80.シュテファン・ボルツマンの法則に従って、暑い
第62回の備忘では、人が座っているだけで熱を発生しており、「代謝率」なるものを引っ張て来て、おおよそ一人当たり100 W、1秒間に100 Jのエネルギーを熱として放出していることを見た。
今回は、代謝率という生理学的な知識を使わず、物理学だけで再度検討して見る。
なんせ、学部改組でカリキュラムの再編成をして始まった講義が、2年目の今回も170名を超える受講生となってしまったので、100 W × 170ということで、17 kW の発熱があるので、暑い。熱い。
梅雨が明けて日焼けした男の子たちは半そで半ズボンでやってくるので、彼らを黒体と近似してしまおう。黒体放射のエネルギー密度は、すでに第 12 回で計算した。プランク分布だ。
U = (8πν2) / c3 × hν / (e(hν/ k T) -1) ・・・・(1)
ここで、h = 6.6×10-34 Js はプランク定数、ν [1/s] は放射される光の振動数、c =3.0×108 m/s は光の速さ、T [K] は絶対温度、k = 1.38×10-23 J / K は「ボルツマン定数」と呼ばれる数。第 9 回でも見た式だ。
学生さんは体表面から熱放射しているので、放射のエネルギー密度(1)式を、表面の単位面積、かつ単位時間当たりに放射するエネルギーに書き換えておかないといけない。
図のように、面積 dS から放射されるエネルギーを考えよう。放射が図の z 軸から角
θ 傾いた方向へ向かうとしよう。dt [s] の時間に放射される電磁波は速さ c の光速で進むので、c × dt だけ進んでいる。時刻 dt までに放射されたエネルギーは、図の傾いた円柱の中にある。円柱の高さは図のように、( c×dt ) × cos θ になっていることがわかるので、傾いた円柱の体積は
円柱の体積= dS × ( c × dt × cosθ )
となる。体積は(底面積)×(高さ)だ。放射されたエネルギーはこの体積中にある。黒体から放射される単位体積当たりのエネルギーが(1)のエネルギー密度 U だったので、円柱内のエネルギーは
円柱の体積×エネルギー密度=( dS× c×dt ×cosθ ) × U ・・・(2)
だ。
放射は全方向に出ているので、考えている方向、図ではz軸から角 θ、x 軸から角 φに向かう方向への放射は、半径を r とすると、球表面の四角形 ABCD の面積分だ。ABの長さは図から r × dθ、ADの長さはやはり図から r × sinθ × dφ と読み取れるので、ABCD へやってくる放射は、全球に対して
( ( r× dθ ) × ( r × sinθ × dφ ) ) / ( 4πr2 )・・・(3)
だけあることになる。分母の 4 π r2 はもちろん球の表面積。この全表面積の一部のABCDの面積分を考えているので、この比率がかかる。
こうして、z軸から角 θ、x 軸から角 φ に向かう方向への放射は(2)と(3)から
U × c × dS × dt × cosθ × ( sinθ × dθ × dφ / (4π) )
となった。
面積 dS から全方向に放射されるエネルギーは、すべての空間へ放射されるので、図で角度 θ は 0 から π、角度 φ は 0 から 2π まで動くことを考えて、すべて足し合わせて、つまり積分して
U × c × dS × dt / ( 4π) × ∫ cosθ sinθ dθ ∫ dφ ・・・(4)
となるが、0 から 2π まで積分する ∫ dφ は 2π を与え、0 から π まで積分する
∫ cosθ sinθ dθ は 1/2 を与える。こうして、(4)は
( c / 4 ) × U × dS × dt
となる。面積 dS と時間 dt が出てきたので、単位面積、単位時間当たりの放射に直すと、dS と dt で割っておいて、
I = ( c / 4 ) × U ・・・(5)
という式が得られる。ここで、I は単位面積、単位時間あたりに黒体から放射されるエネルギーであり、放射発散度という名前がついている。ごちゃごちゃ計算したが、エネルギー密度 U を c 倍して 4 で割った単純な式になった。
そうしたら、単位時間あたり、単位面積から放射される全エネルギー P を計算して見よう。すべての振動数 ν の電磁波が出ているのだから、(5)式をすべての振動数 ν について、0 から無限大まで足して(積分して)
P=∫ I dν = ( c / 4 ) ∫ U dν = (2πh / c2 ) ∫ ν3 / ( e(hν/ k T) -1 ) dν
を計算すればよいことになる。hν / kT = x と置換しておくと、上の式は
P = ( 2πk4 T4 / (c2 h3 )) × ∫ x3 / ( ex -1 ) dx
となっていしまい、0 から無限大までの最後の積分 ∫ x3 / ( ex -1 ) dx は、π4 / 15 を与えることが知られているので、結局
P = 2 π5 k4 T4 / ( 15 c2 h3 )
= σT4 ・・・(6)
ここで、σ = 2 π5 k4 / ( 15 c2 h3 ) = 5.67×10-8 W / m2
となる。放射は絶対温度 T の 4 乗に比例する。これは「シュテファン・ボルツマンの法則」と呼ばれている。最後のσの数値は、ボルツマン定数 k、光速 c、プランク定数 h のそれぞれの物理定数の値を代入して求めた。
さぁ、いよいよ学生さんからの放射を考えてみよう。62 回では人の表面積を計算して見て、170 cm、60 kg の人だとだいたい表面積が 1.69 m2 として、代謝率を考えて計算して見た。(6)のように、単位面積当たり黒体は放射 P をすることがわかったので、P に体表面積 1.69 m2 を掛ければよい。若い学生さんの体温は高そうなので、37 oC としてみよう。絶対温度で 310 K だ。そうすると
σT体温4 × (表面積) = 5.67 × 10-8 × 3104 × 1.69
だけ放射している。
ただし、黒体は周りからの熱も、もれなく吸収するので、学生さんが体表面から吸収する熱放射分を考慮しなくてはいけない。室温が 27 oC としてみよう。絶対温度で 300 K だ。そうすると
σT室温4 × (表面積) = 5.67 × 10-8 × 3004 × 1.69
分だけ吸収する。こうして、両者の差し引きが実質的に学生さん一人から単位時間に放射されるエネルギーだ。こうして、
σT体温4 × (表面積) -σT室温4 × (表面積)
=σ ×(表面積)× (T体温4 - T室温4 )
= 5.67 × 10-8 × 1.69 × ( 3104 - 3004 )
