現在日本では太陽の運行を基にした太陽暦が使われている。良く知られているように、江戸時代以前では、月の運行を基にして暦を決め、ただし太陽の動きで決まる実際の季節とずれるので閏月を入れて調節する太陰太陽暦が用いられてきた。旧暦と呼びならわされているやつだ。平年では 1 年はおよそ 354 日。日本はおそらく中国の暦を真似ていただろうから、中国式では 19 年に 7 回閏月を入れる。赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのは、12 月14 日の夜。前日の雪が積もっている中、晴れていたというから、満月に近い月が出ていたはずだ。旧暦は月の動きに合わせて日にちが振られているから、15日は十五夜の満月。だから、その前日は満月に近いとすぐわかる。
それが、太陽暦に改暦されたのは明治五年。太政官布告で、「朕(ちん)思フニ・・・」で始まるので、読み下せないが、全文を引用しておこう。
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明治五年太政官布告第三百三十七号(改暦ノ布告)
(明治五年十一月九日太政官布告第三百三十七号)
今般改暦ノ儀別紙 詔書ノ通被 仰出候条此旨相達候事
(別紙)
詔書写
朕惟フニ我邦通行ノ暦タル太陰ノ朔望ヲ以テ月ヲ立テ太陽ノ躔度ニ合ス故ニ二三年間必ス閏月ヲ置カサルヲ得ス置閏ノ前後時ニ季候ノ早晩アリ終ニ推歩ノ差ヲ生スルニ至ル殊ニ中下段ニ掲ル所ノ如キハ率子妄誕無稽ニ属シ人知ノ開達ヲ妨ルモノ少シトセス盖シ太陽暦ハ太陽ノ躔度ニ従テ月ヲ立ツ日子多少ノ異アリト雖モ季候早晩ノ変ナク四歳毎ニ一日ノ閏ヲ置キ七千年ノ後僅ニ一日ノ差ヲ生スルニ過キス之ヲ太陰暦ニ比スレハ最モ精密ニシテ其便不便モ固リ論ヲ俟タサルナリ依テ自今旧暦ヲ廃シ太陽暦ヲ用ヒ天下永世之ヲ遵行セシメン百官有司其レ斯旨ヲ体セヨ
明治五年壬申十一月九日
一 今般太陰暦ヲ廃シ太陽暦御頒行相成候ニ付来ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事
但新暦鏤板出来次第頒布候事
一 一ケ年三百六十五日十二ケ月ニ分チ四年毎ニ一日ノ閏ヲ置候事
一 時刻ノ儀是迄昼夜長短ニ随ヒ十二時ニ相分チ候処今後改テ時辰儀時刻昼夜平分二十四時ニ定メ子刻ヨリ午刻迄ヲ十二時ニ分チ午前幾時ト称シ午刻ヨリ子刻迄ヲ十二時ニ分チ午後幾時ト称候事
一 時鐘ノ儀来ル一月一日ヨリ右時刻ニ可改事
但是迄時辰儀時刻ヲ何字ト唱来候処以後何時ト可称事
一 諸祭典等旧暦月日ヲ新暦月日ニ相当シ施行可致事
一月 大 三十一日 其一日 即旧暦壬申 十二月三日
二月 小 二十八日 閏年二十九日 其一日 同 癸酉 正 月四日
三月 大 三十一日 其一日 同 二 月三日
四月 小 三十日 其一日 同 三 月五日
五月 大 三十一日 其一日 同 四 月五日
六月 小 三十日 其一日 同 五 月七日
七月 大 三十一日 其一日 同 六 月七日
八月 大 三十一日 其一日 同 閏六月九日
九月 小 三十日 其一日 同 七 月十日
十月 大 三十一日 其一日 同 八 月十日
十一月小 三十日 其一日 同 九月十二日
十二月大 三十一日 其一日 同 十月十二日
大小毎年替ルコトナシ 時刻表
午前 零時 即午後十二時 子刻 一時 子半刻 二時 丑刻
三時 丑半刻
四時 寅刻 五時 寅半刻 六時 卯刻 七時 卯半刻
八時 辰刻 九時 辰半刻 十時 巳刻 十一時 巳半刻
十二時 午刻
午後 一時 午半刻 二時 未刻 三時 未半刻 四時 申刻
五時 申半刻 六時 酉刻 七時 酉半刻 八時 戌刻
九時 戌半刻 十時 亥刻 十一時 亥半刻 十二時 子刻
右之通被定候事
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改暦の理由として、陰暦では「太陰ノ朔望ヲ以テ月ヲ立テ太陽ノ躔度ニ合ス故ニ二三年間必ス閏月ヲ置カサルヲ得ス置閏ノ前後時ニ季候ノ早晩アリ」とあるので、月の朔望(満ち欠け)で月を決めて、太陽の躔度(てんど)、つまり太陽の動く度合いに合わすために 2、3 年に一度、閏月を置かないといけない、閏月を措く(置閏(ちじゅん))前後には気候の早い遅いが生じるということが書かれている。また、「盖シ太陽暦ハ太陽ノ躔度ニ従テ月ヲ立ツ日子多少ノ異アリト雖モ季候早晩ノ変ナク四歳毎ニ一日ノ閏ヲ置キ・・・」。考えてみるに太陽暦は太陽の動く度合いいに従って月を定める。日に多少のずれはあるものの、気候のずれは無く、4 年に 1 日の閏日を置くと言っている。また、布告の日付、「明治五年壬申十一月九日」の後に、「一(ひとつ)」というのが五つ続いているが、その 2 番目は 4 年に一度閏年を置いて、1 年 366 日にすることが記されている。3 番目と 4 番目は、「子(ね)の刻」とか読んでいた時刻を現代式に改める改正であり、5 番目に大の月と小の月の日数が規定されている。
天文観測から 1 年は 365.2422 日となることがわかっているので、ほぼ 365.25 日と思っておけば当たらずと言えども遠からずだ。だから、端数の 0.25 が 4 回来ると1(日)になるので 4 年に 1 回閏年を入れて 1 年 366 日にして余った 1 日を吸収して、暦を太陽の動きに合わせている。
