138.small world
言語化するのが苦手だ。
偶然、BUMP OF CHICKEN の small world という音楽ビデオが目に入った。
最初の 1 小節に勝手に大いに共感した。
ビデオでは明らかに日本の風景が映っているのだが、何故か、フランスのミュージシャンの Jean-Jacques Goldman(ジャン・ジャック ゴールドマン)を思い出した。Jean-Jacques の音楽ビデオだ。
カメラ回しなのか、画像のフェードアウト・フェードインの手法なのか、登場人物のモチーフなのか、何が似ているから急に思い出したのかわからない。Jean-Jacques の
À nos actes manqués だったか、Quand tu danses だったか、何の音楽ビデオを連想したのかも特定できない。
なぜ Jean-Jacques を思い出したのだろうか。
言語化できない。
1998 年 7 月 8 日から 1999 年 7 月 7 日まで、夫婦 2 人でフランスのパリに滞在していた。仁科記念財団から海外派遣研究者としての援助を受けて、パリ第 6・第 7 大学、Université Paris VI (Université Pierre-et-Marie-Curie(ピエール・マリー=キュリー大学))・Université Paris VII (Université Denis Diderot(デニ=ディドロ大学))で研究生活を送っていた。キャンパスはセーヌ左岸の Jussieu にあった。今は、パリ第 6 大学は第4大学と合併してソルボンヌ大学と称していて、第7大学の方は第5大学と合併して単にパリ大学と称しているようだ。
フランス語生活なので、日本語が恋しくなったらいけないと、パリへミスチルとか、日本の音楽 C Dを持って行った。当時、J-POP という言葉はさほど広まっていなかったが、まぁ、J-POP を聞けるようにしていた。
ところが。
当時、フランスのテレビは、TF1、France 2、M6 の 3~4 局くらいしか入らなかった。ARTE が入っていたかもしれない。朝食のときには、割と M6 というテレビ局の番組を点けていた。テレビショッピングの番組やら、音楽のプロモーション・ビデオなどを流していた。
パリで生活を始めてすぐに、M6 で初めて、Jean-Jacques Goldman の音楽を聴いた。多分、「Bonne idée」が初めてだったと思う。それから、「On ira」とか「Nos mains」とか。
とっても良くって、フランスのポピュラー音楽を聴くようになった。結局パリの自宅で J-POP は一度も聞かなかった。
パリ大学では、Dominique Vautherin (ドミニク・ボートラン)という先生のもとで理論物理の研究を行っていた。
1997 年のある時、京都大学の M 先生から突然電話を貰った。M さんの記憶では、私が電話をしたことになっているようだが、そんな大教授に、当時助手、今でいう助教のペーペーがいきなり電話をするわけがない。M さんはそのころ Dominique と共同研究を行っており、その時、Dominique が私の過去の論文を知っており、それが使えるのではということで M さんに私の論文を紹介したそうだ。それで M さんが同じ日本に居る私に声をかけて共同研究しようということになった。97 年の春 1 か月、京都の M さんの下、京都大学基礎物理学研究所に研究員として滞在した。97 年の夏には、フランス、当時パリ市の南、 Île-de-France(イル=ド=フランス)にある Orsay 原子核研究所に所属していた Dominique を訪ねた。 それから、翌 1998 年からパリで共同研究すべく、渡航の準備を始めた。それで、仁科記念財団の海外派遣研究者に応募し、多くの先生方の推薦などのお力添えで選んで頂いて、無事に渡航ということになった。
2020 年代の今ではあまり考えられないような研究の仕方である。勤務する大学の本務をよそに、国内留学、海外渡航で長期間離れるなんて。
学生時代、大学での第 2 外国語はドイツ語だったので、フランス語の正規教育は受けていない。本を買って勉強して、日常生活は何とかなるようにした。ときどき、テレビを見ていて聞き取れない言葉を Dominique に聞いたりしていた。「プレザンポクトンってよく聞くけど、何?」と聞いたら、しばらく考えてから、「それは très important (トレザンポルトン(?))だろう。very important ということだ」みたいな。
1998 年、1999 年のパリ滞在で 2 編の論文を仕上げ、1999 年、2000 年付けで論文は掲載されている。
帰国後もちょくちょく Dominique のところを訪問していたが、2000 年に Dominique に病気が発覚し、2000 年 9 月にパリの自宅を訪問して再会したのが最後となった。Dominique はアイデアがあれば、計算の方向性と共にノートを付けていた。Dimanche 29 Mars 98 (1998年3月29日(日))付の A4 で 3 ページのノートのコピーを貰った。グルオンだけからなるグルーボールと呼ばれる素粒子の質量をいかにして計算するかのアイデアが書いてあった。ノートの日付から 14 年、Dominique が亡くなってから 11 年余り後、ようやく彼のアイデアを理論に載せ、2012 年に論文を完成させることができた。
フランスはかつてベトナムを植民地としていたので、ベトナム系の人やベトナム文化がパリの至る所に入っていた。大学の近くにも洒落たベトナム料理店があり、Dominique とよく行った。店内には漢字が書かれた屏風みたいなものが有り、「読めるか」と言われても、正確には判らないが、漢字だけなので、何となく意味は分かる。
Jean-Jacques Goldman は 1981 年に Taï Phong というバンドでデビューし、1981 年にソロになっている。1990 年から 95 年までは、Frederic Goldman Jones 名義で、3 人で活動し、1997 年にまたソロに戻っている。Jean-Jacques が 1987 年に最後に出したソロアルバム、「Entre gris clair et gris foncé」 以来、10 年ぶりに 1997 年にアルバム「En Passant」 を出したので、私たち夫婦がパリに着いた 1998 年にはJean-Jacques で大層盛り上がっていたようで、しきりとテレビで見聞きした。