= 108.779 W
およそ 109 W でだいたい一人当たり 100 W。1秒間に 100 J のエネルギーを熱として放出している。
生理学の代謝率を用いた計算とほぼ同じ結果が得られた。
どっちにしても、暑い。熱い。
79.魚は頭から腐る
大学でもインターンシップなるものが導入され、年月が経ってきた。結局のところ職場体験のことではあるが、もともとは産学連携のためにアメリカ合衆国で行われてきた制度だ。
何でもかんでもアメリカに倣え、最近の風潮。
日本では、バブル景気でイケイケどんどんであまり良く考えずに就職した学生が、就職先企業とマッチしていなくて早期離職が増加したバブル崩壊後の1997年に、「インターンシップの推進に当たっての基本的考え方」なるものが当時の文部・通商産業・労働の三省合同で出され、「高等教育における創造的人材育成の一環」という名目でインターンシップが推進されだした。「学生が在学中に自らの専攻、将来のキャリアに関連した就業体験を行うこと」と定義され、以後、高等教育機関である大学や大学院でもインターンシップが正規の単位として認められるようになってきている。2013年の政府の「日本再興戦略」ではインターンシップに参加する学生数の目標設定をするようにとの提言もなされている。ニート対策の色も濃い様な印象だ。
学生は2週間から、長いと1か月にわたり企業や公共団体等でインターンシップを行ってくる。しかし、よく話を聞くと、体よい「無償労働力の提供」ではないか、と思われることもあるので、要注意だ。また、それってバイトで良くない?的なものも見受けられる。レストランでの皿洗いとか、ガソリンスタンドでの給油とか。最近はかなりの率で学生はアルバイトをしないと生活できないので、インターンシップで就業体験しなくても、賃金を受けて体験している。2週間にわたって自分のバイトができなくなるわけで、どうかしているようにも思える。
こうした「キャリア教育」が、初等中等教育にも入り込んできて、「中学校職場体験」などというものまで公立の学校では9割方行われているようだ。文部科学省によると、「生徒が事業所などの職場で働くことを通じて、職業や仕事の実際について体験したり、働く人々と接したりする学習活動」と規定されており、職場体験が求められる背景として、「望ましい労働観、職業観を育む体験活動等の不足」が挙げられている。また、職場体験を通して、「直接働く人と接することにより、また実際的な知識や技能・技術に触れることを通して、学ぶことの意義や働くことの意義を理解し(云々)」とあり、さらに「主体的に進路を選択決定する態度や意思、意欲などを培うことのできる教育活動」なのだそうだ。ゴタクは立派。
最近は「座学」が軽視される傾向を感じている。これまで行われてきた教室や運動場での「授業」のことだ。これに対して、「グループ学習」や「体験学習」が強調されてきており、これらを座学に対して「実学」と称しているようだ。どこもかしこも「実学」重視。
もともと「実学」なんて、福沢諭吉が「学問のすすめ」で言った言葉だ。『もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。たとえば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合いの仕方、算盤(そろばん)の稽古、天秤の取り扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条ははなはだ多し』。実学として基本的な読み書き計算を挙げているが、続いて『窮理学とは天地万物の性質を見て、その働きを知る学問なり』とあって、窮理学を「実学」の一つとして挙げている。何が体験学習だ。教室で講義・実験・演習で学ぶ『窮理学』は、福沢諭吉に言わせれば『人間普通日用に近き実学』であるのだ。明治時代に『窮理学』という呼称が与えられていた学問分野は、現在『物理学』と呼ばれている。
「窮理」といえば物理のことであるが、ついでに、良質で、物理屋から評価の高い雑誌「窮理」を紹介しておこう。創刊は2015年で、年3回ほどの不定期刊。窮理舎が発行しているが、発行者・編集者であるI氏は、ちょっと誇らしいのでここは強調しておくが私の研究室の出身者であり、まぁ大抵、卒業・修了生は勝手に育っていってくれているのではあるのでこう言ったら語弊だらけだが、物理学での私の最大の功績が、研究室からの良き人材の輩出なのだ。I氏は飛び抜けている方のお一人だ。彼は大学院修了後、科学誌を出版している出版社に就職し、その後独立して窮理舎を設立された。もちろん、インターンシップなんぞ行っておられない。
話をもとに戻そう。体験学習、「職場体験」の話だ。「望ましい勤労観、職業観を身に付けることができる」とあるが、基本的には働く側、労働者側に立場を置いた「体験」だ。そうであるならば、労働基本権、いわゆる労働三権、「団結権」「団体交渉権」「争議権(団体行動権)」くらいは教えてから「体験」をさせているのだろうか。それと、「パワーハラスメント」対策も、労働者としては必須だ。経営側からハラスメントを受ける可能性は無きにしも非ずなので、「こういうことはハラスメント(嫌がらせ)に当たる」と、事前対策を講じる必要性は無いのだろうか。ブラック企業という言葉も作られた時代だ。
こんなことがあった。
国の方針で大学予算が削りに削られ、大学執行部が苦肉の策で、「8月は授業が無いのだから、8月分の給与は教員に支払わない」という案を出してきたことがあった。大学教員は授業だけしている訳ではなく、当然研究もしているし、入試業務などなど、多岐にわたる業務も行っている。8月なんて大学院入試の準備・実施もしているわけだ。また授業が無い期間は集中して研究を行っている。執行部も何を言い出すのかと思い、常勤なのに1か月分給与を払わないということが可能なのかどうか、すぐに法律を当たってみた。自然科学を研究している身であるので、人が作った法律なんてもともとあんまり興味はなかったが。そういえば中学校の時に、威張り腐った男性英語教師が「お前は弁護士になれ」とか、ほざいたことがあり、その理由が「金が儲かるから」だったので唖然としたが、そのわけの分からぬくだらなさに一層軽蔑感を募らせたのではあったが、公立の学校というのはそういう間抜けたことを平気で言って威張っているくだらん奴の存在も含めて社会の縮図みたいなところがあるのでそれはそれで結構良いので評価していて、全校教職員が一丸となって学校の教育方針に向かってまっしぐら、というのはちょっと怖いわけで、適度にけったいなのも入れてあるのが良いようで、「あぁは、成らんでおこう」と思えるし、というか、人の作った法律には中学の頃から興味がなかったことを言おうとしているのが、あまりにぐだぐだになった。
