137.レーザー冷却

 外傷で左目が眼底出血を起こしたことがある。薬で出血を止めたのだったが、外科的な処置としてはレーザー光線を当てて、血管を焼き切って止血するそうだ。事程左様に、レーザー光は“焼き切る”という言葉通り、光のエネルギーを与えて熱するイメージがある。

 

 ところが。

 

 ある種の原子では、冷却すると「ボーズ・アインシュタイン凝縮」と呼ばれる現象が起きる。ボーズ・アインシュタイン凝縮の実験的な実現に対して、2001年にノーベル物理学賞が出ている。ボーズ・アインシュタイン凝縮を起こさせるには、原子系を極低温まで冷却しなければならない。冷却原子系を実験的に実現するための第 1 段階に、レーザー冷却という技術が用いられる。レーザー光で“熱する”のではなく、“冷却する”。これらの冷却技術の開発で、1997年にノーベル物理学賞が出ている。

 

 原子は、内部の電子状態で、原子自身の持つエネルギーが異なっている。エネルギー準位と呼ばれる。今、電子はエネルギー E0 のエネルギー準位に居て、次に高いエネルギー準位を E1 としておこう。今、電子が E0 のエネルギー準位にあり、そのとき、丁度エネルギー準位の差、E1-E0 ( = hν0) のエネルギーを持つ光がやってくると、原子は光を吸収し、電子がエネルギー準位 E1 に上がった状態になる。ここで、h はプランク定数、ν0 は光の振動数で、光のエネルギーは hν0 となる(第7回)。でも、まぁ、エネルギー準位には微小な幅があるので、ν0± Γ( Γ は小さい)程度の範囲内の振動数の光なら吸収するとしておこう。

 

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 原子の集団をどうにかして置いておいて、例えば左右から同じ振動数のレーザー光を当てる。簡単のために、x 方向一次元だけ考えておこう。そうすると、例えば右方向に運動している原子は、左右両側から光を浴びる。ところが、右方向から来る光は、原子の進行方向に向かってくるので、ドップラー効果で、原子から見ると振動数は元の光の振動数より高く感じる。一方、左から原子を追いかけてくる光は、反対に振動数を低く感じることになる。

 光源と原子の相対速度を v としよう。ここで、v > 0では原子は光源から逃げている、v < 0 では、光源に近づいていくとしよう。このとき、ドップラー効果により、振動数 νの光は ν’ となる。

 

    ν’ = ν×√( c - v ) / ( c + v ) ≒ ν×( 1 - v / c )   ( = ν± Δν)

 

となる。ここで、c は光速。

 

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 最初に原子中の電子がエネルギー準位 E0 にあったとする。そうすると、hν0 のレーザー光を照射すると、原子は光を吸収して、電子は高いエネルギー準位 E1 に上がる。ところが、原子は速さ v で動いているので、照射した光はドップラー効果を起こし、原子にしてみれば ν0 ± Δν の光と感じ、光を吸収しない。

 そこで、原子の両側から、ν0 より少し低い振動数 ν のレーザー光を当てる。原子の進行方向からやってくる光は、ドップラー効果でνより高い振動数 ν’ になり、ν0 に近づく。こうして ν0-Γ < ν’ < ν0 + Γ の範囲に入り、原子は光を吸収する。原子の進行方向と逆側から来る光は振動数が低くなり、ν0 からいっそう遠ざかるので、光は吸収されない。

 

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 光は運動量を持っているので、原子の進行方向から来る光だけを吸収するということは、運動量保存則のため、原子の速度は遅くなるというわけだ。原子の運動エネルギーの平均が温度なので、原子の速度が遅く(小さく)なり、結果、運動エネルギーは速度の 2 乗に比例するので運動エネルギーの平均は小さくなり、温度が下がるというわけだ。

 ただ、しばらくすると、原子は光を放出して、放出した光の方向次第では運動量保存則から原子が再び加速されるかもしれない。ところが、光を吸収する際には原子を減速させる方向からしか吸収しなかったが、放出する際には四方八方等確率で放出するので、平均的には速度の変化はないとみなせる。

 

 ちょっとだけ数式で見ておこう。

 