Taï Phong とは、ベトナム語で typhoon、台風のことだ。英語の typhoon は tsunami みたいに日本語の台風から派生している言葉だと思っていた。
が、しかし。
どうやら違うようだ。ギリシャの風の神、tuphon から typhoon が来ている。
いや待て。
台風は日本では野分(のわき)と呼ばれていたはずだ。どうも中国福建省あたりで激しい風のことを「大風(タイフーン)」と呼んでいて、それがヨーロッパでは「typhoon」となり、中国や日本では「颱風」となったという説もあるようだ。日本では漢字が代用されて「台風」となっている。
いや待て。
アラビア語起源という説も有るらしい。アラビア語でぐるぐる回る意味の「tufan」がヨーロッパでは「typhoon」となり、中国では「颱風」となった。
Jean-Jacques は 2001 年に「Chanson pour les pieds」というアルバムを出した。Dominique の居ないパリへ行った時に買って帰った。Jean-Jacques は 2004 年に音楽活動から引き、2011 年には復活の噂を打ち消している。彼と彼の音楽は多くのフランス人に愛されているようで、2012 年、13 年には 2 枚のアルバム「Génération Goldman(vol.1,2)」が出され、Jean-Jacques 抜きで、多くのミュージシャンによって Jean Jacques の名曲がカバーされている。
不安定な熱の出る嵐のような病気とされる発疹チフスは typhus と綴るが、これも風の神 tuphon からきているそうだ。Typhoon もギリシャ語起源の気がしてきた。ついでに、インフルエンザは季節性であり、そのため季節ごとに近づいたり離れたりする星や惑星の動きに影響されて起きると考えられ、影響、英語の influence の語源のラテン語、influentia から採られて influenza となっている。
管理職を拝命してから、紆余曲折を経ながらすでに 9 年目に入った。特に、コロナ禍が始まった 2020 年 4 月からは学部を預かる立場となり、コロナ対策のもとで学生教育をいかに維持していくかなどで忙殺され、自身の研究生活はほとんど止まっている。
早くCovid-19、新型コロナウイルスも季節性インフルエンザ並みに収まって欲しいものだ。管理職もあと 1 年半で終わる。
そうしたら、Paris へ行こう。
Dominique VAUTHERIN (1941-2000)
137.レーザー冷却
外傷で左目が眼底出血を起こしたことがある。薬で出血を止めたのだったが、外科的な処置としてはレーザー光線を当てて、血管を焼き切って止血するそうだ。事程左様に、レーザー光は“焼き切る”という言葉通り、光のエネルギーを与えて熱するイメージがある。
ところが。
ある種の原子では、冷却すると「ボーズ・アインシュタイン凝縮」と呼ばれる現象が起きる。ボーズ・アインシュタイン凝縮の実験的な実現に対して、2001年にノーベル物理学賞が出ている。ボーズ・アインシュタイン凝縮を起こさせるには、原子系を極低温まで冷却しなければならない。冷却原子系を実験的に実現するための第 1 段階に、レーザー冷却という技術が用いられる。レーザー光で“熱する”のではなく、“冷却する”。これらの冷却技術の開発で、1997年にノーベル物理学賞が出ている。
原子は、内部の電子状態で、原子自身の持つエネルギーが異なっている。エネルギー準位と呼ばれる。今、電子はエネルギー E0 のエネルギー準位に居て、次に高いエネルギー準位を E1 としておこう。今、電子が E0 のエネルギー準位にあり、そのとき、丁度エネルギー準位の差、E1-E0 ( = hν0) のエネルギーを持つ光がやってくると、原子は光を吸収し、電子がエネルギー準位 E1 に上がった状態になる。ここで、h はプランク定数、ν0 は光の振動数で、光のエネルギーは hν0 となる(第7回)。でも、まぁ、エネルギー準位には微小な幅があるので、ν0± Γ( Γ は小さい)程度の範囲内の振動数の光なら吸収するとしておこう。
原子の集団をどうにかして置いておいて、例えば左右から同じ振動数のレーザー光を当てる。簡単のために、x 方向一次元だけ考えておこう。そうすると、例えば右方向に運動している原子は、左右両側から光を浴びる。ところが、右方向から来る光は、原子の進行方向に向かってくるので、ドップラー効果で、原子から見ると振動数は元の光の振動数より高く感じる。一方、左から原子を追いかけてくる光は、反対に振動数を低く感じることになる。
光源と原子の相対速度を v としよう。ここで、v > 0では原子は光源から逃げている、v < 0 では、光源に近づいていくとしよう。このとき、ドップラー効果により、振動数 νの光は ν’ となる。
ν’ = ν×√( c - v ) / ( c + v ) ≒ ν×( 1 - v / c ) ( = ν± Δν)
となる。ここで、c は光速。
最初に原子中の電子がエネルギー準位 E0 にあったとする。そうすると、hν0 のレーザー光を照射すると、原子は光を吸収して、電子は高いエネルギー準位 E1 に上がる。ところが、原子は速さ v で動いているので、照射した光はドップラー効果を起こし、原子にしてみれば ν0 ± Δν の光と感じ、光を吸収しない。
そこで、原子の両側から、ν0 より少し低い振動数 ν のレーザー光を当てる。原子の進行方向からやってくる光は、ドップラー効果でνより高い振動数 ν’ になり、ν0 に近づく。こうして ν0-Γ < ν’ < ν0 + Γ の範囲に入り、原子は光を吸収する。原子の進行方向と逆側から来る光は振動数が低くなり、ν0 からいっそう遠ざかるので、光は吸収されない。
光は運動量を持っているので、原子の進行方向から来る光だけを吸収するということは、運動量保存則のため、原子の速度は遅くなるというわけだ。原子の運動エネルギーの平均が温度なので、原子の速度が遅く(小さく)なり、結果、運動エネルギーは速度の 2 乗に比例するので運動エネルギーの平均は小さくなり、温度が下がるというわけだ。
ただ、しばらくすると、原子は光を放出して、放出した光の方向次第では運動量保存則から原子が再び加速されるかもしれない。ところが、光を吸収する際には原子を減速させる方向からしか吸収しなかったが、放出する際には四方八方等確率で放出するので、平均的には速度の変化はないとみなせる。