大きな権力を持って政権を担っている政治家や高級官僚が嘘つきのクズばかりだと困るが。
1.賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。
(以下略)
2.賃金は、毎月一回以上、一定の期日を定めて支払わなければならない。
(以下略)
とある。「賃金支払いの五原則」と呼ばれているそうで(厚生労働省ホームページ)、すなわち(1)通貨で、(2)直接労働者に、(3)全額を、(4)毎月1回以上、(5)一定の期日を定めて支払わなければならないと規定されている。
ということで、かつて大学執行部が提案した、「8月は給与無しよね」は、賃金支払いの大原則、(4)毎月一回以上支払わなければならない、に明らかに抵触するので、法律違反というわけだ。次の会議で、といっても私が参加する会議は大学執行部の関与しない下の下の会議ではあるが、賃金支払いの五原則に抵触するので執行部に撤回を求めるようにしてくださいと発言しようと手ぐすね引いて待ち構えていたら、あっさり案は引っ込められていて、折角調べたのに出番がなくなってしまった。そりゃそうだろう、大学には有能な事務の方が多く居るので、当然法律の知識も豊富だ。どうやら当時の学長か理事の誰かが事務方と相談せずに案を出したというのが本当の所だったのだろう。かつて我々労働者は法律に守られていた。働かせ方改悪されるまでは。
法律を作る連中が嘘つきのクズばかりだと困るが。
こんなこともあった。
就職活動をしていたある学生さんが、或る企業の最終面接までこぎつけて、もうすぐ内定、というときに、その面接で、面接官から「何か聞いておくことはないですか」と水を向けられたときに、「御社には労働組合はありますか」と尋ねて、採用を見送られたことがあった。労働組合に敏感ということは、ブラックかもしれない。別の企業に就職できたので、ぎりぎりセーフだったのだと思う。
こんなことがあった。最近。
子供も中学生になり、「職場体験」を経験する。選んだのは某所。公共性は高いが民間。直接指導して頂いた方や、業務内容の概ねには満足していたようなので、そこのところは措いておく。
しかし、職場体験の受け入れ先で体験する中学生数人が受け入れ先の説明会に赴いたところ、なかなか家に帰ってこないということがあった。中学校に戻らずに家に帰ってよいことになっていたのだが、中学校の最終下校時間どころか、夕方6時から始まる、自転車で5分ほどで行ける水泳にも間に合わない時間になった。途中で不審者に襲われていてもいけない。かなり遅れて帰ってきて、自分で家の鍵を閉めて水泳に向かったようであり、水泳に行ったことを確認したと学校の先生からも電話がかかってきたので暴漢に襲われたわけではなかったが、普段と行動が違うと心配になる。でもまぁ、1日のことだし、職場体験そのものではない「説明会」ということなので大目に見た。
しかし。
職場体験が始まっても、やはり下校時間を過ぎても帰ってこない。これは困ったと思い、学校を通すようなことでもないので夫婦で受け入れ先に直接事情を話して時間内に帰らせてもらえるように要請に行った。その日も毎日の水泳の練習もあり、県から強化選手指定もされているので練習をおろそかにすることは県民に対しても良くないだろう。
ところが。
責任者に話すのが良かろうと思い、経営者に、「5分ほどなので少しお願いが」と言ったとたん、「今、決算で忙しい」とのたまう。5月に決算?と思ったが。でもまぁ、話しを聞いてくれるようなので、中学の通常の下校時間には終わらせて家に帰すようにして欲しいと要請したところ、「時間に帰らないといけないのだったら、本人がその時に言えばいいではないか」という。体験しに来ている側であり、また、まだ義務教育中の中学生なのだから言い出しにくいではないかと申し上げるも、そんなことが言えないでどうする、と言う。これだと、まさに、“相手がはっきり断らなかったのでOKだと思った”と言って言い逃れるハラスメントの構図じゃないか。パワーハラスメント、権力を笠に着た嫌がらせの典型だ。あげく、終りの時間が決まっているなら中学校がこちらに言うべきだと、子供や学校の責任にする。「はい、わかりました。何時までなら大丈夫ですか」とは決して言わない。説明会の時は帰りがもっと遅かったので困ったが、明日、明後日はせめて下校時間には帰すように要望するも、「説明会のときも、時間は大丈夫か生徒に聞いた。こちらの親切で長時間説明した」のだそうだ。社会人なら時間内に説明を終えるように努めるだろう。信頼関係も構築していない初日に子供が経営者に向かって言えるわけがないだろ、と厳しめに言うと、「あなた、怒っていますね」ときた。
当たり前だ。
ここまでの対応をする経営者も今どき珍しい。他者からの意見や要望を聞くという態度の見られないトップが支配する「職場」と思えた。そういえば、最初に言った言葉が、ご用件は何でしょうかではなく、今決算で忙しい、だったことを思い出す。
そこの「職場」と私たち夫婦とは今後は金銭的な関係が無いことが明白なので、我々の顔がお金には見えなかったのだろう。見えてたら、もう少し対応が違ったように思える。あぁ、金にしか興味が無いのか。中学生の職場体験が教育の一環であることすら理解できていない。これで、「地域貢献に励んでいます」とか宣伝するんだろうなぁ。
結局、血圧が上がっただけに終わり、子供に、労働者には「争議権」があるんだから、団結してストライキを打って良いという話をして、明日から「職場」に行くのを拒否しろ、と言ったが、理不尽な物言いのする経営者ではあるが、下で働く人たちと一緒に行う業務は楽しいようなので、その後2日間、併せて3日間の職場体験を終えた。
「生徒が事業所などの職場で働くことを通じて、職業や仕事の実際について体験し」て、「働くことの意義を理解」するのではなかったのか。「生徒が事業所などの職場で働くことを通じて、職業や仕事の実際は、経営者の方針に従って意見も言わずに与えられた仕事を定時で終わらず帰宅してよろしいと言われるまで残業して(無償で)行うことを理解」することだったのだろうか。「残業」をするのは時間内に業務がこなせない「無能な労働者」のすることなので、「残業代」と称する「補助金」を支払う必要は無いと公言する者もいる。なんか、つじつまが合うような。
「職場体験」は資本主義のもとでの企業の経営のように、経済の論理で社会を動かすことを当たり前と捉えさせる教育ではあるまいかと勘ぐってしまう。トップが決める「トップダウン」がもてはやされ、その結果、速やかに事が進む「スピード感」が評価される。トップが決定した事柄は「市場」が決めることなのだから、「従業員」である「民」は四の五の言わずに黙々と従えば宜しい。そういう社会を望んでいるのだろう。構成員が意見を持って、構成員から選ばれたリーダーが責任を持って行動し、常に構成員からの批判を受けながらも民主的な方法で合意形成をして物事を決めて行き、実行していくという社会は、「決められない社会体制」だと、現代日本の構成員は考えるようになったのだろうか。