だけど、0.25 と実際の端数 0.2422 はやっぱり違うので、だんだんずれてくる。太政官布告では「・・・七千年ノ後僅ニ一日ノ差ヲ生スルニ過キス・・・」とあるが、これはちょっと正しいかわからない。
この太陽暦、ローマのユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が定めたのでユリウス暦と呼ばれるが、西暦 325 年のニケア宗教会議の頃に 3 月 21 日が春分の日であったのが、1570 年頃には 3 月 11 日頃が春分になっていたそうだ。1570-325 年分、実際の 1 年 365.2422 日と、閏年を入れる平均の 1 年 365.25 日のずれ、365.25-365.2422=0.0078日が 1 年ごとにたまってきて、
( 1570-325 ) 年 × 0.0078 日 / 年 = 9.7 日
これだけ暦と太陽の動きがずれたということだ。ほぼ 10 日だから、春分の日の動き、3月 11 日と 3 月 21 日のずれ 10 日が説明できる。
7000 年だと、
7000 × 0.0078 = 546 日
1 年以上ずれるのだがなぁ。
明治 5 年の改暦では、太陰太陽暦から太陽暦への改暦が行われたが、4 年に一度、どの年を閏年とするかが定められていない。また、ユリウス暦では 128 年で 1 日狂ってくる。128 年 × 0.0078 日 / 年 = 0.9984 日だから。そこで、グレゴリウス暦に改暦する。グレゴリウス暦は、西暦年で数えて 4 の倍数の時は閏年とするが、4 の倍数でも 100 の倍数の時には閏年としない。ただし、4の倍数かつ100の倍数でも、さらに400で割れるときには閏年にする。要するに、400年で3回閏年を減らすことになる。そうすると、
365.25 日 / 年 - 3 日 / 400 年 = 365.2425 日 / 年
と計算できて、400 年平均で 1 日 365.2425 日となり、実際の 365.2422 日に極めて近くなる。
17 年前の西暦 2000 年は、4 で割れるので閏年のはずが、100 でも割れるので平年に戻すところ、400 でも割れるのでやっぱり閏年ね、という、400 年に 1 度の珍しい年なのであった。
日本ではグレゴリウス暦へは、「改暦」というのではなくて、「閏年に関する件」として勅令で明治 31 年に定められて現在まで続いている。さすが法治国家だ。しかし、キリスト紀元の「西暦」を用いないところが面白い。あくまでも、神武天皇が即位したと言われる年を紀元とする皇紀が用いられている。
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(明治三十一年五月十一日勅令第九十号)
神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス
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皇紀で数えて 4 で割れると閏年としている。ここまでは良いとして、閏年をやめる際には皇紀から 660 を引いてから考えるように指示がある。皇紀と西暦は 660 年の差があるからだ。660 を引いてから、4 で割り切れても 100 で割り切れるものは平年とすると書いてあり、さらに「更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス」の但し書きがあるので、400 で割れると平年としないと言っているに等しい。皇紀の根拠法は、明治 5 年11 月 15 日の太政官布告 342 号の様だ。
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今般太陽暦御頒行 神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト被定候ニ付其旨ヲ被為告候為メ来ル廿五日御祭典被執行候事
但當日被者参朝可憚事
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法的根拠はあるが、なかなかに複雑。
元号は明治 22 年 2 月 11 日に定められた(旧)皇室典範第 12 条で、「踐祚ノ後元號ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ從フ」とあったが、戦後の皇室典範の改正でこの条文が無くなったそうだ。だから、しばらくは「昭和」の元号の法的根拠がなかったということだが、それではいけないということで、昭和 54 年 6 月 12 日に元号法が定められ、現在に至っている。
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(昭和五十四年六月十二日法律第四十三号)
1 元号は、政令で定める。
附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。
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皇紀で言えば、今年は皇紀 2017 +660 = 2677 年。
やっぱり、素数だ。