ちょっとだけ数式で見ておこう。
原子中のある電子のエネルギー準位が E0 にある質量 m で速度 v で運動している原子が、振動数 νabs、波長 λabs の光を、ドップラー効果が上手く効いて、吸収できたとしよう。下付きのabs “吸収” absorption の意味。光の振動数と波長には
νabs λabs= c
の関係がある。ここで、c は光速。
光は進行方向を持つ。2π を波長で割った量を大きさと持ち、光の進行方向に向いたベクトルを作る。波数ベクトル k という。この時、光の運動量は、プランク定数 h を2π で割ったディラック定数を ℏ と書いて
ℏk 、ここで、ℏ= h / 2π、|k |= 2π/λ
が光の持つ運動量。原子が光を吸収して、電子状態が E1 になり、速度が v ’ になったとすると、運動量保存則は
mv + ℏkabs = m v’ ・・・(1)
エネルギー保存則から
m v2 / 2 + E0 + hνabs= m v’2 / 2 + E1 ・・・(2)
となる。ここで、
E1 -E0 = hν0 ・・・(3)
だった。(1)を使って(2)から v’ を消去し、(3)の関係を使うと
νabs = ν0 + v・kabs / 2π + ( 1 / h ) × kabs 2 ℏ2 / 2m ・・・(4)
が得られる。ここで、v・kabs はベクトル v とベクトル kabs の内積。
今度は、電子状態が E1 にある速度 v’ の原子から、振動数 νem の光が放出されて原子は E0 の電子状態に戻り、速度が v’’ になったとする。先程と同じように運動量保存則とエネルギー保存則の式を立てると
mv’ = m v’’ + ℏkem ・・・(5)
m v’2 / 2 + E1 = m v’’2 / 2 + E0 + hνem ・・・(6)
となる。下付きの em は放射 emission を意味している。(5)を使って(6)から v’’ を消去し、(3)の関係を使うと
νem = ν0 + v・kem / 2π - ( 1 / h ) × kem 2 ℏ2 / 2m ・・・(7)
が得られる。ここで、光の吸収・放出で原子がエネルギーを貰ったり失ったりするが、原子の質量が大きいので、
kabs 2 ℏ2 / 2m ≒ kem 2 ℏ2 / 2m = R ・・・(8)
と近似しておこう。R は反跳エネルギーで、反跳の recoile の略。
今は原子集団の温度を考えているので、沢山の原子を考え、平均を取りたい。先程書いたように、放出される光は四方八方等確率で放射するので、放射の方向はランダムで平均をとってしまうと零になるだろう。平均を <・・> で書くと、つまり
< kem > = 0
ということ。こうして、(7)で平均をとると
νem = ν0 - ( 1 / h ) × kem 2 ℏ2 / 2m ・・・(9)
と、右辺第 2 項を落として良い。
こうして、光のエネルギーの変化 ΔEphoton は、(4)と(9)を使って(8)の近似をとって
ΔEphoton = hνem -hνabs
= -( h / 2π) v・kabs-2R = -ℏv・kabs -2R
このエネルギー変化は、エネルギー保存則から原子のエネルギー変化 ΔEatom で打ち消している( ΔEphoton + ΔEatom = 0 )から
ΔEatom = ℏv・kabs + 2R ・・・(10)
となっている。この ΔEatom が負であれば、原子集団のエネルギーは減少していて、温度が下がる、すなわちレーザー光を当てて冷却できたことになる。
初めに述べたように、光のドップラー効果を利用して、原子に進行方向から入射してくるレーザー光を吸収するように設定しているので、原子の速度 v と光の運動方向を向いた波数ベクトル kabs は逆向きなので、内積は
v・kabs = -v kabs = -2πv / λabs ・・・(11)
となる。(10)から ΔEatom < 0 なら冷却だったので、(10)、(11)から
ΔEatom = ℏv・kabs+ 2R = -h v / λabs + 2R < 0
すなわち
v > 2λR / h
の速さの原子は v が小さくなって冷却される。
これがレーザー冷却、またの名をドップラー冷却の簡単な原理だ。
136.2022年・令和4年
2022年が始まった。元号では令和4年。
2022を素因数分解すると
2022 = 2×3×337
大きな素数337が現れる。
令和4年ということにあやかって、4つの連続する整数の和で書いてみると
2022 = 504 + 505 + 506 + 507
となる。これは簡単に求められる。4つの続く整数の和として
1 + 2 + 3 + 4 = 10
を考える。2022から上の10を引くと
2022 - 10 = 2012
となるので、この余ってしまった2012を、先の4つの数に割り振ればよい。2012 ÷ 4 = 503 なので、1 + 2 + 3 + 4 の各項にこの数503 をそれぞれ足しておくと
( 1 + 503 ) + ( 2 + 503 ) + (3 + 503 ) + (4 + 503 ) = 504 + 505 + 506 + 507
= 2022
と、欲しい結果が得られる。
4つの連続する整数から、下記のような関係もあるそうだ。
2022 = 1673 - 1683 - 1693 + 1703
どうやって見つけるのだろうか・・・。
135.同位体
大学院進学のときには、素粒子論研究室に進むか、原子核理論研究室に進むか迷ったが、当時の素粒子論は超弦理論が盛んで、なんだか数学のように見えたので、陽子や中性子やクォークといった実態が出てくる原子核理論に進むことにした。
原子の真ん中には、正電気を帯びていて、原子の質量の殆どを担う原子核が存在する。原子核は、正電気を持つ陽子と、電気を持たない中性子からなる。例えば、一般の炭素は、陽子が 6 個、中性子が 6 個、あわせて 12 個の核子からなる。核子とは、陽子と中性子の総称。126C と書き、“炭素 12”などと呼ぶ。C は炭素のことで、左下の 6 は陽子の個数、左上の 12 は陽子と中性子の総数。普通の酸素は 168O。“酸素 16”。陽子が 8個、中性子が 8 個ある。