そうして、『独裁体制はスピード感があっていいよね』となっていく。
英雄気取りで『独裁者』になりたがる奴らは、大抵、嘘つきのクズである。
危険な腐臭が漂っている。
78.球の表面積、再び
第60回で、球の体積が何故 4πr3 / 3 になるかという話をした。そこから球の表面積 4πr2 を求めたが、球の体積を経由せずに直接、球の表面積を求めるにはどうすればよいかという質問を受けた。
そこで、球をとても小さな高さ Δx ずつに輪切りにしていくことを考えてみる。下の左図は、球を横から見て、右上の4分の1の断面を書いたところ。球の中心はO、半径は r としておく。ある高さのところ、図では A の位置であるが、ここで、ズバッと球を切るとする。このとき、A から球の表面 B までの長さが x だったとする。三角形OAB を取り出して書いたのが、下図の右下だ。長さ r と x を書いておいた。さて、表面の点 Bで、この球に接する面を考え、大円方向の接線を引いたものが、左図にあるように半径方向に垂直に点 B を通って引かれた直線だ。A 点から高さ Δx だけ離れた点 C から、やはり球をズバッと切って表面に達した点を D としている。D からまっすぐ下に垂線を降ろして AB と交わるところが E だ。図を見てもらった方が早い。
ここでできた三角形 BED は直角三角形で、三角形 OAB と同じ形だ。正確には BD は球の表面にあるので円弧だから直線ではないが、Δx がとても小さいので、直線だと思って(近似して)三角形だと考えても差し支えない。三角形 BED と三角形 OAB が同じ形だということは次のようにして分かる。角 AOB は直角三角形の直角でない角の一つだから、角 AOB =(90度-角ABO )だ。一方、BD は点 B での接線と見なせるから、角 OBD は直角、ということで、角 EBD = ( 90度-角ABO )だ。さっきの角 AOB と右辺が同じじゃん。ということで、角 AOB = 角 EBD となる。両方とも直角三角形なんだから、残りの角の大きさも両者で同じということになる。こうして、全部の角度が同じ直角三角形同士なので、三角形 BED と三角形 OAB は同じ形だということが言えた。いわゆる相似だ。
今、球を幅 Δx ずつブッタ切ったンだから、長さ DE は Δx。ここで、長さ BD を Δr と書くと、2つの三角形が相似だということを使って
x / r = Δx / Δr
が成り立つので、
Δr = r×Δx / x ・・・(1)
が得られる。
さて、この状況を斜め上から見たのが下図だ。AB を半径とする円環を切り出してきたとすると、右図のようになっているはずだ。Δx は本当はもっともっとずっとずっと小さいので、図では B と D で大きく位置がずれているように見えるが、本当は B のほぼ真上に D がある。そこで、斜線を付けた円環の面積を考えると、円環を長方形と捉えることができるので、この“長方形”(=円環)の面積は、底辺の長さ 2πx に高さ Δr をかけたものになるはずだ。
円環の面積 = 2πx × Δr
ところで、さっき(1)式を見つけたので、上の式で(1)を使って Δr を消すと
円環の面積 = 2πx × Δr
= 2πx × ( r × Δx / x )
= 2πr × Δx ・・・(2)
が得られる。点 A を考えて、球の表面までの距離を x としたが、見事に x は消えた。だから、どこの位置でズバッと切っても、そこで考える円環の面積はいつも(2)式で共通だ。もとの球を等しい高さ Δx でブッタ切ったことにより円環が得られたので、切った円環の面積をすべて足すと球の表面積が得られるはずだ。すべての円環の面積を集めてくるので、(2)式の共通因子 2πr で括って、高さ Δx を全部足すことになる。すべての場所での Δx を足して寄せ集めてくるわけだから、結局、足し算された結果の Δx は、最初の図の左図を見ればわかるように球の直径 2r になる。こうして、球の表面積として
半径 r の球の表面積 = ぶった切った円環の面積を全部集める
= 2πr × (Δx の高さを順にすべて足す)
= 2πr × (球の直径)
= 2πr × 2r
= 4πr2
と、目出度く答えが得られる。
やっていることは、端的に言えば、積分だ。積分は、掛け算してから足し算。
77.見~っけた
大阪の下町育ちなので、子供の頃の遊びは、「だるまさんがころんだ」というような上品な10文字を数えて遊ぶのではなく、遊びの内容は全く同じではあるが、「坊さん(ぼんさん)が屁(へ)をこいた」であった。続けて10文字10音節、「匂うたら(におうたら)臭かった(くさかった)」。
今はどうか知らない。
昭和40年代の戦後の高度経済成長期、光化学スモッグで小学校の朝礼台に赤旗が立つと校庭で遊べない毎日が続く、学生運動が終焉しつつあった頃のことだ。浅間山荘に打ち込まれる鉄球の映像を覚えている。
小学生時代は遊びまくっていた。路地で「缶けり」も良くやった。当時は必ずどこかに空き缶が転がっていたので、それを拾って来て遊ぶ。鬼が一人で、それ以外の誰かが缶を蹴っ飛ばして、鬼が拾って来て所定の位置に空き缶を設置するまでの間に鬼以外は隠れる。鬼は隠れた子を探し出しては、空き缶に戻り、
「誰それ君、見~っけた、ペコポン」
と言って、空き缶の上部を踏む。そうすると捕まえられたことになる。誰かが、鬼の居ぬまに空き缶を蹴っ飛ばすと、つかまっていた捕虜は解放されて、また隠れる。
独特のイントネーションで言う、あの「ペコポン」は何かのおまじないなのだろうか、ただの、空き缶を踏んだ時の擬音だったのだろうか。それを言い終わらないうちに誰かが空き缶を蹴とばすと、捕虜は解放された。
大学に入ると、友人達は各地域から集まってきていたので、子供の頃の遊びがそれぞれの地方で異なり、また同じ遊びも呼び方が全然違ったりして、遊びの話で盛り上がったりしていた。一地方にしか暮らしていないやつらが多かったので、みんなで感心していた。「ペコポン」はやはり大阪特有のようであった。
大学時代。今は昔のことだ。
そう、まだ日本には大学で物理学の研究をする時間があった頃、四半世紀以上前のこと。私が大学院生の時代。多分、博士課程1年のとき。