 原子中のある電子のエネルギー準位が E0 にある質量 m で速度 v で運動している原子が、振動数 νabs、波長 λabs の光を、ドップラー効果が上手く効いて、吸収できたとしよう。下付きのabs “吸収” absorption の意味。光の振動数と波長には

    

    νabs λabs= c

 

の関係がある。ここで、c は光速。

 光は進行方向を持つ。2π を波長で割った量を大きさと持ち、光の進行方向に向いたベクトルを作る。波数ベクトル k という。この時、光の運動量は、プランク定数 h を2π で割ったディラック定数を ℏ と書いて

 

    ℏk 、ここで、ℏ= h / 2π、|k |= 2π/λ

 

が光の持つ運動量。原子が光を吸収して、電子状態が E1 になり、速度が v ’ になったとすると、運動量保存則は

 

 

    mv + ℏkabs = m v’          ・・・(1)

    

エネルギー保存則から

 

    m v2 / 2 + E0 + hνabs= m v’2 / 2 + E1   ・・・(2)

 

となる。ここで、

 

    E1 -E0 = hν0            ・・・(3)

 

だった。(1)を使って(2)から v’ を消去し、(3)の関係を使うと

 

    νabs = ν0 + vkabs / 2π + ( 1 / h ) × kabs 22 / 2m  ・・・(4)

 

が得られる。ここで、vkabs はベクトル v とベクトル kabs内積

 

 

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 今度は、電子状態が E1 にある速度 v’ の原子から、振動数 νem の光が放出されて原子は E0 の電子状態に戻り、速度が v’’ になったとする。先程と同じように運動量保存則とエネルギー保存則の式を立てると

 

     mv’ = m v’’ + ℏkem         ・・・(5)

    

       m v’2 / 2 + E1 = m v’’2 / 2 + E0 + hνem  ・・・(6)

 

となる。下付きの em は放射 emission を意味している。(5)を使って(6)から v’’ を消去し、(3)の関係を使うと

 

    νem = ν0 + vkem / 2π - ( 1 / h ) × kem 22 / 2m   ・・・(7)

 

が得られる。ここで、光の吸収・放出で原子がエネルギーを貰ったり失ったりするが、原子の質量が大きいので、

 

    kabs 22 / 2m ≒ kem 22 / 2m = R       ・・・(8)

 

と近似しておこう。R は反跳エネルギーで、反跳の recoile の略。

 

 今は原子集団の温度を考えているので、沢山の原子を考え、平均を取りたい。先程書いたように、放出される光は四方八方等確率で放射するので、放射の方向はランダムで平均をとってしまうと零になるだろう。平均を <・・> で書くと、つまり

 

    < kem > = 0

 

ということ。こうして、(7)で平均をとると

 

    νem = ν0 - ( 1 / h ) × kem 22 / 2m   ・・・(9)

 

と、右辺第 2 項を落として良い。

 こうして、光のエネルギーの変化 ΔEphoton は、(4)と(9)を使って(8)の近似をとって

 

    ΔEphoton = hνem -hνabs

        = -( h / 2π) vkabs-2R  = -ℏvkabs -2R

 

このエネルギー変化は、エネルギー保存則から原子のエネルギー変化 ΔEatom で打ち消している( ΔEphoton + ΔEatom = 0 )から

 

    ΔEatom = ℏvkabs + 2R    ・・・(10)

 

となっている。この ΔEatom が負であれば、原子集団のエネルギーは減少していて、温度が下がる、すなわちレーザー光を当てて冷却できたことになる。

 初めに述べたように、光のドップラー効果を利用して、原子に進行方向から入射してくるレーザー光を吸収するように設定しているので、原子の速度 v と光の運動方向を向いた波数ベクトル kabs は逆向きなので、内積

 

    vkabs = -v kabs = -2πv / λabs    ・・・(11)

 

となる。(10)から ΔEatom < 0 なら冷却だったので、(10)、(11)から

 

      ΔEatom = ℏvkabs+ 2R = -h v / λabs + 2R < 0

 

すなわち

 

    v > 2λR / h

 

の速さの原子は v が小さくなって冷却される。

 

 これがレーザー冷却、またの名をドップラー冷却の簡単な原理だ。