陽子が 6 個ある原子核を炭素と言うが、炭素には、126C、136C、146C の 3 種存在する。中性子の個数が 6 個ある126C 、炭素 12 が自然界にはほぼ 99 %、中性子が 7 個ある136C、炭素 13 が約 1 %あり、これらは安定な原子核だ。そのほかに、中性子が 8 個ある146C、炭素 14 が全体の 1 兆分の 1 程度存在し、これは不安定で、146C が沢山あったとすると、およそ 5730 年で、沢山あった半分は別の原子核に変わってしまう。つまり
146C → 147N + e + ν’ ・・・(1)
となって、中性子一つが陽子に変わって、窒素 14になる。ここで、e は電子、ν’ と書いたのは電子反ニュートリノである。
最初に不安定な原子核の個数が N0 個あったとすると、時間と共に崩壊して、別の原子核になる。別の原子核になる個数は、もと有った原子核の個数 N 自身に比例するはずだから、
dN / dt = -λN ・・・(2)
という微分方程式がたてられる。時間 t と共に変化する原子核数が dN / dt であり、これがもと有った原子核の個数 N に比例している。比例定数は λ と書いた。また、減少していくので、右辺にマイナスがついている。
(2)式の微分方程式は解けて
N (t) = N0 e-λt ・・・(3)
となる。ここで、N0 としたのは、最初の時刻 t = 0 での原子核の個数だ。e はネイピア数。原子核の個数が 1 / e になる時間を“寿命”と言い、τ と書く。そうすると
τ= 1 / λ
である。また、最初有った原子核が半分になる時間を“半減期”と呼び、t1/2 とでも書いておこう。そうすると、(3)から
N ( t 1/2 ) = N0 e-λt1/2
= N0 / 2
ということなので、t1/2 について解く(両辺、底が e の自然対数をとる)と
t1/2 = ln 2 / λ
= τ ln 2
と、寿命 τ と関係が付く。
さて、炭素 14、すなわち 146C の半減期はおよそ 5730 年だった。5730 年経つと、もと有った炭素 14 のうち半分は、(1)式で窒素 14、147N になってしまう。
植物は光合成をする際に、二酸化炭素を取り込む。二酸化炭素は炭素一つと酸素 2 つからできているので、炭素原子の中の原子核は、殆どが炭素 12 であるが、一定の割合で炭素 14 も存在していることになる。こうして、植物内部での炭素 12 と炭素 14 の割合は、地球上のそれと同じになっているはずだ。ところが、植物が死ぬと、その植物は地球上の二酸化炭素を新しく取り込むことはないので、当初、炭素 12 と炭素 14 の比率は地球上のものと同じであっても、化石となった植物体内の炭素 14 は、光合成のために新しく補給されないから、一方的に窒素 14 へと崩壊し、減少してしまう。こうして、植物が死んでからの時間経過により、化石植物体内の炭素 12 と炭素 14 の割合が変化、すなわち炭素 14 の割合が、地球上の割合より減っていく。どれくらい減っているかで、植物が死んでからどれだけの時間が経過しているかがわかる。地球上の比率の半分しか、植物化石に炭素 14 が含まれていなかったら、植物が死んでから 5730 年経っているとわかる。半減期の時間がたつと、炭素 14 は半減しているので。炭素 14 が地球上の比率の 3/4 に減っていれば、5740 / 2 = 2870 年経っているし、1/4 にまで減っていれば、5740×2 = 11480 年経過しているとわかる。
動物化石も同じだ。植物は食物連鎖の下位に居るので、草食動物に取り込まれ、肉食動物に取り込まれ、それらが死に、化石化すると、炭素 14 の一方的な崩壊で、地球上での炭素 14 の比率より年月の経過とともに減少していくわけだ。
これが、放射性同位体を用いた年代測定法となる。
次に酸素に目を転じてみよう。ありふれた酸素原子核は、陽子が 8 個、中性子が 8 個あり、168O、酸素 16 だ。ところが、自然界には 0.2 % ほど、中性子を 10 個持つ酸素18、188O が存在する。酸素 18 も安定に存在していて、炭素 14 のときのように、別の原子核に放射性崩壊するわけでは無い。だから、年代測定には使えない。
ところが、水分子に注目すると、水は酸素一つと水素 2 つからできているので、H2Oと書かれるが、酸素を含んでいる。酸素 18 は中性子 2 個分酸素 16 より重いので、酸素18 で作られた水分子は、酸素 16 で作られた水分子より、少しだけ蒸発しにくい。海から蒸発した水は、寒冷な気候のときには陸地に雪となって降り積もり、雪は氷床として堆積する。寒冷な時にはどんどん氷床が発達するので酸素が固定されるが、海から蒸発する水分子中の酸素原子核は、少し軽い酸素 16 が酸素 18 より主流になるので、雪になる水は酸素 16 の方が酸素 18 より多く、結果的に氷床中に固定される水分子には酸素 16 が多く、海水中の酸素 18 の割合は、酸素 16 でできた水分子の方が蒸発しやすいため、相対的に増えてくる。海水中で生活する生物は呼吸で酸素を取り込むので、海底に堆積した生物の化石中の酸素 16 と酸素 18 の比率を測定すると、化石化した時代が寒冷であれば海水中の酸素 18 の濃度が高いので、化石中にその痕跡、すなわち酸素 18 の相対比率が高いとして残っている。酸素 18 の比率が通常であれば、蒸発した海水が氷床に固定されていないということなので、比較的温暖であったとわかる。
ミクロの世界を解き明かす原子核物理学も、多少は役に立っているようだ。
134.死を想え
コロナ禍の初めのころ、昨年 4 月末には全国一斉にいわゆる緊急事態宣言が出され、人の動きがほとんど無くなった。県をまたぐ移動は自粛を求められ、巣ごもり生活が始まった。
そんな中、春先に父が肺炎となった。コロナ禍のため PCR 検査をされたが陰性であり、誤嚥性肺炎と診断された。万が一病院にコロナウイルスを持ち込むことがあってはいけないという理由で、病院は面会禁止措置をとっていた。そのため、入院先の病院への見舞いはかなわず、病状が悪化したときには母と、近隣に住む兄が呼ばれるが、持ち直すとまた面会禁止に戻る、そのような繰り返しで見舞いに行けないまま、看取れないまま、昭和天皇の誕生日に亡くなった。
県を跨いで慌てて帰省するも、高速道路は殆ど車が走っておらず、いや田舎だからというのではなく、関西圏、神戸・大阪に入っても何だこれはというくらいに車が走っていなかったのが印象的であった。
