。クォークを取り出すには、無限に離してやらないといけないので、必要なエネルギーは

 

    エネルギー = F × ( r → ∞ )  = σ×∞

          = ∞

 

ということで、無限大(∞)のエネルギーが必要になる。こうして、クォークは単独で取り出せないと言われる。

36.錐体の体積

 小学6年生の息子が、なぜか中学生になってから習うはずの角錐の体積の問題に出くわして、習ってないと怒っていたらしい。

 

 角錐の体積は、

 

    (角錐の体積)=(底面積)×(高さ)÷3

 

そういえば、中学生の時、なぜ3で割ると答えが出るのかさっぱり解らなかった思い出がある。数学の先生のところに聞きに行ったが、当然、中学生に納得できる説明はなく、三角錐だったか四角錐だったか、3つ合わせると一つの角柱になる教育教材を触らせてもらって、確かに角柱の3分の1になるのを見た覚えだけがある。

 

 きちんとわかるには、高校で積分を学ばねばならなかった。

 

 でも、せっかくの機会だから、子供に説明しておこうと思い、半日考える。でもだめだ。積分の考えを使わないとうまく説明できない。でも説明しないよりましだから、一応説明して納得させる。

 

 まずは、1辺の長さ a の立方体を考える。立方体の中心を O として、そこから 8 つの各頂点に直線を引く(図1)。そうすると、底面が正方形、高さが a / 2 の6つの等しいピラミッド型ができる。図1 ではそのうちの 2 つのみ描いた。Oを頂点として、四角錐 OABCD と OADFE。

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 同じ四角錐が 6 個で、一辺 a の立方体を占めるので、四角錐一つ当たりの体積は

 

    四角錐OABCDの体積 = a×a×a ÷ 6

              = ( a×a ) × ( a/2 ) ÷ 3

 

ということ。2 行目を見れば、四角錐の底面積 (a×a) に、四角錐の高さ (a / 2) を掛けて、確かに3で割ったものが、今考えている四角錐の体積だ。底面積 × 高さ ÷3。

 

 でも、これは特殊な四角錐。そこで、四角錐の体積を考えるのに、厚みが零ではないが薄い板を考えて、この板を少しずつ小さくして積み上げて、近似的に四角錐を作ったと考えよう。図2 の (a) だ。

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 さて、1 枚 1 枚の板の面積を半分にして四角錐を再構成する。図2の (b) だ。四角錐の高さはそのまま。板の枚数もそのまま。ということは、板の厚みもそのまま。1 枚当たりの板の体積はそれぞれ半分になっているので、全体の体積も半分になる。要するに底面積を半分にすると四角錐の体積は半分。底面積を  2 倍にすると 2 倍。

 

 もとの四角錐に戻ってから、板を少しずつずらして積み上げる。こうすると、頂点は底面の正方形の中心の上にない、ちょっとずれた四角錐ができるが、高さが変わらない限り、体積は同じ。つまり

 

    (角錐の体積)=(底面積)×(高さ)÷3

 

のままだ。

 

 今、底面を正方形にとったが、三角でも五角でも、はたまた円でも、対応する板の面積が同じであれば、結果的に、得られる錐の体積は同じということもわかる(図2(c))。こうして、角柱であれ円柱であれ、体積は

 

    (錐の体積)=(底面積)×(高さ)÷3

 

となり、[ ÷3 ] がいつも現れることがわかる。はず。これでひとまず、任意の形の錐体の体積を求めたことになる。

 

 一応、息子は納得した。

 

 

 そういえば、三角形の面積は

 

    (三角形の面積)=(底辺(の長さ))× (高さ)÷ 2

 

だった。[ ÷2 ] だ。面積は、細い棒を並べて近似できると思えば図 3 のようになる。

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1 次元の棒を積み上げていったと考える。長さ x のものを足し算していくと考えると、高校で習ういわゆる積分になる。積分の言葉では、

 

    ∫ x dx ~ x2 / 2

 

という形の計算が現れる。1次元の x を積分すると、2分の x の2乗。[ ÷ 2 ] が現れる。

 