(1+1) 次元ソリトンの半古典論を考えていた。(1+1) の 1 は空間が1次元ということで、残りの1は時間の1次元。‘‘ソリトン”とか‘‘半古典論”とかは、ここでの話にはどうでも良い。まぁ、おまじない、「ペコポン」みたいに思っておいて頂いて結構です。
ソリトンの周りのボソン励起の波動関数の完全系を作り、熱核展開という方法でエネルギーへの寄与を見てみた。“展開”をしている際に、つじつまが合うためには、ある級数の和が、まぁまぁ簡単になるべきであることがわかった。ということで、本来、数学の領域である「無限級数の公式」を、物理学を使って一つ‘‘発見”した気になった。こんな式だ。
Σ∞n=1(2n-2)!! x2n+1 / (2n+1)!! = x - (1-x2)1/2 arcsin x
ここで、N!! というのは、2度ビックリしたのではなく、N×(N-2)×・・・×2または1と、2つおきに掛けていく記号。Σ∞n=1 はnについて1から順に、n=1,2,3、4・・・と無限(∞)に足しなさいという記号。arcsin x は、三角関数の正弦関数、 sin x の逆関数。
ここまで何を言ってるんだか。
まぁ、無限級数の「数学公式」を、「物理学」を使って発見できたと思って喜んでいた大学院生がいたと想像してください。
早速、公式集を紐解いてみた。「数学公式」と言えば、古来から「岩波 数学公式集」全3巻だ。手持ちは1990年発行第5刷。公式集の第 II 巻、「級数 フーリエ解析」で調べた。きっと正しい式を導けたんだろうと思って確認する。探して探して、 148ページにそれらしい式を見つけた。こんなのだ(2 分の 1 乗は、ルート(√)で書かれている)。
(1-x2)1/2 arcsin x = x - Σ∞n=1(2n-2)!! x2n+1 / ((2n+1)!! n)
ん?! 右辺と左辺が多少ひっくり返っているのは良いとして、右辺の級数の和の中の分母に n が入っていて、私の式と違うぞ? 血の気が引くというのはこういうことだ。物理学をやっていて、必要な数学の式を導いて、得られた物理的な結果がうまくいったつもりになっていたが、計算の途中で、どっかで間違えたか・・・。はたまた、根本的に考え方に問題があったのか・・・。計算間違いなら修正できるのだが・・・。むにゃむにゃ・・・。
いったん、へこんでから、しばらくして、またもう一度、公式集をひっくり返す。今度は同じ公式集の59ページに、似た級数の式を見つけた。
Σ∞n=1(2n-2)!! x2n+1 / (2n+1)!! = x - (1-x2)1/2 arcsin x
おや? 私が導いた式そのものではないか! ということは、148ページの式と 59ページの式のどちらかにミスタイプがある、ということだ。とにもかくにも、タイプミスを見つけてしまった。もちろん私は59ページに軍配を上げた。
いやぁ、こんなかっちりした、しかも定評のある数学公式集にすらタイプミスもあるもんだなぁ、と、変に感心したことを覚えている。もう、新しい版では直っているんだろうなぁ。いつか確認してみようと思いながら、未だ確認せずの状態が続いている。
無限級数と言えば、大学生で誰しも驚く(に違いない)
1+2+3+4+・・・ = -1/ 12
というのがある。左辺は発散していくのに、しかも正の数しか足さないのに、マイナス12分の1になる。インドの天才、ラジャラマンが、この式を使って何か数式を得て、イギリスのある数学者に手紙を送ったら、「君は発散級数というものをわかっていない」とたちどころに却下されたそうだ。現在は、リーマンのゼータ関数を解析接続するということで、上の式の正しさは保証されているが、ここでは、おまじないにならないように、厳密ではないけれども初等的に見ておこう。
1.まずは、
S = 1 - x + x2 - x3 + x4 - ・・・
という式を考える。この両辺に x を掛けると
x S = x - x2 + x3 - x4 + ・・・
となるので、辺々足し算すると
( 1 + x )S = 1
なので、上の級数 S は
S = 1 / (1 + x )
と求まる。
2.次に、
T = 1 - 2x + 3x2 - 4x3 + 5x4 - ・・・
という式を考える。この両辺に x を掛けると
x T = x - 2x2 + 3x3 - 4x4 - ・・・
となるので、辺々足し算すると
( 1 + x )T = 1 - x + x2 - x3 + x4 - ・・・
= S
となるので、上の級数 T は、S の結果を使って
T = S / (1 + x ) = 1 / ( 1 + x )2
と求まる.
3.こうして、
T = 1 / ( 1 + x )2 = 1 - 2x + 3x2 - 4x3 + 5x4 - ・・・
となることがわかったので、両辺に、x = 1 を代入して見る(数学科の諸君、ここは少し目をつぶっておくれ)。そうすると
1 / ( 1 + 1 ) 2 = 1 / 4
= 1 - 2 + 3 - 4 + 5 - ・・・ (*)
となる。プラスとマイナスが交代で現れる右辺の級数の値は4分の1だ。
4.今度は、欲しい式
R = 1 + 2 + 3 + 4 + 5 + 6 + ・・・
を考える。両辺4倍すると
4R = 4 + 8 + 12 + ・・・
となるので、辺々引き算する。そうすると
R - 4R = 1 - 2 + 3 - 4 + 5 - 6 + ・・・
となるではないか。左辺は-3R で、右辺はさっき3.でやった、T に x=1を代入した(*)式なので、4分の1だ。こうして、
-3R = 1 / 4
よって、
R = 1 + 2 + 3 + 4 + 5 + 6 + ・・・
= - 1 / 12
が得られる。(おしまい)
こういう級数は、物理学の弦理論にも現れる。ボソン弦と呼ばれるものが矛盾なく定式化されるためには時空間の次元が26次元である、ということを主張する際に用いられているようだ。
76.アイドルになりたい
新学期が始まった。大学も新入生であふれかえる春爛漫だ。
今もそう変わりはないが、私が大学に入りたての頃は、一人暮らしを始めたばかりの経験の浅い、経験値の低い新入生を狙って、とにもかくにも様々な勧誘がやってきたものだ。新興宗教、ねずみ講、おとなしい系の左翼から過激派まで、百花繚乱、春、真っ盛りであった。
今も昔もそう変わらずひねくれていたから、そういう類には引っかからなかった。浪人を経験している友人の猛者たちは、逆に勧誘してくる先輩(?)大学生を手玉に取って、からかっている連中もいた。そこは理学部だったので、新興宗教の人に除霊してもらってから、科学的に徹底的に反撃するとか。
たち悪いぞ。
様々な勧誘活動があるのだろうが、一応都会に住んではいたものの、幼いころから「アイドルになりませんか」というスカウトだけは一度も経験したことは無い。
なぜだ?