全国に緊急事態宣言が出されている中で、父の兄姉、甥姪など親族の弔問を受け入れる選択肢もなく、葬儀も近親でのみ済まさざるを得なかった。
第 72 回で触れた広島出身の、お世話になっていた大先生も 6 月頃に亡くなられた。やはりコロナ禍のため、弔問はかなわず、最後にご尊顔を拝することはできなかった。
父の葬儀を済ませた晩、少し寄り道をして、第 7 回で記した O 君のご実家の前を通ってホテルに戻った。
そういえば、O 君は、亡くなるとも思えず全く元気だったので、訃報に際してご両親の悲嘆は如何ばかりだったかと思う。親が先に逝くのは順番だが。
突然亡くなった場合は心臓が止まるのだから心不全ということになるのだろうが、いわゆる突然死というものだ。
大学院 1 年目、院進学をせずに就職した友人を、就職後 1 年経たずして亡くした。O君と同じく彼も突然死だった。ご実家が奈良なので、大学時代に彼と下宿で飲んだり、一緒に比叡山にハイキングに行ったりしてよく一緒だった大学院に残った友人 3人で奈良へ行き、葬儀前に喫茶店で香典ってどう渡すのか、3 人で悩んだのを思い出す。貧乏なので香典は少額になってしまうから、3 人の香典を一つにまとめて名前は 3 人連名で書いて良いものか、3 人並べず簡潔に「有志一同」としても良いのか、お悔やみするのに「こころざしあるもの」はおかしいだろうとか、喫茶店で悩んでいた。今なら、スマホで「香典 書き方」と入力すればすぐに答えが出てくるが、当時はそんなものはない。SNS もなにもない。パソコンはあったが、外付けハードディスクの容量はせいぜい10 メガバイト程度で、20 メガバイトにしようものなら大金が要った時代、bitnet という日本語入力のできない電子メールを使い始めた時代、world wide web もない時代。悩んだ挙句、3 人連名にした。今ググってみたが、それも有り、のようだ。
意外と突然亡くなる人は多いのかと思い、年間どれくらいの人が突然死に襲われるのか、調べてみた。突然死は「急死」の 1 形態だが、急死より範囲は狭い。突然死は「虚血性心疾患や不整脈などによる心臓死や脳卒中といった脳心血管系疾病がほとんどを占める」そうだ(http://www.jsomt.jp/journal/pdf/062010057.pdf )。突然死の死者数は年間なんと 7万9000 人に上るそうで(https://aed-zaidan.jp/knowledge/index.html )、1日平均 200 人が、前兆無く突然亡くなっていることになる。交通事故で亡くなった友人は幸い居ないのに、そりゃぁ、人生経験で身近にいるはずだ。交通事故死者より群を抜いて多いというわけだ。
新型コロナウイルス禍で、2021 年 6 月 25 日現在、新型コロナウイルス感染者は日本国内で 79 万人余り、亡くなった方は 1 万 4 千人を超えている。この感染症禍も、ワクチン接種で収まると期待したい。
現在は、新しいタイプのワクチンが使われているそうだ。これまでは、例えば結核なんかだと、結核菌を培養して弱毒化し、それを生きたまま接種し、ヒトの体内で抗体を作るように仕向ける。いわゆる生ワクチンだ。一方、季節性インフルエンザの場合には、インフルエンザウイルスの内、抗体を作らせる基になる抗原成分をウイルスから精製し、それをワクチンとして接種して、体内で抗体を作らせる。
今回の新型コロナウイルスワクチンは、コロナウイルスの外側にある棘上のスパイクと呼ばれる抗原になる蛋白(たんぱく)質を合成するメッセンジャー RNA( mRNA )を人工的に合成し、それを接種するそうだ。こうすると、体内に入れられた mRNA がアミノ酸を、mRNA に書かれた設計図通りに集めてきて、コロナウイルスが持つスパイク部分の蛋白質のみ合成する。このスパイクになる蛋白質を異物と判断し、体内で抗体ができる。こうして、実際にコロナウイルスが体内に入ってきても、ウイルスの表面にあるスパイクを異物と認識する抗体が既にできているので、罹らない、または重症化しなくなる。mRNAは短時間で壊れるので、スパイクを作り続けることはない。また、できるのはスパイクになる蛋白質だけなので、ウイルスそのものでは無いから増殖するはずもない。
なかなかうまくできている。
しかしながら、このワクチン接種だが、接種後亡くなる人が一定数いるらしい。原因は、殆どわかっていない。抗体ができたときにショックが起きるとか、血栓ができるとかいったことがあるのかもしれないが、これは、ワクチンを打たずにコロナウイルスに感染しても、当然同じリスクがあるはずのものだ。ワクチン固有の問題ではなく、抗体反応の問題のような気がする。
では、他に原因はあるのだろうか。
そこで、先ほどの突然死のことを考えてみる。
本当に、今まで病気一つしたことが無かった人が、ワクチン接種後不幸にも亡くなった場合もあると思うので、統計的な概算であることは、予め強調しておこう。
1 日当たり突然死する方は平均 200 [人/1日 ] であった。おおむね 65 歳以上の人たちが接種しているので、突然死される方も 65 歳以上に限定しておこう。全人口 1 億 2563 万人に占める 65 歳以上の方の割合を計算すると、28.8 %だった
(https://www.stat.go.jp/data/jinsui/pdf/202106.pdf)。そこで、考える対象者は
200 [人/1日] × 0.288 = 57.6 [人/1日] ・・・(1)
この数字は、どの年代も突然死する確率が同じとした場合であり、実際には突然死する方の年代別ピークは 70 歳代なので、57.6 人/1日よりもっと多くなるはずだが、こういう推定では条件を厳しくして考える方が良いので、このように低く見積もっておこう。
手に入ったデータでは、2021 年 2 月 17 日から 6 月 22 日までの 126 日間で、1950 万人の方が 1 回目の接種を終わらせている
( https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/vaccine_sesshujisseki.html)
https://www.kantei.go.jp/jp/headline/kansensho/vaccine.html