 今度は体積。三角っぽい形の立体、すなわち錐体では、板を積み上げていった。板の面積は(縦)×(横)で、次元としては2 次元、x かける x で x2。これを積み上げていくと、足し算することだから積分で書いて

 

     ∫ x2 dx ~ x3 / 3

 

と [ ÷3]が現れる。

 

 三角形の面積を計算するときに、(底辺(の長さ))×(高さ)÷2となったところの2は、平面の次元、「2」が現れているというわけだ。三角形っぽい錐体の体積は、体積だから 3 次元的で、(底面積)×(高さ)÷3となって、3 次元の「3」で割っている。ということは、4 次元空間で三角っぽい立体を考えると、この立体の「超体積」は、(底体積)×(高さ)÷4と、4 次元の「4」で割ることになる。

 

 三角形の面積の公式も、なかなか奥が深い。

 

 

 

35.小学生の算数から考える

 小学6年生の算数の問題集を子供がしていたとき、面白い問題がちらっと見えた。ちょっと改竄して、大人向けに、こんな感じ。

 

 「三角形があって、各頂点から半径( aとしよう)が等しい扇型を描く。3つの扇型を合わせた面積はいくらか(図1(a))」

 

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 三角形の内角の和は180 度。半径の等しい円弧を 3 つまとめると、図1(b) のように、円の半分になるはずだ。だって、それぞれの角を足すと180 度になるのだから。だから面積は

 

   (半径)×(半径)×3.14 ÷2 = π a/ 2

 

となる。小学生の問題だから、半径が具体的に 1 ㎝ とか書かれていて、かつ円周率は3.14。しかし、三角形の角度は書いてないので、三角形の内角の和が 180 度であることに気づかないと解けない。なかなか、うまい問題を作るなぁと思った。

 三角形と言えば、円を書いて、円の直径(ACとしよう)を 1 辺とし、円周上にA、C以外の点Bをとって三角形ABCを作ると、これは直角三角形になる(図2(a))。角ABCが直角。

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 証明は簡単で、円の中心Oと、点Bを結ぶ補助線を引けばよい(図2(b))。長さOAとOBは、ともに円の半径だから等しい。ということで、三角形OABは二等辺三角形だ。だから、底角OABとOBAは等しい。

 

    角OAB =角OBA ・・・(1)

 

同様にして、長さOCとOBはともに円の半径だから等しい。よって三角形OBCも二等辺三角形。だから、底角OBCとOCBは等しい。

 

    角OCB = 角OBC ・・・(2)

 

(1)と(2)の辺々足すと

 

   角OAB + 角OCB = 角OBA + 角OBC

 

右辺は角ABCのことだ。だから

 

   角OAB + 角OCB = 角ABC ・・・(3)

 

また辺々足すと、右辺と左辺を入れ替えておくと

 

   2×角ABC = 2×(角OAB + 角OCB)

          = (角OAB + 角OCB) + 角ABC

 

となる。右辺の 1 行目から 2 行目へは、1つの(角OAB + 角OCB)を、(3)を使って角ABCとした。でも、右辺 2 行目は三角形ABCの内角の和を表しているから180 度、2直角だ。だから

 

    2×角ABC = 2直角

 

こうして、角ABCは直角、つまり三角形ABCは直角三角形であることがわかった。

 

 これは、「タレスの定理」というらしい。タレスと言えば、紀元前600年前後のギリシャの哲学者にして、記録に残る最初の哲学者。だいたい哲学の授業はタレスから始まる。

 

 始まると言えば、医学はおそらくヒポクラテスから始まるのだろう。ヒポクラテスは紀元前400年前後頃のギリシャの医学者で、迷信やら呪術やらから医術を独立させた。中でも有名なのは「ヒポクラテスの誓い」であろう。医術者の倫理を述べている。Wikipediaから引用させてもらう。