だから、スカウトされて芸能界入りしましたとかいう話を聞くと、え~ぇ、うそぉ、と思ってしまうのは、ひがみ根性なのだろうか。
子供の頃といえば、やたらと心拍数が多く、1分間で80回ほど脈を打っていた。引き続き半世紀以上を生きてきて、数年前から猛烈な頭痛がすることが多く、気分もあまり良くない日があったので、行きつけのスポーツ施設、もとい、そこのお風呂が目当てなのであるが、そこにある血圧計で血圧を測ってみたら、かなり高かった。ほぼ毎日測るも落ち着かず、とうとう上が 200 mmHg を超えた。下の血圧も高血圧と診断される上の血圧を超えていたので、簡易血圧計を買って家でも測るようにした。心拍数も出るのだが、いつのまにか1分間で 100 前後が通常になっていた。
職場の或るキャンパスで教員が2人倒れ、長期休養されているという話になった折、血圧の話になった。最近200を超えますよ、という話をしたら、居合わせた学部長先生から、まずは病院に行け、自分が行っているところを紹介する、今倒れられたら困る、ということで、挙句、学部長命令だ、と仰られたので、翌日紹介された医院へ行く。
各種検査をされて、まぁ、色々あったのだが、とりあえず脳内出血で倒れますかねぇ、と医師に聞くと、心配するな、血圧の高さと心拍数からみると脳内出血起こす前に心筋梗塞で死ぬ、と言われた。
わんさか薬を出したりしない先生で、信頼できそうであった。でもどれくらいの割合で死ぬのだろうか。まぁ、確実に人は有限の寿命を持つので、確率 1 ではあるが。
薬学・脳科学研究者の池谷裕二さんの著書を読んでいたら参考になる記述があった。直接の引用はやめるが、以下のようなことである。
1万人に1人感染する病気があったとする。感染するとおそらく死ぬので怖い。ところが、信頼性99%という検査薬が開発された。この病気に感染していたら99%の信頼性で陽性反応が出る薬だ。そこで検査してみる。なんと、「陽性」が出てしまった。99%感染していて近々死ぬのだろうか。
その本には解説が書いてある。こういうことだ。
- 出てくる数字を簡単にするために、100万人の集団を考えてみよう。1万人に1人感染するのだから、100万の人がいたら100人感染しているはずだ。
- 感染している100人に検査薬で検査すると、99%の信頼度なので、99人に「陽性」反応が出るはずだ。
- 感染していない99万9900人は「陰性」のはずだが、検査薬は1%は外れるので、逆に1%の確率で間違って「陽性」と出るはずだ。人数にして、99万9900人×1%=9999人は間違って「陽性」とでてしまう。
- 100万人いたら、検査薬で「陽性」とでるのは、本当に感染している99人と、間違って「陽性」と出てしまった非感染者9999人、併せて1万98人だ。ということは、検査薬で「陽性」と出ても、本当に感染している確率は、
99 / 10098 = 0.0098 ≒ 1%
と、約1%だ。だから、99%の信頼度の検査で「感染している(陽性)」とでても
本当に感染しているのは1%の確率だ。
- ということで、「陽性」がでても「99%」の確率で感染しているわけではない。良く計算しないといけない。
ということで、今の話を応用すると、高血圧・心拍数過多で、仮に1万人に1人の割合で心筋梗塞で1年以内に死ぬとしても、また信頼できる医者の先生であって信頼度99%で予言できているとしても、実際に死ぬかどうかは1%の確率だ。
気にしないでおこう。
ちょっとこれを応用してみよう。まぁ、私には関係のない、仮りの話だ
街を歩いていると、芸能事務所のスカウトマンと称する人に、君、アイドルになれるよ、事務所に来てアイドルにならない? と声を掛けられる。僕は凄腕のスカウトマンだから99% の信頼度でアイドルになれるか判定できるんだよ、ハッハッハ、1% はハズレルけどね、とノタマウ。アイドルになれるのは1万人に一人としよう。スカウトマンの信頼度がたとえ本当に99% だとしても、池谷さんの著書の計算と同じ計算で、アイドルになれる確率は1% 未満だ。
実際には99%の信頼度のスカウトマンなんていないだろうから、声を掛けられてアイドルになれる確率はもっと低いだろう。
アイドルになりたい。
おいしい話には要注意だ。
高血圧・高心拍数・高血糖値の三高なんだがなぁ。
75.さくら
2018年の桜、正確にはソメイヨシノではあるが、開花一番乗りは我らが High Intelligence 県であった。気象庁の係の人が、お城にある標準木を午前にチェックに行ったがまだ基準に達していなくて、午後にまた行ったがまだ駄目で、もう一度、午後 4 時半ころに行ったら基準通り 6 輪の花が咲いていて、めでたく開花宣言となったようだ。
古来から日本人は桜で狂騒していたようだが、最近は競争まで始まっている。
世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし
を引くまでもない。
桜は何故に狂おしいのだろう。坂口安吾の『桜の森の満開の下』。ちょっと、いやかなりおどろおどろしい話ではある。幻想的という言葉では片づけられないと思うのだが。
桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。・・・
花の咲かない頃はよろしいのですが、花の季節になると、旅人はみんな森の
花の下で気が変になりました。・・・
桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分かりません。
おどろおどろしいところは、すべてカット。
梶井基次郎の『桜の樹の下には』に、「秘密」は暴かれているのではあるまいか。
桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くな
んて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二
三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が
埋まっている。これは信じていいことだ。
梶井基次郎と言えば『檸檬』と反射で出てくる。京都で下宿していたときは寺町通りを下っていき、果物屋を覗いてから丸善に行ったものだ。『桜の樹の下には』を初めて読んだのは高校生だったと思う。
一人、下宿をして通った大学ではすでに物理学に嵌っていたが、というか、物理の勉強をするために(だけ?)大学に行ったわけではあるが、中学生の時には、かの有名な物理学者のアインシュタインの名前すら知らなかったわけで、フランケンシュタインの友人くらいの認識だったんだから、人生不思議なものだ。中学生、2年生の頃だった。1年生で同級だったギター部のW君に、ギターの「手ほどき」をまさに受けて、いっぱしのギター少年になったつもりになっていた。W 君の家で二人でギターを合わせていたが、とは言っても、私は一方的に上手くならず、中二の間にしてもらった手ほどきで、やっと F のコードを押さえれらるようになったくらいで、B は難しいなぁ、というレベルだった。
最近、全く偶然に『さくらしめじ』という高校生(2018年現在)のフォークデュオの存在を知った。桜の季節なので、すっかり花の「さくら」と、きのこの「しめじ」を合わせた名前だと思っていたが、「サクラシメジ」という食用のキノコがあるそうだ。それはさておき、この二人のギターが実によく合っていて、しかもレベルが高い。彼らの中学 3 年生なりたての頃のビデオを見る機会があったが、いやぁ、参った、上手い。その上、上手くハモっている。二人の生演奏を聴いてみたいものだ。二人が弾き語る『ぎふと』なんか、中学生の息子がいる親にはたまらない(それは私だ)。中学校のクラス合唱とかで歌われたら親達は泣くだろうなぁ。とにもかくにも、40 年前にはギター少年のつもりだったが、とんでもなかったということが判明した。