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/vaccine/progress/ )。2 回目を打った後に亡くなった方もいらっしゃるので、延べ回数(人数)で考える方が良いと思うが、やはり条件を厳しくして考えて、1950 万回の接種としておこう。全人口の内、ワクチン接種している確率は、1950 万人÷1 億 2653 万人(総人口)と考えれば良いので、上の突然死をした 57.6 人/1日のうち、「ワクチン接種をした後、突然死をした 1 日当たりの 65 歳以上の人数」は
( 1950万人÷1 億 2563 万人) × 57.6[ 人/1日] ≒ 8.8769
≒ 8.88 [人/1日] ・・・(2)
と得られる。これは低い見積もりなのが分かってもらえるだろうか。突然死が 70 歳代をピークに持つことを考慮すると、(1)で求めた 57.6 がもっと大きくなるはずなので、この数も左辺の分子に現れるから、結果は 8.88 より大きくなる。
さて、厚生労働省が出している 2 月 17 日から 6 月 18 日までのワクチン接種後亡くなった方の総計は、355 人となっている。この方達の評価データを見ると、不明を除き
(https://www.mhlw.go.jp/content/10601000/000796557.pdf )、接種当日亡くなった方は 22 人、以下 1 日後 68 人、2 日後 45 人、3 日後 27 人、4 日後 34 人、5 日後 21 人、6 日後 22 人、7 日後 15 人、8 日後8 人、9 日後 7 人、10 日後 8 人、11 日後 7 人、12日後 5 人、13 日後 9 人、14 日後 5 人、15 日後 3 人、16 日後 2 人、17 日後 3 人、18日後 2 人、19 日後 3 人、20 日後 1 人、21 日後 2 人、22 日後 2 人、23 日後 1 人、とんで25 日後 1 人、26 日後 1 人、とんで 28 日後 1 人、さらにとんで 35 日後 1 人、36 日後 1人、さらにさらにとんで 40 日後 1 人となっている。「正」の字書きながら集計したので正確な値では無いと思うが、とにかく最大接種後 40 日までに亡くなった方を、ワクチンの影響かもしれないと評価対象としていることは判る。
1 日当たり 8.88 人が、ワクチンを接種の後に突然死が訪れた。厚生労働省が出している 2 月 17 日から 6 月 18 日までのデータでは、接種後 40 日目までに亡くなった方がカウントされているが、40 日は長いから条件を厳しくして、亡くなった日の 10 日前までに接種していた人の数のみ、計算では取り込もう。2 月 17 日から数えて 12 0日目に亡くなった方は、亡くなった日の 10 日前までに接種していないと、ワクチンの影響かもしれずに亡くなったという統計に入ってこないので、亡くなった日の 10 日前までに接種していた確率、10 / 120 を掛けておかないといけない。でも、2 月 17 日から数えて30 日目に亡くなった人は、亡くなる 10 日前までに接種をしていた確率は 10 / 30 と、さっきより大きくなる。そこで、全期間 126 日の平均の 63 日をとって、その 10 日前までに接種していた確率10 / 63 を、統計的に掛け算しておこう。そうすると(2)式の8.88 人の内、亡くなった日の 10 日前までに接種していた人の数は
8.88 [人/1日] × ( 10日間 / 63日間) ≒ 1.409人/1日 ・・・(3)
となり、この数字が、「ワクチン接種したんだけれどもワクチン接種していなくても統計的に突然死で亡くなってしまう 1 日当たりの人」の数と見積れたことになる。
期間は 2 月 17 日から 6 月 22 日までの 126 日なので、この期間中に、「ワクチン接種したんだけれどもワクチン接種していなくても統計的に突然死で亡くなってしまった人の数」は、全期間の日数をかけて
1.409 [人/1日] ×126 日 = 178 人 ・・・(4)
と推定される。
厚生労働省による発表では、2 月 17 日から 6 月 18 日までに 355 人の方が接種後亡くなっているそうだ(https://www.mhlw.go.jp/content/10601000/000796557.pdf )。
(4)の結果は、6 月 18 日までに亡くなった 355 人よりは少ないように見える。しかし、概算では、接種後 10 日以内に亡くなった方のみ考慮したが、厚生労働省のデータは 40 日後まで入れているので、計算の条件を少し緩めて、例えば突然死する 20 日前までに偶然ワクチンを接種していたと延ばすと、(3)の計算は変わり、
‘8.88 [人/1日] × ( 20日間 / 63日間) ≒ 2.819人/1日 ・・・(3)’
となって、(4)は
‘2.819 [人/1日] ×126 日 = 355 人 ・・・(4)’
となり、実際に報告されている数と同程度の数になる。同じになったのは偶然だ。ワクチン接種後亡くなった方の全てが、ワクチン接種だけを原因としているものでは無いのではないかと、この数値を見て感じた。
2 倍、3 倍は、このような概算ではすぐに変わる。私たちは、数倍の因子を factor(ファクター)と呼んで、factor は変わることをよく知っている。こういう概算では、今の場合 100 の桁、実数の 335 と推定値の 178 とか、同じ桁であったら、まぁ、当たらずと雖も遠からずだと考える。逆に、桁が合わなければ、どこかに根本的な誤りがあると探り出す。桁を order (オーダー)と呼んで、order が合っていれば、その概算は良しとして、次に精密な計算に移るのが常だ。こういったことを、「order estimate (オーダー エスティメート)」と呼んでいて、私たちはしばしば行っている。
先に記したように、本当に今まで病気一つしたことが無かった人が、ワクチン接種後不幸にも亡くなった場合もあると思うので、すべてが自然な死であったと言うつもりも、その意図も全くない。お一人お一人には家族や友人・知人が居られ、大変悲しい思いをされていることは容易に想像できる。87 歳と十分長生きした父でさえ、亡くなると寂しいものだ。ここでも、お一人お一人の死を統計データとしてのみ扱う意図は決してない。しかし、数字が出てきたときに、少し立ち止まって考えてみることも必要では無いかと考え、数値の推定をしてみたものである。