『 医の神アポロンアスクレーピオスヒギエイアパナケイア、及び全ての神々よ。私自身の能力と判断に従って、この誓約を守ることを誓う。

  • この医術を教えてくれた師を実の親のように敬い、自らの財産を分け与えて、必要ある時には助ける。
  • 師の子孫を自身の兄弟のように見て、彼らが学ばんとすれば報酬なしにこの術を教える。
  • 著作講義その他あらゆる方法で、医術の知識を師や自らの息子、また、医の規則に則って誓約で結ばれている弟子達に分かち与え、それ以外の誰にも与えない。
  • 自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。
  • 依頼されても人を殺すを与えない。
  • 同様に婦人を流産させる道具を与えない。
  • 生涯を純粋神聖を貫き、医術を行う。
  • どんな家を訪れる時もそこの自由人奴隷の相違を問わず、不正を犯すことなく、医術を行う。
  • 医に関するか否かに関わらず、他人の生活についての秘密を遵守する。

この誓いを守り続ける限り、私は人生と医術とを享受し、全ての人から尊敬されるであろう! しかし、万が一、この誓いを破る時、私はその反対の運命を賜るだろう。』

 

 医術と言えば、息子がけがをしたとき、骨折だといけないので近所のスポーツ診療みたいな外科に行ったら、結構うんちくを垂れられたことがある。治療法など、あぁだこぅだとあったが、印象に残ったのは地域の診療所なので、地域の人たちのために在りたい、地域の人たちのために貢献したい、と熱っぽく語っていたことだ。結局骨折もしてなくて、固定もせずにシップみたいなもので治した。今度はサッカーをしていて地面を蹴ってまた、その診療所に行った。前より軽い症状であったが、また来るようにと言われ、前より軽いのになんでそんなに来ないといけないのかの説明がなく、うんちくもたれられず、結局、行かせなかった。だってすぐに治ったんだもの。今度は水泳をしていて、一つのレーンで対向の子とすれ違った時に接触して、足を痛めた。練習が終わってコーチから事情を聴いて、痛がっていたので病院に行くことにした。しかし、練習が終わったのは 7 時半ころで、もうどこの病院も閉まっている。かなり痛がっていたので今度こそ骨折かと思い、その時間に診てくれそうな近くの病院を思い浮かべた。くだんの診療所を思い出した。地域の人のために貢献したいと熱っぽく語っていた医師の言葉を思い出し、すがる気持ちで電話をした。きっとあの医師なら、診療所が閉まってからそんなに時間もたってないので、地域の子供のために診てくれる。

 

 はずだった。

 

 「何時だと思っているんですか。もう診察は終わった時間です!!」とすごい剣幕で言われて電話を切られた。

 

 なにが地域の人のために貢献したい、だ。

 

 医は算術とはよく言ったもので、耳触りの良い格好良い綺麗ごとはしゃぁしゃぁと言うけれど、時間内での金儲けを考えているとしか思えない。

 

 でもまぁ、医者がすべて悪い人というわけではなく、次に電話した病院は、「院長が学会関係の集まりで出かけているので、帰ってきたら診てもらえるように連絡しておくから、とにかく来るように」と言われ、至急赴いた。しばらくすると院長が確かに病院に帰ってきて、息子以外に当然患者は居ないので、すぐに診てもらえた。骨折かもしれないということで、すでにレントゲン技師は帰宅した後だったが、院長自らレントゲンをとって、幸い骨折ではないという診断を貰い、でも痛がっているので固定しておきましょうと言って、これも技師さんが帰っているので自ら固定してくれたことを、付しておこう。

 

 話があらぬ方向へそれた。幾何学の問題だった。前回、三平方の定理を見た。今回、直角三角形が出てきた。そこで、こんな問題が考えられる。先ほど作ったように、円の直径を一辺にもち、円周上に別の頂点を持つ直角三角形ABCを考え、直角を挟む2辺をそれぞれ直径とする半円を三角形の外側に描く(図3)。このとき、色を付した月形が 2 つできるが、その面積の和は、直角三角形ABCの面積に等しい。

 

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 三平方の定理を習った中学生にピッタリの問題。辺ABの長さを a、BCの長さをb、ACの長さを c としておこう。色を付した2つの月形の面積は、辺ABを直径とする半円(半円ABとしよう)の面積と、BCを直径とする半円(半円BCとしよう)の面積と、直角三角形ABCの面積を足したものから、直径をACとする余分な半円(半円ABCとしよう)の面積を引いたものであることが、図を睨んでいるとわかる。

 

    (2つの月形の面積を足したもの)