頭の中流れてる メロディに乗り飛び込むよ パラレル世界へと
彼らの『スタートダッシュ』という曲に、こんな一節がある。パラレル・ワールド(世界)というのはSF(サイエンス・フィクション、Science fiction)ではよく出てくるのだろうが、最近亡くなったホーキングが唱えていた無からの宇宙創成が本当なら物理的にあり得る。量子力学のトンネル効果というものを考えるのだが、もし本当なら今でも無から宇宙ができているかもしれない。その宇宙が私たちの宇宙同様に膨張をしていけば、私達の宇宙と無関係なパラレル世界が実現する。
別に、桜の季節に狂おしいことを書いているわけではなく、唯一の宇宙、universe ではなく、たくさんの宇宙ということで、multiverse と呼ばれている。日本の佐藤勝彦さん達がきちんと論文にしておられる。ただし、私たちと別の宇宙は、存在したとしても私たちの宇宙からは完全に分離されているので、行けない。
ちなみに、佐藤勝彦先生を誘って数人で、high intelligence cityの飲み屋で、一緒に飲んだことがある。どうでもいいか。
パラレル世界、というのではないが、空想世界の物理法則を与えて、大学生に万有引力の法則などを考えさせたことがある。ニュートンの運動法則では、物体の慣性質量をm、物体の加速度をa、物体に働く力をFとすると
m a = F
という「運動法則」が成り立つ。ここで、「慣性質量」とわざわざ書いた量は、「物体の動き難さ」を表す量だ。これが大きいと、同じ大きさの力 F を加えても、得る加速度a は小さくなるので、物体の運動は変化しにくい。静止していたとすれば、「動かしにくい」というわけだ。
一方、2つの物体に働く「万有引力」の法則は、物体の「重力質量」をそれぞれ
mG、MG とし、2物体間の距離を r とすると、比例定数をGと書いて、お互いが受ける力の大きさ F は
F = G mG MG / r2
と表される。ここで、わざわざ「重力質量」と書いたのは、この「質量」は「万有引力」という力を発生させるための量であることを強調しているためである。力を産みだす物理量である「重力質量」と、物体の動き難さを表す物理量である「慣性質量」は、本来全く無関係なはずだ。たとえば、電気の力だと、2 つの物体の電気量、「電荷」と呼ぶが、これをそれぞれ q、Q と書くと 2 物体に働く電気の力は
F = k q Q / r2
となる。k は比例定数だ。このとき、電荷 q と慣性質量 m が同じものだと主張する学生には未だ会ったことは無い。
ところが。
重力(万有引力)に限って、「重力質量」と「慣性質量」の比が、あらゆる物体で同じなのである。そこで、比例係数を1にとって、「慣性質量」と「重力質量」は同じだと思い、単に「質量」と言っている。
慣性質量と重力質量がすべての物体で等しいという事実が重大であるということに気づき、「等価原理」として自然法則の基礎原理に置いて重力の理論、一般相対性理論を作ったのが、アインシュタインである。フランケンシュタインではない。
今は一般相対性理論の話ではなく、空想世界を考えるのであった。考えさせた問題は、こんな感じ。
重力質量と慣性質量が正の量で一致している(普通の)物体と、重力質量は正の量なのだが、慣性質量が負の値を持つ(空想の)物体があり、ニュートンの「運動法則」と「万有引力の法則」がそのまま成り立っていると、世界はどうなるだろうか。
入試問題では無いので、漠然とした設問で考えてもらった。
普通の物体同士は万有引力で引き付けあい、運動法則から、やっぱり近づく。これは良い。慣性質量が負の物体同士は、万有引力で引っ張り合うように思うが、慣性質量が負なので、運動法則から、通常の物体とは反対方向に加速され、結果的にお互い離れていく。通常の物体と慣性質量が負の物体は、通常の物体は相手に引き付けられて追いかけるが、慣性質量が負の物体は受ける力と反対方向に加速されるので、通常の物体から逃げていく。
結果的に、おそらく、通常物体は自分たちの万有引力で集まってきて、一方、慣性質量が負の仮想物体はお互い同士も、慣性質量が正の通常物体とも反発するので、通常物体が球状に集まったとすると、その外側へ球殻のように分布、あるいは拡散していくだろう。
実は、大学の時に物理学志望の友人たちと遊び半分で、こんな問題やなんやらを色々設定して、どうなるんだろうねぇと、頭の中でパラレル世界に飛び込んで、しばしば考えていたりしていた。
学生の「解答」のなかに、こんなものがあった。適当に改変して、主張を明確にして記しておこう。
慣性質量が正の物体と負の物体を考え、両者の慣性質量の絶対値を等しいとしてみる。そうすると、慣性質量が正の物体はもう一方の物体へ加速度をもって動いていき、慣性質量が負の物体は、相手から同じ加速度を持って離れていく(これは先ほどの議論と同じで正しい)。ということは、この2物体間の距離 r が保たれたまま 2 物体が加速するので、物体の位置エネルギー
U = - G mG MG / r
は r が一定で変わらないのに、運動エネルギー
T = mv2 / 2 × 2
(最後の×2は 物体が2つということ)は、加速されて物体の速さ v が大きくなっていくので増えていくことになる。これはエネルギーの保存法則と矛盾するから、問題設定はあり得ない。
あっぱれだ。
ただし、負の慣性質量の運動エネルギーも、慣性質量の絶対値をとって正であるとすれば。
負の慣性質量(m負 = - |m負|= - m、(m > 0、かつ |m| は m の絶対値)の運動エネルギーが
T負= m負v2 / 2 = - m v2 / 2
であれば、さっきの運動エネルギーは「2 物体」の最後の2が落ちて
T = mv2 / 2 + m負v2 / 2 = mv2 / 2 +( - m v2 / 2) = 0
で、常に 0 なので、エネルギー保存法則に矛盾せず、慣性質量が正の物体と負の物体は分離していくだろう。
この問題の結果はパラレル世界にはならないが、たまには空想世界に遊んで見るのも頭の柔軟体操だ。
こんなことを考えていたのは大学生時代、もう30年以上前だ。
梶井基次郎を読んでいたのは高校生、40年近く前。
いっぱしのギター少年だと思っていたのは、すでに40年以上前のことだ。あぁ、恥ずかしい。
桜の話題が、とんだところに行きついてしまった。くるおしい。
ちなみに、平安末に生きた西行 (1118-1190) は満73歳で亡くなっている。
あぁ、もう20年後かぁ。
西行は旧暦2月16日に亡くなっている。旧暦 15 日が望月、満月の日だ。如月(きさらぎ)、2 月の満月の頃だ。
願はくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ
今年(2018年)の旧暦 2 月16日は、新暦の 4 月 1 日。月齢 14.9 の、満月。
(お城のお堀代わりの江ノ口川河畔。手前右側(江ノ口川左岸、川は奥から手前へ流れている)に、寺田寅彦の生家がある。2018年3月24日撮影。既に満開の桜。)
74.ひらめきと直感
薬学・脳科学研究者の池谷裕二さんの著書を読んでいたら、「ひらめき」と「直感」が区別されていた。『「ひらめき」は思いついた後に、その答えの理由を言語化でき』るということで、一方、『「直感」は、本人にも理由がわからない確信を指』すとある。なるほどなぁ、と思って読む。ひらめきで解く問題の例として、
1 2 4 ▢ 16 32
とあった時に、▢に入る数字は?というものが挙げられていた。もちろん、左の数字に順に2をかけていくという「答えの理由」が「言語化できる」ので、おそらく8だ。ひらめいた。
ここで終わるとそれまでなので、こんな問題があったのを思い出したので記しておこう。
1 2 4 8 16 ▢ 。さて、▢に入る数字は?