数値が示されたら背後の統計を考え、統計値が示されたら実際の数値に当たってみる。違った面から色々考えてみることも必要だ。今回は、概算または推定だったので、微分も積分も、三角関数すら出てこなかったが、世の中、色々なことを考えなければならないので、微分や積分やサイン・コサイン・タンジェントも必要になってくる。某国の財務大臣は、微分も積分も必要ない、みたいなことを言ったそうだが、そうやって考えることから離れられれば、日々の決裁書類も読まずに決済印を平気で押したりできるようになれそうなので、もう少し時間ができるんだけどなぁ。
MEMENTO MORI -死を想え(死ぬことを忘れるな)
いや、こんな状況だからこそ、今はホラティウスの方が良いか。
CARPE DIEM -今を楽しめ(今日という日を摘め)
133.春の日差し
新学期が始まるも、感染症禍のため、50 名とかの授業であれば対面講義が何とか可能なのだが、大人数となると対面講義ができない。密を避けるために教室定員の 50 %を目途にすると、100 人を超える大講義では、収容できる教室が限られてきて、どうしてもオンライン授業にならざるを得ない。
第 80 回では、170 名を超える学生が受講する対面授業では、春4月でも講義室が暑いといった話を記した。シュテファン・ボルツマンの法則を体験できる機会だったのだが、昨年、今年とその機会が奪われて寂しい。
外部から入射してくるあらゆる波長の電磁波を完全に吸収し、またあらゆる波長の電磁波を熱放射できる理想化された物体のことを、物理では「黒体」と呼んでいる。黒体放射のエネルギー密度は、すでに第12回で導いている。プランク分布だ。振動数 ν [1/s] の光がどれくらい強く放射しているかの分布式だ。振動数 ν と ν+dν の間にある放射のエネルギー密度 U が
U = (8πν2) / c3 ×hν / (e(hν/ k T) -1) ・・・・(1)
となる。ここで、h = 6.6×10-34 Js はプランク定数、ν [1/s] は放射される光の振動数、c =3.0×108 m/s は光の速さ、T [K] は絶対温度、k = 1.38×10-23 J / K は「ボルツマン定数」と呼ばれる数。第 9 回でも見た式だ。
第 9 回では太陽から来る光-電磁波のことだが―の分布の測定値と、プランク分布式(1)を比べて、(1)の中の未定の温度 T [K] が推定できることを記した。光の波長 λ [m] と、振動数 ν [1/s] と光速 c [m/s] の間には
c = λν
の関係があるので、図では振動数分布の代わりに波長分布に変換して描かれている。
(大気と放射過程,会田勝,東京堂出版、より)
破線で描かれた「大気圏外における太陽輻射」の測定値と、プランク分布で T = 5762 K としてプランク分布自身の理論曲線を描いた「5762 K の黒体放射」はよく一致していることが分かる。こうして、太陽の表面温度が、摂氏温度だと絶対温度+273 度なので、摂氏温度でおよそ 6000 OC であることが分かる。
でも、素人には、全波長(振動数)領域の太陽の放射の強さを測定していくなんて、ちょっと大変だ。他の方法で、太陽の表面温度を推定できないかしらん?
第 6 回では、太陽から地球にやってくるエネルギーを考えた。地表面では 1 秒当たり1 平方センチメートルあたり、1 cal のエネルギーがやって来ている。これは測定できそうだ。ただし、地球には大気があり、大気や雲による反射・吸収、地表面での反射などで、50 % 程度の太陽エネルギーが地表では得られないので、太陽からの放射のエネルギーは、地球には 1 秒当たり 1 平方センチメートルあたり、2 cal のエネルギーがやって来ていることになる。このうちの 50 % 測定して、「 1 秒当たり 1平方センチメートルあたり、1 cal のエネルギー」と言っているわけだ。こうして、太陽が放出する1秒あたりのエネルギー W [J/s] を、第 6 回では地球と太陽の間の距離の知識、1 億 5000 万km = 1.5×1011 m を用いて求めている。
W=(太陽から1億5千万キロメートル離れた地球の位置で、1秒あたりで1平方メー
トルあたりに降り注ぐ太陽のエネルギー)×(半径が太陽と地球の距離になっ
ていて、太陽を取り囲む球の表面積)
= (8.4 [J] / (60 [s]×10-4 [m2]) ×(4×π×(1.5×1011) ×(1.5×1011) ) [m2]
= 4.0×1026 [J / s] ・・・(2)
だった。第 6 回を参照してくださいね。
太陽が放射している単位時間 [1/s] 当たりのエネルギー [J] が分かったので、太陽を黒体と近似してしまって、シュテファン・ボルツマンの法則の登場だ。
第 80 回の再登場だ。そちらを参照してくださいね。
第 80 回では、単位時間あたり、単位面積から放射される全エネルギー P を計算してみた。結果を再掲しておくと
P = 2 π5 k4 T4 / ( 15 c2 h3 )
=σT4 ・・・(3)
ここで、σ = 2 π5 k4 / ( 15 c2 h3 ) = 5.67×10-8 W / m2
となっていた。放射 P は絶対温度 T の 4 乗に比例する。これが「シュテファン・ボルツマンの法則」と呼ばれているものだった。最後の σ の数値は、ボルツマン定数 k、光速c、プランク定数 h のそれぞれの物理定数の値を代入して求めた。単位 W(ワット)は単位時間のエネルギーなので、1 W = 1 J / s のこと。
太陽が、単位時間単位面積当たり P のエネルギーを放射しているので、太陽表面からは
P×(太陽の表面積)= σT4 × 4πR2 ・・・(4)
だけの放射があるはずだ。ここで、太陽の半径を R [m] とした。これが単位時間当たり太陽が放射する全エネルギー。
太陽が放射する全エネルギーは、地表に到達する太陽エネルギーから計算済み、(2)だ。そこで、(2)と(4)を等しいと置けば、太陽表面の温度 T が求まるはずだ。
やってみよう。
太陽の半径 R [m] は
R = 6.96×108 m
だ。地球と太陽までの距離は知っているとしたので、地球から見た太陽の視半径を測定すれば太陽の半径は分かるはずだ。この値を使って、(2)=(4)とすると
4.0×1026 = ( 5.67×10-8 T4 ) × ( 4×3.14×( 6.96×108 )2 )
よって、
T4 = 1018 / ( 3.14×6.962 ×5.67 )
= 0.1159×1016
と得られる。あとは 4 乗根を外して、( 1016 )1/4 = 104 だから