    =(半円ABの面積)+(半円BCの面積)+(三角形ABCの面積)

      -(半円ABCの面積)

 

円の面積は(半径)×(半径)×(円周率π)、直角三角形の面積は(底辺)×(高さ)÷2だから、長さを睨んで

 

    (2つの月形の面積を足したもの)

    =[(a/2)×(a/2)×π/2]+[(b/2)×(b/2)×π/2]+[a×b / 2]

     -[(c/2)×(c/2)×π/2]

    =( a2 + b2 - c2 )×π / 8 + [a×b / 2]   ・・・(4)

 

となる。共通の因子 π/8 でくくった。ところが、タレスの定理で三角形ABCは直角三角形だから、三平方の定理から、

 

    a2 + b2 = c2

 

がなりたつ。(4)の右辺の第1項、( a2 + b2 - c2 ) × π / 8は、三平方の定理のおかげで零になる。こうして、

 

    (2つの月形の面積を足したもの)= [a×b / 2]

                    = (三角形ABCの面積)

 

が言えた。中学生にうってつけの問題だ。

 

 長い話だったが、最後の定理は「ヒポクラテスの定理」と呼ばれる。ヒポクラテスの誓いのヒポクラテス、ではない。

 

34.三平方の定理と次元解析

 フェルマーの最終定理

 

  n を3以上の自然数とするとき、xn + yn = zn を満たす整数解x、y、zは存在しない

 

と言えた。逆に言うと、n=2 のときには、

    

    x2 + y2 = z2

 

をみたす自然数の組 (x, y, z) は存在するということだ。たとえば、x=3、y=4、z=5。辺の長さが3対4対5の三角形を作ると、それは直角三角形になることを、古代エジプトの人は知っていたそうだ。

 

 整数に限らず、直角三角形の直角を挟む2辺の長さをそれぞれ a、b とし、直角に向かい合う辺(斜辺)の長さを c とすると

 

   a2 + b2 = c2 ・・・(1)

 

が成り立つ。3つの2乗、すなわち平方の間に成り立つこの直角三角形の辺の長さの間の関係は三平方の定理と呼ばれている。もちろん、直角三角形に対して成り立つ関係なので、a、b、c は自然数でなくてもよい。そればかりか、直角を挟む2辺の長さが1のときには、斜辺の長さc は

 

   12 + 12 = c2 、 つまり c2 = 2

 

だから、2乗して2になる数、ルート2で、1.41421356・・・と、分数であらわされない無理数が現れる。

 

 さて、三平方の定理の証明であるが、実にいろいろなバージョンがある。日本では和算家の関孝和の著作にも表れているが、証明は「見よ」みたいな感じで、図が書かれているのみらしい。実物見たことないけど。

         f:id:uchu_kenbutsu:20160201142509j:plain

 幾何学的な証明は、例えば図1の通り。①の直角三角形に着目する。長さ c の斜辺を1辺とする正方形㊥を作る。そうすると②、③、④のように①と同じ形で大きさの直角三角形を配置すると、1辺 a+b の正方形ができる。では面積を考える。1辺 a+b の正方形の面積は、(a+b)×(a+b)。これは、1辺 c の正方形の面積と、考えている直角三角形4つの面積を足したものに等しいことがわかる。三角形の面積は、底辺×高さ÷2だから、

 

    (a+b)×(a+b) = c×c + (a×b÷2)×4 ・・・(2)

 

という式が成り立つ。(2)の左辺は

 

    (a+b)×(a+b) =a2 + 2ab + b2 ・・・(3)

 

(2)の右辺は

 

    c×c + (a×b÷2)×4 = c2 +2ab ・・・(4)

 

(2)から(3)と(4)が等しいので、両辺共通の 2ab を引き算して

 

    a2 + b2 = c2 ・・・(1)

 

が成り立つ。

 