まぁ、ひらめいて、32だろうと思うのが義理だ。いや、人情だ。
ここで終わるとそれまでなので、円を考え、円周上に点を打っていくことを考えてみる。まずは点を2つ打ってみよう。その点を直線で結ぶと、円が2つの領域に分けられる。下の図の左上だ。次いで、もう一点打つ。そして各点を直線で結ぶと、円が4つの領域に分けられる。図の上中だ。さらにもう一点打つ。各点を直線で繋ぐと、円が8つの領域に分けられる。図の右上だ。また点を打つ。ただし、今度も各点間を直線で結ぶが、結んだ3つの直線が一点で交わらないように、新しい点を円周上にとることにする。そうすると、円は16個の領域に分けられる。図の左下だ。また、各点を結ぶ直線3本が一点で交わらないようなところの円周上に点を取る。1、2、4、8、16と来たんだから、次は32個の領域に分けられると思うのが人情だ。いや、義理か。
しかし。
円は32個の領域ではなく、31個の領域に分割される。こうして、先ほどの問題、『▢に入る数字は?』の答えは‘‘31’’となる。
3本の直線が1点で交わらないように円周上にn 個の点を打った時に分割された円の領域は
(n4 - 6 n3 + 23 n2 -18 n + 24) / 24
となるそうだ。証明は見たことないので、数学科の先生にでも聞いてみよう。自分も「数学物理学科」の一員なのではあるが・・・。代入してみると確かに n=2 で2、n=3 で4、n=4 で8、n=5 で16、n=6 で31、n=7 で57になる。
ちなみに、今度は2次元平面で、1本ずつ直線を引いて面を分割してみよう。
特に理由は無い。
0本の直線では、何もしていないので分割も何もなく、もとの図形が1つ。1本の直線では2つに分割できる。2本では4つ、直線が1点で交わらないようにして3本の直線をひくと、7つに分割できる。1、2、4、7、11と分割されていく。下の左の図。
ついでに、1次元の棒も分割しよう。
少し理由がある。
0本では1、1本では2、2本では3、3本では4つに分割できる。当たり前だ。
ここで、表を作る。棒の分割を(A),面の分割を(B)としておく。
分割する線の数 |
右図の棒の分割(A) |
左図の面の分割(B) |
0本 |
1 |
1 |
1本 |
2 |
2 |
2本 |
3 |
4 |
3本 |
4 |
7 |
4本 |
5 |
11 |
5本 |
6 |
16 |
こうすると、
(A)の0本の時の分割数 +(B)の0本の時の分割数 =(B)の1本の時の分割数
つまり、
1+1=2
となっている。以下同様に、
(A)の1本の時の分割数 +(B)の1本の時の分割数 =(B)の2本の時の分割数
2+2=4
(A)の2本の時の分割数 +(B)の2本の時の分割数 =(B)の3本の時の分割数
3+4=7
(A)の3本の時の分割数 +(B)の3本の時の分割数 =(B)の4本の時の分割数
4+7=11
(A)の4本の時の分割数 +(B)の4本の時の分割数 =(B)の5本の時の分割数
5+11=16
となることがわかる。(B)の分割の一般式は、n 本の直線を使ったときにできる分割の最大数として
1 + n(n+1) / 2
が得られる。2項係数を使うと、
nC0 + nC1 + nC2
と書ける。もちろん(A)のときは
n + 1
2項係数を使うと
nC0 + nC1
だ。だから、
(A)のn本の時の分割数 +(B)のn本の時の分割数 =(B)の(n+1)本の時の分割数
( n + 1 ) + (1 + n(n+1)/2 ) = 1 + (n+1)(n+2) / 2
となる。
今度は、立体を切っていく。3次元の立体を、2次元の平面で分割するということだ。さっきの表に、分割される最大数を載せておこう。
分割する線(本)、面(枚)の数 |
直線による面の分割(B) |
平面による立体の分割(C) |
0 |
1 |
1 |
1 |
2 |
2 |
2 |
4 |
4 |
3 |
7 |
8 |
4 |
11 |
15 |
5 |
16 |
26 |
今度もやっぱり、次元を一つ落とした側、直線による 2 次元面の分割を使って
(B)の0本の時の分割数 +(C)の0枚の時の分割数 =(C)の1枚の時の分割数
1+1=2
(B)の1本の時の分割数 +(C)の1枚の時の分割数 =(C)の2枚の時の分割数
2+2=4
(B)の2本の時の分割数 +(C)の2枚の時の分割数 =(C)の3枚の時の分割数
4+4=8
(B)の3本の時の分割数 +(C)の3枚の時の分割数 =(C)の4枚の時の分割数
7+8=15
(B)の4本の時の分割数 +(C)の4枚の時の分割数 =(C)の5枚の時の分割数
11+15=26
となっていて、棒と面の時の関係と同じだ。ここで、(C) の一般式は
( n3 + 5n + 6) / 6
となる。2項係数を知っていると、
nC0 + nC1 + nC2 + nC3
になる。こうして、
(B)のn本の時の分割数 +(C)のn枚の時の分割数 =(C)の(n+1)枚の時の分割数
(1 + n(n+1)/2 )+ ( n3 + 5n + 6) / 6 = ( (n+1)3 + 5(n+1) + 6) / 6
となる。
まぁ、2項係数の和の公式を使うのがいいんだろうなぁ。そんなの覚えてないけど。2項係数で示してしまったら代数的に話は終わるのだが、1次元の棒の分割が2次元平面の分割に顔を出し、2次元平面の分割が3次元立体の分割に顔を出すのはなぜなのだろう。異なる次元での分割を幾何学的に示せるのかなぁ。
また、数学科の先生を捕まえるか。