T = 0.5835 ×104
≒ 5800 K
と、太陽表面温度が見積れた。摂氏温度でおよそ 6000 度。
さっきの、プランク分布の波長分布から見積った太陽表面温度とよく一致している。
外へ出て、春の陽光にあたってみよう。
2 年ぶりに、教室の外で、シュテファン・ボルツマンの法則が体験できる。
132.“幾何”級数
これまで、何度か数列の和が出てきた。近いところでは、2 回前、130 回で、
1 + x + x2 + x3 + x4 +・・・ = 1 / ( 1-x )
何てのが出てきた。これは、項が進むごとに x を掛けていく、言い換えれば、ある項 xnと、一つ前の項 xn-1 の比 xn / xn-1 が常に x であるという意味で、各項の数列は等比級数と呼ばれ、今はすべて足しているので、等比級数の和と呼ばれる。
一応証明しおこう、
次の数列の和を考えよう。収束性を考えて、0 < r < 1 としておく。
S(r) = r + r2 + r3 + r4 +・・・+ rn
= Σk=1n rk
両辺に r を掛けると
r S(r) = r2 + r3 + r4 +・・・+ rn + rn+1
となる。辺々引き算をすると、右辺の r2 から rn は引き算されてなくなるので、
( 1-r ) S(r) = r - rn+1
が得られる。こうして、欲しい数列の和 S は
S(r) = r + r2 + r3 + r4 +・・・+ rn
= ( r - rn+1 ) / ( 1-r )
= r ×( 1-rn ) / ( 1-r )
と纏められる。証明終わり。
今、n が無限大まで続く級数の和が欲しいので、今導いた式で n →∞ にすると、r < 1だったので、rn→∞ = 0 から、
S(r) = r + r2 + r3 + r4 +・・・
= lim n→∞ r×( 1- rn ) / ( 1-r )
= r / ( 1-r ) ・・・(1)
となる。
ついでに、両辺 1 を足しておくと
1 + r + r2 + r3 + r4 +・・・
= 1 + r / ( 1-r )
= 1 / ( 1-r )
が得られ、r=x と書くと、一番初めにあげた式になっていることが分かる。
証明再び終わり。
ところで、等比級数のことを、何故 “幾何級数” というのだろうか? どうしてだか良く判らない。
とりあえず、こんなことなんだろうかと、想像してみる。
例えば、p を 2 以上の自然数として、r = 1 / p ( < 1 ) の場合を考えてみよう。まずは、p=2。このとき、正方形の 2 倍の長方形を分割して行こう。図のように最初、面積1 の長方形を 2 つに分けて、2 つの正方形にする。
正方形の面積はそれぞれ 1/2 だ。そのうちの一つを置いておく。もう一つの正方形を、再び 2 つの長方形に分ける。この長方形の面積はそれぞれ 1/4 だ。できた長方形の一つを先ほどの面積 1/2 の正方形に足す。残りの面積 1/4 の長方形を再び 2 つの正方形に分割する。面積 1/8 の正方形が2つできる。一つを、面積 1/2 と面積 1/4 の方形を足した方に足しておいて、残りの 1/8 も長方形を再び、面積 1/16 の正方形に分割して、一方を足して、他方をさらに分割し、という操作を繰り返すと、結局元の面積 1 の長方形を、1/2、1/4、1/8、1/16、・・・と分割して足したものになる。こうして、数式としては
1 = 1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 + 1/32 + ・・・・
となるはずだ。これは、(1)式で、r = 1/p = 1/2 と置いたもの
S(1/2) = (1/2) / ( 1-1/2 ) = 1
に他ならない。
この図形を下の図のように並べると、一目瞭然だ。
次いで、p=3、すなわち r = 1/3 のときを見てみよう。図の面積 1 の長方形を 3 分割し、面積 1/3 の図形を 2 つ並列しておく。
残りの 1/3 の正方形を 3 等分し、それぞれ 1/9 の長方形の 2 つを、先ほどの面積 1/3 の正方形に並置しておく。残り 1 つの 1/9 の長方形を面積 1/27 の 3 つの正方形に分割し、2 つをさっきの 1/3、1/9 の図形の続きに並べておこう。残った 1/27 の長方形を 3分割し・・・と続けていくと、最初の面積 1 の長方形が、まったく同じ 2 つの系列に分割できる。こうして、各方形の系列の面積を足すと、それぞれ 1/2 になっているはずだ。こうして、
1/2 = 1/3 + 1/9 + 1/27 + 1/81 +・・・
が得られる。これは、やはり(1)式で r=1/3 を代入したものになっている。
S(1/3) = ( 1 / 3 ) / ( 1-1/3 ) = 1 / 2
えい、p=4 でやっておこう。今度は r =1/4 の場合だ。もう、さっきとおんなじ。図の面積 1 の正方形を 4 分割し、面積 1/4 の図形を 3 つ並列しておく。
残りの 1/4 の正方形を 4 等分し、それぞれ 1/16 の正方形の 3 つを、先ほどの面積 1/4の正方形に並置しておく。残り 1 つの 1/16 の正方形を面積 1/64 の 4 つの正方形に分割し、3 つをさっきの 1/4、1/16 の図形の続きに並べておこう。残った 1/64 の正方形を 4 分割し・・・と続けていくと、最初の面積 1 の正方形が、まったく同じ 3 つの系列に分割できる。こうして、各、方形の系列の面積を足すと、それぞれ 1/3 になっているはずだ。こうして、
1 / 3 = 1 / 4 + 1 / 16 + 1 / 64 + ・・・
これを続けると、p を 2 以上に自然数のとき、
1 / ( p-1 ) = 1 / p + 1 / p2 + 1 / p3 + 1 / p4 +・・・ (2)
が得られるだろう。ここで、1 / p = r とおくと、
1 / ( p-1 ) = 1 / ( 1 / r -1 ) = r / ( 1-r )
なので、(2)式は
r / ( 1-r ) = r + r2 + r3 + r4 + ・・・
となって、(1)式が再現される。ただし、“幾何学的”には、r が単位分数、1 / p の場合だけだ。一般に、r は 0 < r < 1 であれば無理数でも良いので、(1)式の証明は強い。
でも、まぁ、一部とはいえ、幾何学的に解釈可能だから、“幾何級数”というのだろうか?