 ちょっとおしゃれなお気に入りの証明法がある。そもそも直角三角形は「直角」という一つの条件が付いているので、うまい量をあと2つ決めれば形と大きさが決まってしまう。たとえば、斜辺の長さと一つの角度を決めてしまえば形と大きさが決まる。図2のように直角を挟んで直線を引いておいて、斜辺の長さの線分を用意し、その斜辺は角度θで一つの辺とつながるとすれば、直角を挟む直線にぴたりとはまるように斜辺を持っていけばよい。そうすると、直角三角形はただ一つに決まる。つまり斜辺の長さ(c としよう)と、直角以外の一つの角度 ( θ としよう) を持ってくれば、直角三角形の形と大きさは一意に決まる。角度は2つあるので、常に45度以下の方を取ることにしよう。

        f:id:uchu_kenbutsu:20160201142729j:plain

 

 では、面積はどのように、c と θ で決まるのだろうか。面積は長さの2乗の次元、平方メートルとか、を持っている。角度 θ は「度」または「ラジアン」だから、θ をどのようにいじくり倒しても、どんなに料理しても、長さの2乗なんて出てこない。だから、直角三角形の面積は、長さ c に頼らないといけない。長さの次元を持っているのは、今のところ c だけだから。面積は長さの2乗だから、c2 に比例するはずだ。比例定数は、三角形の形、つまり θ に依存しているだろう。どんなふうに依存しているか知らなくてもよいので、関数 f (θ) としておこう。そうすると、直角三角形の面積S は

 

    S = c2 × f (θ)  ・・・(5)

 

となっているはずだ。関数 f は c に依存してはいけない。依存していたら、 S 自身が長さの2乗の次元にならず、長さの3乗(たとえば f = c×θ のときとか)やら4乗(たとえば f = c×θ のときとか)やら1乗(たとえば f = θ÷ c のときとか)やらになってしまうだろう。

       f:id:uchu_kenbutsu:20160201143123j:plain

 そこで、今度は考えている直角三角形を、さらに2つの、形の等しい(相似な)直角三角形に分割する。図3 のように、三角形 OAB を三角形 COB と三角形 CAO に分けた。3つの三角形は相似なので、45度より小さい角はすべて θ だ。そこで、三角形OABの面積は、三角形 COB と三角形 CAO の面積を足したものだから、図3と(5)をよく見て、どこが直角三角形の斜辺か見極めて

 

    三角形OABの面積 = c2 ×f (θ)

             = 三角形 COB の面積 + 三角形 CAB の面積

             = b2 × f (θ) + a2 × f (θ)

 

となることがわかる。共通の因子 f (θ) を割り算してしまえば、

 

    c2 = a2 + b2

 

が得られる。右辺と左辺がひっくり返ったが、おんなじこと。

 

 物理では、こういった考え方、方法を、次元解析と呼ぶ。面積の「次元」は長さの 2乗。長さの 2 乗になるには、ここに現れてくる長さの次元を持つ唯一の量、c を 2 乗するしかない。だから、三角形の面積は斜辺の長さの 2 乗に比例するべきである。こんな風に考えると、三平方の定理も、物理学的に(?)証明できてしまう。

 

33. ケプラーと夜明け

 太陽が出ている昼と、出ていない夜の長さが同じになるのは春分の日秋分の日。だんだん暖かくなる春分を1年の始まりにしていた民族は多そうだ。ローマ時代に遡る今の暦でも春 3 月が 1 月だった。それが証拠に「7 番目の月」で「septem(ラテン語の “7”)」なのに、今は 9 月。後も同様で、「octo(ラテン語の “8”)」「novem(ラテン語の “9”)」「decem(ラテン語の “10”)」がそれぞれ 10、11、12 月。ややこしい。3月が 1 月だった証だ。2 か月名前がずれてしまっている。

 太陽が出ている時間が一年で一番短くなるのが冬至冬至を過ぎれば日は長くなるので、太陽が復活したと考える流派(?)もある。ミトラ教の主神は太陽神。太陽神ミトラは冬至の日から 3 日後に復活するそうだ。冬至は大体 12 月 22 日頃。3 日後と言えば12 月 25 日。イエスの生誕日ではないか。イエス・キリストは、生まれた当時はキリスト教徒ではなく(当たり前だ)ユダヤ教徒の家に生まれたので、誕生後 8 日目にユダヤ教の割礼という儀式を行う。12 月 25 日を第 1 日目と数えると、ちょうど 1 月 1 日。おそらくそのようにして、現在の年始が定まったのだろうと想像できる。

 冬至を過ぎると徐々に日は長くなる。なのに朝、起きられない。冬至を過ぎたからと言って、夜明けの時刻がすぐに日一日と早くなるわけではない。逆に暫くは遅くなっている。朝起きられない(言い)わけである。

 

 話は 400 年遡る。神聖ローマ帝国にいたヨハネス・ケプラーは、デンマークのティコ・ブラーエが神聖ローマ帝国に追放されてやって来た後に弟子入りし、ティコの惑星に関する観測データから、3 つの観測事実を明らかにした。現在は、ケプラーの三法則として知られている。その内、1609 年に発表されたのが、第 1、第 2 法則。「すべての惑星は太陽の位置を一つの焦点とする楕円軌道を描く」という第 1 法則と、「惑星と太陽を結ぶ線分が、惑星の運行とともに単位時間に掃いていく面積は一定である」という、別名、面積速度一定の法則と呼ばれる第2法則。太陽が楕円の焦点にあるので、太陽の周りをまわる地球は太陽に近づいたり遠ざかったりする。

 

 北半球では、地球が太陽に近いときが冬。遠いときが夏。太陽に近いから暑いのではない。地軸が傾いているから、太陽光線を低い位置から受けるようになった時が冬。ケプラーの第 2 法則を、少し極端に書くと図1のような感じ。太陽に近いときには、単位の時間に地球が動く距離は大きくなる(NからN’)。逆に遠いときには遅くなる(FからF’)。図では扇型 SNN' の面積と SFF' の面積が等しくなるように動いていく。だから、太陽に近い冬の方が、地球が太陽を回る速さが早い。

 

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 地球は自転もしている。1 日は 24 時間であるが、これは太陽の中心が子午線(経度線)を通過する南中から次の南中までの時間の、1 年にわたる平均である。しかし、公転を考えずに、地球が真に 1 回転するのに要する時間は 23 時間 56 分 4 秒ほど。図 2 のように地球に棒を立てたら、太陽に近いところでは地球が 1 回転しても、まだ南中には間がある。もう少し回らないといけない。逆に、太陽から遠いところでは、あと少しだけ余分に回れば南中する。これを平均したのが平均太陽日で、24 時間。つまり、同じ方角(今は真南)に太陽を見るまでには、太陽に近い頃、北半球でいえば冬には結構余分に地球が回らないと(自転しないと)いけないので、いつもより時間がかかるというわけだ。逆に、夏には余分に回るぶんは少なくて済む。地球が 1 自転、23 時間 56 分 4 秒してから、平均 4 分ほど回らないと、太陽は同じ位置(例えば南中)に見えないということだ。図からわかるように、これはあくまでも「平均」。

 

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 今はわかりやすく、真南に太陽が来る南中で考えたが、夜明けの太陽の位置でも同じ。前の日に見た夜明けの位置に、今日も太陽を見ようと思ったら、冬の方が夏より余分に自転しないといけないので、それだけ余分に時間が必要となる。

 

 地球が太陽に一番近くなるのは 1 月の初めころ。だから冬至を過ぎてしばらくは、地球が太陽を回る速さはスピードアップしている。ということは、冬至を過ぎても夜明けの太陽をいつものように同じ水平線に見る時間は、昨日より余分に地球は回転しないといけないので、遅れる。だから、冬至を過ぎても、しばらくは夜明け時刻は遅くなっていくというわけだ。

 

 どうりで眠い。

 

 

32.ソフィー・ジェルマン

 最近の若者は「やばい」という言葉を肯定的にも使うようだ。昔は、「やばい」といえば、まずいなぁ、とか、ひでぇなぁ、とか否定的な意味でしか使わなかったのに、近頃は、すごいなぁ、といった感じで使われている。言葉は変化する。最近、あまり耳にしなくなったが、一昔前、自分が若いころには、最近の若い者の日本語は乱れている、なんてことをよく聞いた。しかし、言葉は変化する。日本語が乱れてきたという人は、「新しい(あたらしい)」なんぞという「乱れた言葉」を使わずに、いつもきちんと「あらたしい」と言っているか、聞いてみたいものだ。

 

 いっとき、「ら抜き言葉」が糾弾されていた。例えば、「見ることができる」という意味の「見られる」のかわりに、「ら」を抜いて、「見れる」という。よくできた変化だと思う。「見られる」だと、「受け身」と「可能」の両方の可能性があるが、らを抜くことで、明白に「可能」の用法であることを印象づけている。日本語が乱れたとは思えない。進化している。

 

 ちょっと違うが、少し似ているものとして、中学生の時、一瞬だけ「言語の脱落現象」に興味が引かれたことがある。「わたくし(watakushi)」が「わたし(watashi)」になったり、「あたし(atashi)」になったり、「わし(washi)」になったり、「あたい(atai)」になったり。母音や子音が脱落していく。どうしてなのか、そのメカニズムと経年変化が知りたかったのだが、ほかにもたくさん知りたいことがあって、調べないまま勉強しないまま知らないままに、20世紀が終わってしまい、21世紀に入って6分の1近く過ぎた。

 

 21世紀に生まれた息子が、2016の数字の話に少し興味を持ったのか、「2003は何かある?」と聞いてきた。忘れないように、少し記しておこう。

 

2003年は21世紀最初の素数年であった。その前は1999年。2003は素数

 

終わり。これだけだと少し寂しいので、数論の話を少し。

 

有名なのは、フェルマーの最終定理。1995年に解決したが、

 

    xn + yn = zn  を満たす整数解 x、y、z は、n が 3 以上の整数の場合には

    存在しない

 

というやつ。n = 2 のときはピタゴラスの定理に従う数であればよいが、n が3以上では突然存在しなくなる。問題設定が理解しやすいので取り組んでみるものの、フェルマーが余白に書き記して以来、なかなか難攻不落であった。

 n = 3 と 4 のときには確かにフェルマーの予想が正しいと証明されていた18世紀の終わりころ、フランスのラグランジュの教える学生の一人、ルブラン君の提出レポートが、あるとき突然目を引くほど良くなった。じつは、ソフィー・ジェルマンという女性が、ルブラン君に成りすましていたらしい。当時はパリ理工科大学に女性の入学資格が無かった。今だと成りすまし、替え玉でレポートを書いた咎で、ルブラン君の当該学期の授業科目はすべて零点なんぞというペナルティを課されたりするおバカな時代であるが、今、講義している解析力学でばんばん名前の出てくるラグランジュは、ちと違った。ルブラン君自身はどうなったのかは知らない。が、ソフィーは女性であって、当時正式に学問のできなかった時代、ラグランジュは正当に彼女の業績を評価し、ソフィーの助言者になっている。彼女はガウスにも手紙を書いて数学上の文通をしたりもするようになった。ルブランが実は女性だと知った後も、ガウスも正当に評価して研究を続けたり、ラグランジュは自身の論文の謝辞に彼女の名前を入れたりしているので、当時としてはラグランジュガウスも先進的な人物だったのだろう。女性は学位が取れない時代だったが、名誉博士号をあげようとした矢先、彼女は亡くなってしまう。ソフィー・ジェルマンは物理学では弾性体の研究をしていた。数学では、ソフィー・ジェルマンの定理が知られている。

 

    p を素数とし、2p + 1 もまた素数であるとき、xp + yp = zp を満たす整数解

    x、y、z が存在するとき、x、y、zのいずれかは p で割り切れる

 

というもの。フェルマーの定理の証明に向けて、n = 3、4、5・・・とひとつづつ攻める

のではなく、一般的な n について考えようという初めての試みであった。

 

 p が素数で、その2倍に1を足したもの(2p + 1)もまた素数であるような数 p は、

ソフィー・ジェルマン素数と呼ばれるようになった。

 

 息子よ。2003はソフィー・ジェルマン素数なのであるぞ(4007も素数)。

 

 ソフィー・ジェルマン素数が何故興味深いか。ソフィー・ジェルマン素数が無限にあ

るのか無いのか、いまだ知られていないのだ。これだから数論は面白い。面白いが、相当数学ができないと近づいてはいけない。

 

と、私が大学生の時には巷間で囁かれていた。凡人が近づいても、何の成果も出せずに一生を棒に振るという。

 

 端的に言って、数論は、やばい。